太陽系の地球型惑星の月は全部で3つしかありませんが、火星の2つの月は未踏天体として残されてきました。MMXは、Phobosを詳しく観測し、その地表から試料を採取します。MMXの多彩な観測装置は、外側を公転するDeimosや、火星大気の形成進化過程の解明にむけた火星大気と周火星空間の観測にも用います。これらの科学的背景とねらいを全て述べたいところですが、紙面に限りがあるため、この記事では、最大のターゲットであるPhobosの起源にまつわる科学について解説します。Phobosは、Deimosとならんで、地球の月の1/100未満の大きさしかなく、重力が弱いため、多くの小惑星と同様にいびつな形をしています(図1)。惑星級のサイズを持つ地球の月と違い、内部に熱がこもらないため、地下深くには氷ですら冷温保存されているかもしれません。潮汐軌道進化を理論的に追うと、Phobosは、火星の形成直後からDeimosとともに火星を周回し続けていた、つまり、火星の月は歴史が古いと推定されます。

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図1:火星に浮かぶPhobos。黒っぽい色といびつな形を持つ小さな月であることが分かる。ESAの火星探査機Mars Expressによって撮像された。
Image Processing: AndreaLuck CC BY; Raw data: ESA / DLR / FUBerlin

生命生存環境をもたらした小天体の化石?

火星の月はどちらも黒っぽい色をしており、可視近赤外の反射スペクトルは、炭素質隕石や、木星軌道周辺に主に分布する水や有機物に富むとされる分類群の小惑星とよく似ています。ここから、火星の月は、太古の火星に水や大気成分をもたらした小天体の仲間の一部が、火星を周回するようになったとする捕獲説が提唱されてきました。飛来した小天体が月になるには、何らかの仕掛けが必要です。誕生直後の火星は、原始太陽系円盤ガスに包まれていたと考えられ、そのガス摩擦でブレーキがかかれば、飛来天体が火星を周回するようになる可能性があります。もしPhobosの物質が、MMXの近接観測や試料分析で炭素質小惑星と同様だと分かれば、捕獲説が正しいと判明します。そして、試料の詳細分析により、初期太陽系での巨大惑星領域から地球型惑星領域への水・有機物輸送過程を解明することができます。

「はやぶさ2」が持ち帰った試料は、水分や有機物を帯びる小惑星リュウグウが、巨大惑星領域でまず氷微惑星として生まれ、融水による化学的変質、衝突破壊や再集積を経つつ、長い時間をかけて地球のそばにやって来たことを語ってくれました。これは外来の小天体が地球に水や大気成分をもたらした過程の一端を示すものです。しかし、こうした水や有機物の輸送が、初期太陽系でも起きたのか、まだ定かではありません。ここに迫れるのが、太古から存在するであろう、火星の月を探査する大きな科学的利点です。

原始火星と衝突天体の欠片?

さて、火星の月の起源については、地球の月と同様に、太古の火星に起きた大型の天体衝突で飛び散った破片が月となったとする、巨大衝突説も提案されています。この説は、火星の月がいずれも、火星のほぼ赤道上を、火星の自転と同じ方向に、ほぼ円軌道で公転している(図2)ことをうまく説明します。火星にある直径2,000km超のヘラス盆地や、形成時の直径が約8,000kmと推定されるボレアリス盆地は、そうした巨大衝突の痕跡かもしれません。Phobosの物質の組成が火星の地殻・マントル物質に近く、大部分が衝撃加熱による融解や部分的な蒸発を経たものと分かれば、巨大衝突説が正しいと判定できます。試料の同位体組成を分析し、火星由来成分と衝突天体由来の成分をより分け、太古の火星に、いつ、どんな天体が衝突したのか、そして揮発性物質の供給についても迫ることができます。原始火星由来成分の分析からは、巨大衝突が起こる直前の火星に水や大気があったかという問いにも答えることができるかもしれません。

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図2:PhobosとDeimosの軌道。いずれも火星のほぼ赤道上を、おおよそ円軌道を描いて、火星の自転と同じ方向に公転している。

捕獲と巨大衝突という火星の月の起源の2大仮説に、現時点では優劣はありません。MMXはPhobosの近接観測と試料分析により、この論争に決着をつけます。そして初期太陽系における地球型惑星への揮発性物質の輸送、ひいては生命生存可能惑星の形成過程に迫ります。ひょっとすると、これまでの説はどれも間違いで、全く別の出生の秘密がわかる可能性もあります。MMXが地球型惑星の形成過程の理解をがらりと変えてしまう、そんな成果が得られることも、筆者は期待しています。

【 ISASニュース 2025年6月号(No.531) 掲載】