熱潮汐波とは?

熱潮汐波は、潮汐という言葉が入っていても、月の引力によって地球の海に引き起こされる潮の満ち引きとは違います。これは太陽(あるいは系外惑星であれば中心星)からの放射が惑星大気の昼側だけを加熱することによって生じる大気中の波です。太陽光によって加熱される場所は、惑星の地表に対して惑星の自転と逆方向に動いていきます。そのことによって大気中には惑星の自転と逆方向に(太陽を追いかけるように)伝わる波が生じます。全球規模の日変動現象というところは月による潮汐と同じです。熱潮汐波は惑星を東西に1周して1波長とか2波長という巨大な波であり、天気図上で視認することはできません。地球では水蒸気や成層圏オゾンが太陽光を吸収して暖められることによって生じていて、地表での振幅は1 hPa程度と小さいものの、高層大気では大きな振幅を持ち大気循環に影響しています。

この熱潮汐波が金星において重要な役割を果たしていることが、金星探査機「あかつき」によってわかってきました。金星は高度50〜70kmあたりに硫酸の雲の層があり、金星全体を隙間なくおおっています。この雲が昼側で太陽光を効果的に吸収して暖まるために、大振幅の熱潮汐波が生じます。金星ではスーパーローテーションと呼ばれる、雲の高度で100 m/sに達する風が東から西へと吹いていますが、熱潮汐波がこの風を維持しているのかもしれないという予想が以前からなされていました。惑星の自転と逆方向に伝播する熱潮汐波は、自転と逆方向の「角運動量」を持っています。太陽光による加熱は、主として低緯度の雲層高度の大気で起きるため、低緯度の雲層高度で熱潮汐波が生じ、それがより高い高度や低い高度に向かって、また高緯度に向かって伝播します。この伝播にともなって角運動量が運ばれると、大気を回転させる力が生じるのです。金星に熱潮汐波があることは以前から知られていましたが、このあと述べるような「あかつき」の多角的な観測によってその詳しい構造が明らかとなり、スーパーローテーションにどのように関わっているのかを実証的に調べることが可能となりました。

雲の温度に現れた熱潮汐波

図1

図1:2015年12月7日に同じタイミングで取得された(左)紫外カメラUVIと(右)中間赤外カメラLIRによる金星の画像。それぞれ波長283nmと8-12μmでの撮影。LIR画像中の実線は赤道、白点線は昼夜境界線を示す。LIR画像に見られる南北方向の筋状の模様は地形の凹凸に起因する山岳波による。

昼夜の加熱差によって生じる熱潮汐波は、太陽方向に対して静止した、すなわち金星地方時に対して固定された構造を持つため、その全体像をとらえるためには昼夜両方を含む全ての地方時をカバーする観測が重要となります。「あかつき」の中間赤外カメラLIRは、雲頂から発せられる熱放射を波長8 - 12μmで撮影して雲の温度分布を可視化する、いわばサーモグラフィです(図1右)。このようなカメラを金星に持ち込むのは今回が初めてであり、このことによって全地方時で数千枚に及ぶ雲温度画像を得ることができました。またPioneer Venus、Venera、Venus Expressなど過去の金星探査機とは異なり、「あかつき」はほぼ赤道面に沿った軌道を周回しているため、赤道を中心として両半球に広がる現象を広い地方時で観測し続けることができます。このようなカメラは熱潮汐波の観測にはうってつけです。

雲頂は不連続面ではなく、雲粒が高度とともに徐々に減少するように分布しているため、熱放射は単一の高度から出てくるのではなく、ある幅を持った高度範囲の熱放射が観測されます。そしてその高度範囲は、雲から探査機に向かう熱放射が真上方向からどれだけずれているか(出射角)によって変わります。そのため、LIRが観測する高度を放射伝達計算によって推定し、出射角ごとにLIRデータを分類することによって、異なる高度の情報が得られます。

図2

図2:(左)2016年10月から2019年1月までの3金星年以上にわたる雲温度画像を平均して得られた、熱潮汐波にともなう温度変動の地方時と緯度に対する分布(Kouyama et al. 2019を改変)。(右)複数の出射角のデータを用いて求めた赤道域での温度変動の地方時と高度に対する分布(Akiba et al. 2021 を改変)。

図2の左側の図は、高度69km付近を観測する出射角60°のデータを平均して得られた熱潮汐波の構造を示しています。南北両半球とも赤道から中緯度帯まで波数2(東西一周に2波長)の半日潮と呼ばれる成分が強く、波数1の一日潮は目立ちません。このように両半球の全地方時にわたる熱潮汐波の構造が可視化されたのは初めてのことです。

出射角によって異なる高度を観測できることを利用して、高度方向の構造についても調べました(図2右側)。高度とともに波の位相が、地方時が早まる側へとずれています。このことは雲中で励起された熱潮汐波の位相が下向きに伝播していることを表しており、このとき群速度(エネルギー伝播)は上向きであるため、熱潮汐波が持つ自転と逆方向の角運動量も上方輸送されます。このような角運動量の輸送によって雲層高度の大気がスーパーローテーションの方向に加速されていることが推定されました。このような位相の傾きは、探査機と地上局を結ぶ電波通信を利用した電波掩蔽観測によってもとらえられています。

