SLIMに搭載されるマルチバンド分光カメラ(MBC)は、750nmから1,650nmまでの波長帯を10バンド、10mの距離で0.13cm/pixelの高解像度で観測するカメラです。打上げ後のチェックアウト観測により地球画像を取得し、機器の健全性を確認しました。MBCはSLIMの月面着陸後に本観測を開始し、着陸点周辺の岩石とレゴリス(月表面の土壌)を観測します。観測波長は月の主要鉱物である輝石、カンラン石、斜長石などを識別するために選定しています。

小型・軽量が特徴のSLIMに搭載するために、MBCにもサイズや質量などの厳しい制約があります(外観図)。それらを守りつつ科学目標を達成するために、MBCはレンズなど光学系に加えて4つのモータによる稼働部(カメラの視野よりも広い月面領域を観測するためのミラーを2軸で回転するための機構、高い空間分解能を確保するためのフォーカス機構、多バンド観測を行うためのバントパスフィルタの切り替え機構)と、それを支えるロンチロックを持っており、それら技術がぎゅっと詰め込まれた観測機器なのです。ミラーの回転機構やフォーカス機構は、国内の月惑星探査用カメラとして初めて搭載しています。そんなわけで、SLIM探査機本体がとても挑戦的な新しい技術の塊であることは、皆さんご存知だと思いますが、搭載されるMBCも劣らず挑戦的な観測機器だと思います。開発に困難を伴ったことは想像いただけると思いますが、それをここで書き切ることはとてもできません。この辺りのお話に興味のある方は、機器開発チームのリーダーである佐伯 和人先生(立命館大学)を見つけて質問してみてください。

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MBC外観
エンジニアリングモデルの写真(左:MLI装着なしの状態)と設計図(右)

さて、そんなMBCを使って我々が観測するのは、月深部にあるマントル物質が大型の天体衝突により掘削・放出され、月表面に露出したと考えられるカンラン石に富む岩石です。カンラン石に富む岩石の全球的な分布は、月周回衛星SELENE(「かぐや」)に搭載したスペクトルプロファイラの観測結果から初めて報告されており、分布地点の中から理学的な目的と着陸技術の観点での制約の両方を満たす場所として、SHIOLIクレータの近くをSLIMの着陸点として選定しています。ここでMBC観測によって得られる情報がどう重要なのかを説明しましょう。現在、月の起源は巨大衝突説(成長途中の地球に別の天体が衝突し、形成された破片やダスト、ガスなどが集積して月ができるとする説)が有力です。ただし、巨大衝突がどのような条件で起こったのか、例えば衝突天体のサイズや化学組成、またそもそも月の原材料が主に地球由来なのか、衝突天体由来なのかはわかっていません。地球と月を形成した巨大衝突がどのようにして起こり、衝突で生じた破片やガスがどう惑星と衛星に再分配されるのかを知ることは、巨大衝突が惑星の内部構造や化学組成に与える影響、さらには現在の地球環境の成り立ちを理解する上でも重要ですし、また衝突天体のサイズや衝突の頻度を推定することにも繋がります。これを知る上での重要な情報が、月のマントルの組成(鉱物量比や鉄とマグネシウムの比など)です。月の体積の9割以上を占めるマントルの組成が分かれば、それと地球マントルの比較、巨大衝突の計算シミュレーションとの比較などにより、巨大衝突によって起こる惑星と衛星の再分配や衝突条件に制約を与えることができます。MBCは着陸点周辺の岩石やレゴリスを観測し、岩石に含まれる鉱物の種類や量比、鉱物の鉄とマグネシウム量比を推定することで、月のマントルの組成推定を目指します(観測イメージ図)。

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SLIM着陸後のMBC観測イメージ
赤いハッチの領域を観測しています。MBCはSLIM側面の向こう側に取り付けられているので、このイラストでは見えていません。

ここまでMBC観測機器の特徴と科学目標を紹介しましたが、この後、SLIMが着陸した後、MBCがどんな月面を我々に見せてくれるのか、観測機器チーム皆はワクワクが止まりません。皆さんにも大いに期待して待っていて欲しいと思いますし、時には、今頃SLIMとMBCはどこを飛んでいるのかなあ、と考えながら月を見上げてみてはいかがでしょうか。

【 ISASニュース 2023年12月号(No.513) 掲載】