●「XEPを開発するにあたっての数々の言葉」
XEP担当 東尾 奈々
私がERGに関わり始めたのは、JAXAに入って2年目でERGがまだプロジェクトになっていないときでした。それから今年でもう9年目。XEPと共に成長してきたと言っても過言ではありません。宇宙開発自体初めてだった私の状況を例えると、プロのオーケストラ(メーカーのプロ集団)を前に、一度も指揮棒を持ったことない私が数年後にサントリーホールのコンサートで指揮を振る、そんなイメージだと思います。担当した当時は現在の状況など全く想像できず、ただ成功を信じて暗闇の中をがむしゃらに進んできた感じです。そんな中、開発を行っていく上で背中を押してくれた宇宙開発の先輩方のいくつかの言葉があります。
一つ目、開発に取り組む前にかけて頂いた早川先生の「メーカーに頻繁に足を運び、一緒にやること」は、今でも開発・研究を行う際の私の姿勢の基礎となっている言葉。
二つ目、切羽詰まって言い訳ばかり並べていた際にかけて頂いた向井先生からの「世界は結果しか見ません」は、世界で戦うことの厳しさと真剣に向き合い、覚悟を決めるきっかけとなった言葉。
三つ目、スケジュールぎりぎりの中、不具合が起きて落ち込んでいた際にかけて頂いた山中ユニット長からの「今でよかったじゃないか」は、宇宙開発の本質と冷静に地上で対処することの大切さを教えてもらった言葉。
四つ目、初期チェックが終わってホッとしていた際にかけて頂いた高島先生の「やっとスタートラインに立ったところだよ」は、ミッション部の戦いはこれからだということを忘れかけて緩んでいた気持ちを引き締めさせられた言葉。
他にも書ききれないぐらいの沢山の人からの言葉に背中を押してもらえたからこそ、ここまで来ることが出来たと思います。何よりも乗り越えられたのは、メーカーの方、先生方、またJAXAの事務の方が一緒に悩み、悔しがり、喜び、戦ってくださったからだと思います。ひたすら「感謝」です。少しでもXEPに関わってよかったと思ってもらえるように、これからも一歩一歩進んでいきたいと思います。
(東尾から三谷 烈史さんへ)
どういった状況にも動じない三谷さんの精神力に何度も救われました。どうやったら身につくのでしょうか?
●「ドキドキのHEP開発」
HEP担当 三谷 烈史
動じていないと思われることが多いのですが、生来、入力に対して応答する速度が人より遅いだけのことです。70keVから2MeVの電子を観測する高エネルギー電子分析器(HEP)の開発を担当したなかで、顔には出なかったかもしれませんが、私が困ったぞという状況だった3事例を紹介します。
1.プロジェクトに参加したとき
私はERGがプロジェクト化した2012年から参加しましたが、その際に言われたタイトなスケジュールに驚きました。とは言っても、できることから着実に実施していくのが一番近道だという信条から、目の前のことから片付けていきました。ただ、この時点で検討すべき事項にもう少し時間を費やしたかったです。じっくり検討結果を眺めて、自分の納得いくまで深掘りして理解するところまで達せられる状況ではありませんでした。
2.フライトモデル(FM)の引き渡し前の最後の5カ月
考え得る段階をきちんと踏んでFMを組み上げたのに、結果としてセンサのノイズレベルが高かったのには焦りました。最初、原因には皆目検討がつかず、FM引き渡しまでの時間が限られているなかで、最終的にはノイズを低減できましたが、その調査と対応策を検討する日々はかなり辛かったです。
3.軌道上での初期チェックアウトを待つ日々
HEPの順番は最後の方でしたので、各機器が何事もなく立ち上がっていく中、HEPには何か想定外の事象が起きるのではないかとヒヤヒヤしていました。蓋をあけてみれば、さほど苦労することなく定常観測に入れたのでホッとしました。打上げ前に行ったミッション部総合試験で、かなり柔軟に各機器の試験を実施させてもらいましたので、軌道上での運用はとてもスムーズに進めることができました。
総じてみると、どの時も自分一人では解決困難で、プロジェクトメンバ・粒子機器開発者の皆さんの協力に加え、同種の開発をしてきた方々、特にASTRO-H HXI/SGDチームから助言をいただけたことはHEPの開発を完遂するためには不可欠でした。ありがとうございました。
(三谷から笠原 慧さんへ)
EMまでは機器2つの設計を担当されていた笠原さん、短期間での2機器の開発で工夫したことはありましたか?
【 ISASニュース 2017年11月号(No.440) 掲載】