風速分布に現れた熱潮汐波

雲画像を用いた気象研究の常套手段として、小規模な雲の模様の動きから風速を求める方法がありますが、LIRで得られた雲画像は地球の雲画像と違って模様に乏しいという問題がありました。小規模な模様のコントラストを強調しても、同時にノイズも強調されてしまい、結局うまくいかないのです。そこで私たちは、1〜2時間間隔で取得された画像を連続した数枚ずつ重ね合わせて平均することによってノイズを低減することを試みました。単なる平均ではなく、画像データを緯度経度座標に展開してからスーパーローテーションの速度で動く座標系に変換し、この座標系において画像を重ね合わせることで、スーパーローテーションによって流される成分を強調したのです。こうして得られた連続画像を眺めると、昼側では赤道から高緯度に向かう方向に雲が流れ*1、夜側では逆に高緯度から赤道に向かう方向に雲が流れる*2という傾向が雲頂高度で平均的に存在することがわかりました(Fukuya et al. 2021)。これまで金星の昼側では高緯度に向かう流れが観測されていましたが、これがそのような平均循環を表すのか、あるいは熱潮汐波の特定の位相をとらえたものなのか、はっきりしていませんでした。今回の観測により、後者が正しいことになりました。

こうして熱赤外画像を用いた雲追跡が可能となり、夜側も含む全地方時で風速分布を求めることに世界で初めて成功しました。得られた風速の地方時と緯度についての平均的な分布を図3に示します。どの緯度でも地方時によって風速が顕著に変化していますが、これは熱潮汐波を反映しています。この風速分布から熱潮汐波の一日潮と半日潮の速度構造が初めて明らかとなり、ここから理論的考察をもとに上下流の振動も推定することによって、熱潮汐波が角運動量を高度方向に運ぶことによってスーパーローテーションの維持に大きく寄与していることがわかりました。

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図3: 雲温度画像を用いた雲追跡により得られた風速の地方時と緯度についての分布。スーパーローテーション成分を差し引いたもの。影を付けた領域は夜側であり、今回初めて風速の分布が得られたところ。矢印の長さは風速に比例し、緯度について10度の長さが5 m/sに相当する。(Fukuya et al. 2021 を改変)

「あかつき」の紫外カメラUVIからも驚くべき結果が得られました。金星を紫外線で見ると雲頂に顕著な濃淡模様が観察されます(図1 左)。これは二酸化硫黄や何らかの未同定の化学物質が不均一に分布しており、太陽紫外線の吸収が場所によって違うためです。このような金星の紫外画像を用いた雲追跡は以前から行われていましたが、解像度や空間カバレッジの不足のため、熱潮汐波による角運動量輸送の評価には不十分でした。しかし「あかつき」のUVIは膨大な高解像度画像を取得し、これを新たに開発した高精度な雲追跡手法で解析することにより、これまでにない高精度な風速データを得ることができました(Horinouchi et al.2020)。雲層で散乱された太陽紫外線を撮影するので昼側の風しかわかりませんが、熱潮汐波にともなう風速の緯度線に沿った振動パターンが緯度とともに東西方向にずれており、このために高緯度から赤道域へと角運動量が運ばれてスーパーローテーション方向の加速が生じていることが明らかとなりました。UVIデータから導かれたこのような南北方向の角運動量輸送は、前述のLIRの赤外線観測で明らかとなった高度方向の角運動量輸送とは別のメカニズムであり、熱潮汐波がこのような働きをすることは理論的にも指摘されてこなかったことです。見積もられた加速量はスーパーローテーションを維持しうる大きさであり、惑星気象学に新たな視点をもたらしたものと言えます。全球的な加速と減速のバランスの分析に、LIRによって得られた温度変動の情報も使われました。「あかつき」の総合的な観測があってこその成果です。

展望

「あかつき」は金星気象の様々な要素を研究対象に掲げていますが、とりわけ熱潮汐波に関してはこれまでにない豊富な情報が得られ、急速に理解が進んでいます。現在も新たなアイデアにもとづく解析が試みられており、その成果についても近くご紹介できるでしょう。大気のスーパーローテーションは金星の他に土星の衛星タイタンでも見られるほか、土星や木星の低緯度にも似た現象が存在し、系外惑星でもそのような大気循環を示唆する観測例が増えています。中心星の近傍を公転する系外惑星が数多く発見されていますが、そのような惑星では中心星からの強い放射を受けて大振幅の熱潮汐波が生じているかもしれません。これらの惑星の大気において熱潮汐波がどれほど重要であるかはまだわかりませんが、金星という精密観測が可能な近隣の天体を対象としてメカニズムを理解することにより、広く惑星一般に応用していくことができるでしょう。「あかつき」の観測の充実は、一方で数値シミュレーションによる金星大気研究の発展を促しており、観測と理論を両輪として金星をはじめ惑星大気の理解が深まっていくことを期待しています。


*1 https://static-content.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-021-03636-7/MediaObjects/41586_2021_3636_MOESM5_ESM.mov

*2 https://static-content.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-021-03636-7/MediaObjects/41586_2021_3636_MOESM3_ESM.mov

【 ISASニュース 2022年8月号(No.497) 掲載】