―― 2024年6月某日 午後

運用時の正装である赤ジャケットを着用したSLIMプロジェクトメンバーは、宇宙研に程近い「新田(しんでん)稲荷神社」に集まっていた。境内の小さな丘は「呼ばわり山」と言われ、迷い子や行方不明の者が出たとき、鐘や太鼓をたたいて呼ばわると、必ず現れるという民間信仰で有名な場所で、「はやぶさ」が宇宙で消息を絶った際に川口 淳一郎プロマネ(当時)が毎晩この地を訪れ「発見祈願」をされた場所。

ほとんど奇跡と思われる月着陸後3度の越夜を成功させたSLIMも、5月の呼びかけには応えることがなかった。行方不明ではない。38万キロ離れた月面、SHIOLIクレータの脇に居ることは判っている。ただちょっと声掛けのタイミングが合わなかっただけだ。通信再確立のために出来ることは全てやろう。「お願いです。復活しますように。そしてまた月面の写真を撮ろう。」神様に対してなのかSLIMへのメッセージなのかよく判らないが、一途に手を合わせ心の中で唱えた。

―― 2024年6月27日午前2時

月面上のSLIMに"復活の呪文"を懸命に送り続けた。過酷な月の温度環境。日に日に探査機の状況は悪くなると皆、頭では判っている。並外れた強運を持ち、数々の奇跡を起こしてきた。今回もきっと。沈黙の時が流れる。。。

「本日の運用は以上で終了です。」

今月も応答はなかった。運用リーダーの発声に、管制室のメンバーから自然と拍手が起こった。期待が大きかった反動の落胆で気持ちが沈む。「本当にお疲れさま」、「ここまでよく頑張ったよ」、「これで永遠にお別れなのか」、「いや、まだ判らない。来月もトライしてみよう」。宇宙研宿泊施設ロッジの自室に戻っても、いろんな思いが去来し、その日はなかなか寝付けなかった。

―― 2024年7月16日夕方

SLIMのミッション実現は、多くの方々の献身的な尽力によって為しえたものである。プロジェクト終結作業の一環として、SLIMの研究、開発、運用などに大きな貢献を頂いた関連大学、企業、海外機関など、約100件にも及ぶ方々に感謝状を作成し、発送作業を先ほど終えた。直接出向いて対面での手渡しも企画しているため、全てに行き渡るのはもう少し時間を要するかもしれない。

SLIMは多くのみなさまから応援、激励のお言葉を頂いた。あらためてお礼申し上げたい。ソーシャルメディアを活用し、探査機の状況などとにかく丁寧にかつ迅速に情報発信することに努めてきた。どうにかこうにか着陸に漕ぎ着けたSLIMに対して、"よく踏ん張った、偉い"と声掛け頂いた。日没とともに運用を終えると、"おやすみなさい"、越夜後再起動すれば、"おはよう"と、まるで探査機が人格を持った存在として親しみを込めて接して頂けていること、倒立姿勢で着陸したことすら、"転けてて可愛い"、"ドジっ娘ですごく愛おしい"と前向きに捉えて頂けている状況は、当初われわれが望んだ危機管理広報の想定を遙かに超えたものであり、感謝しかない。一緒にハラハラドキドキをもってSLIMを見守り、応援頂いた全ての皆さまに心より感謝し、ここに皆さま宛の感謝状を掲載させて頂きます。本当にありがとうございました。

―― 2024年8月23日 22時40分 終わりの時

役目を終えた人工衛星、宇宙機の終わり方は様々である。大気や重力の影響を受け徐々に軌道を落とし大気圏に再突入するもの、旅先の惑星を回り続け文字通り衛星となるもの、後続の衛星に軌道を明け渡すために墓場軌道への退避をおこなうもの。

SLIMはどうだろう。

「パトラッシュ... 疲れたろう...。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ。」昭和のおじさん世代には懐かしい「フランダースの犬」の様な悲しい終わり方ではない。地球からは月を見上げるたびにわれわれから思いを馳せられ、月では多くのお犬様達がそばで見守ってくれている。そしてまるで月の静寂を守るかのようにじっとそこに佇んでいるのだ。なんて幸せな探査機なんだろう。

2023年8月から始まった本連載も(着陸運用前後の2回は連載中断させて頂きましたが)全13回、この記事をもって無事に最終回を迎えることができました。長きにわたりご覧頂きありがとうございました。

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【 ISASニュース 2024年9月号(No.522) 掲載】