画像航法の話を続けます。前号では石田さんが息を飲むような着陸運用の緊張感を伝えてくれましたが、今回は書き手を年配担当者にスイッチし、15年ほど昔にタイムスリップしながら、SLIM検討初期の雰囲気を振り返ってみます。
この当時、画像航法については以下が課題でした。
- 情報量が非常に多い光学カメラ画像の多様な処理手法が研究され得る中で、搭載性やロバスト性も含めたアルゴリズムの見極め
- SLIMの目的である小型軽量化に適したハードウェアの具体的な開発計画の策定
- 一発勝負となる着陸運用を見据えた事前の万全な検証スキームの確立
これらを解決するため、2009年頃から各方面の有識者や企業にアクセスし、SLIMが拓く「降りたいところに降りる」世界の意義を共有して、研究開発体制を整えていきました。
画像処理アルゴリズムの検討には、宇宙工学研究以外の分野の専門家も含め、複数の大学の先生方に参加をお願いしました。SLIMの画像照合航法にはクレータ抽出とクレータマッチングの各処理が必要ですが、明治大の鎌田研究室では前者を、電気通信大の高玉研究室では後者の研究を実施されました。また、着陸直前の最終段階に実施する障害物検知処理は、東京都立大の小島研究室に担当頂きました。ただし、SLIMの搭載計算機の演算能力は地上の汎用PCなどと比較すると非常に貧弱ですので、常に性能と搭載性をセットで検討する必要がありました。SLIMでは画像処理をMPUではなくFPGA上で動作させて演算能力を確保する方針としましたが、JAXAや大学のアイディアをハードウェア言語で都度記述・検証していくのは開発の見通しが悪いため、国産の高位合成ツールベンダ((株)ソリトンシステムズ)と協働し、FPGA実装性を含めた評価を円滑に進めました。JAXA・大学・ベンダの枠組みでの「SLIM画像分科会」の開催回数は、合計60回にも及びました。
航法カメラ開発の初期検討を始めたのも2010年度あたりです。撮像画像を地球に伝送するための効率の良い圧縮回路((株)シキノハイテック)や、民生用のカメラで培った光学レンズ((株)nittoh)など、特色ある技術を有する企業の協力を得つつ、最終的には経験豊富な搭載機器ベンダ(明星電気(株))の取りまとめで盤石な開発のスクラムが組まれました。軌道速度が速い時に撮像画像が平行四辺形などに歪むのを避けるため、搭載品としては先進的なグローバルシャッタータイプのCMOSセンサを採用したこともあり、部品実装の信頼性には大変気を揉みましたが、複数回の月の夜を越えて着陸地点周辺の撮像に成功したことは、関係者の努力の賜物と思います(図1)。
図1:SLIM航法カメラが撮像した着陸地点周辺の風景 (3回の越夜後の2024年4月26日撮像)。
画像航法の検証にあたっては、太陽条件等を考慮しつつ、さもSLIMの航法カメラで月面を撮ったかのような模擬画像を生成することが大きなテーマでしたが、「かぐや」で経験を積んだ解析ベンダ((株)NTTデータCCS)に協力を依頼したのも15年ほど前でした。以来、地形データへの小さいクレータの(ある部分は手動での!)掘り込みや、画像の色味(反射率マップ)の忠実な再現など、無理難題に完璧に対応頂きました。実際の着陸運用で得られた月面画像と模擬画像が極めて酷似していたのは、この活動の誇らしい成果です(前号参照)。打上げ前にこのような模擬画像を何万枚も生成して検証を重ね、さらにはシステム試験でSLIM実機に月面タペストリを見せた総合確認まで行い(図2)、SLIMを軌道上に送り出しました。
図2:FMシステム試験での画像航法系の総合確認の様子。
画像航法という新しい技術を実証し、世界初の月面ピンポイント着陸を実現したことはもとより、それを継承・発展させる技術コミュニティを構築できたことが、SLIMが工学実験ミッションとして達成した大きな意義と自負するところです。関係者の協力と努力に心よりの敬意と感謝を表して、今回の昔話を終わりにします。
【 ISASニュース 2024年7月号(No.520) 掲載】