MMXはフォボス表面からのサンプルリターンを目指しています。このために探査機は地球から火星に遷移し火星周回軌道に投入、火星周回軌道でフォボスの近傍に接近、フォボス表面の観測を実施して着陸に適した地点を選択、降下・着陸・サンプル採取・上昇、地球−火星間を遷移してSRC(サンプルリターンカプセル)を地球まで届けます。各フェーズにおいてこれまでJAXAで実施した探査ミッションで培った技術が活用されています。

軌道計画

ミッション期間中に利用する、地球−火星間の往復軌道、火星圏での運用軌道(フォボス観測軌道、デイモスフライバイ軌道)には特徴があります。火星圏ではフォボス近傍の力学環境を考慮して、安定的にフォボス表面を観測するための観測軌道としてQSO(Quasi-SatelliteOrbit)と呼ばれる軌道を利用します。火星に対してフォボスの重力は非常に小さく、SOI(Sphere of influence)(天体の重力が支配的な領域)を計算するとフォボスの内部に位置し、フォボス周回をケプラー軌道で周回することはできないため、擬似的にフォボスを周回するQSOを採用しました。この軌道は火星中心でみるとフォボスと同じような軌道を周回していますが、探査機側の軌道要素をフォボスに対して若干ずらすことで、フォボス中心座標系で見るとあたかも探査機が周回しているように見えます。図1にMMXで利用予定のQSO の軌道例を示します。右図はフォボス中心の慣性座標系、左図はフォボス中心・火星−フォボス方向固定座標系でプロットしています。QSOの種類は高度別に、QSO-H(100x198km)、QSO-M(50x94km)、QSO-L-A(33x56km)、QSO-L-C(20x27km)と設定しました。探査機の火星周回軌道の周期は7.66時間ですが、QSOの周期(フォボスを1周回する時間)は高度が低くなるに従い短くなります。それぞれQSO-Hは7.59 時間、QSO-Mは7.13時間、QSO-L-Aは6.15時間、QSO-L-Cは3.97時間です。

図1

図1:QSOの例。左/フォボス中心、火星―フォボス方向固定座標系。 右/フォボス中心慣性座標系。

火星周回軌道投入後、フォボスへの最終接近軌道を経由してQSO-Hに投入予定です。その後、QSO-M、QSO-L-Aと徐々に高度を低下させて観測運用を行います。最も低高度のQSO-L-CではMEGANE(ガンマ線・中性子線分光計)の主要な観測を実施します。

惑星の衛星を探査するということで、フォボスによる掩蔽(地上局から見て探査機が天体で隠れる状態)・日陰に加えて火星による掩蔽・日陰の発生も運用条件に大きく影響します。これまでの小天体ミッションや月周回ミッションと比べて運用条件が異なるポイントです。探査機の制約を超える長時間日陰が発生する季節においては、運用高度を調整して回避します。

軌道決定

探査機の軌道決定は、これまでのJAXA探査ミッションで利用してきた手法をベースに実施します。地上局で取得する電波追跡情報(RARR:Range and Range-rate, DDOR:Delta Differential One-wayRange)とオンボードで取得する相対観測量(光学航法データ、レーザー高度計データなど)を適宜組合せて探査機の軌道を推定します。

地球周回では、地球重力場、大気抵抗(低軌道の場合)、月・太陽の影響、太陽光圧加速度などが影響します。月近傍では、他天体重力に加えて月重力場が重要な項目です。小惑星近傍では、探査対象天体の重力場、太陽光圧加速度、他天体の重力、熱放射加速度、小天体アルベドの影響などがあります。MMXが運用される火星圏(特にフォボス近傍)での探査機に加わる加速度の例として、図2に低高度QSOを航行したと仮定した場合の加速度履歴を示します。それぞれ"GM" は火星・フォボスの重力を、"C20" などは火星・フォボスの重力場の係数毎の加速度を、"Nonspherical" は火星・フォボスの重力場の非球面成分を合計した加速度を示しています。項目別に見ていくと、火星の質点重力が主要項であることがわかります。フォボスの質点重力は10-6(km/s2)のオーダーです。フォボス重力の非球状成分は太陽光圧加速度(SRP)よりも大きいことがわかります。現時点でフォボスの重力場はそれほど精度良く求まっていませんので、MMXの観測データを利用した重力場モデルの精度向上が探査機運用の安全性向上に繋がります。図2に記載していませんが、火星重力場に関しては、南北方向の非対称性(J3項)の季節変化や、潮汐力による影響も精密な軌道推定では気にする項になります。

図2

図2:低高度QSOで探査機に加わる加速度の例。

いよいよ打上げが迫ってきました。軌道力学系運用システムのデータベースを最新化し、運用に使う軌道情報を関連システムに提供、万全の準備を整えて出発の日を待ちたいと思います。MMX が地球に帰還したあかつきには、探査機の飛行した経路を線で結び、太陽系の地図に壮大な一筆書きを描こうと密かに楽しみにしています。

【 ISASニュース 2026年5月号(No.542) 掲載】