はじめに
私の専門分野は「微生物学」です。「JAXAの微生物学」と聞いたとき、みなさんはどのような研究を想像しますか?例えば、地球圏外の生命を探索したり、地球生命の起源や進化を解明するカギや地球生命そのものの痕跡を宇宙に求めたりする、アストロバイオロジーと呼ばれる学問分野でしょうか。実際にそう思われることがよくあるのですが、私は、2008年に日本実験棟「きぼう」の最初のモジュールである船内保管室が国際宇宙ステーション(International Space Station, ISS)にドッキングし、「きぼう」で宇宙飛行士が活動を開始する前から、「宇宙環境で人が安全に活動し、安心して生活するための研究」に携わってきました。簡単に言うと、宇宙飛行士が生活する1気圧に保たれたISS船内環境(与圧部といいます)の微生物についての研究です。かつてロシアの宇宙ステーション・ミールでは、細菌やカビが船内を汚染し装置が故障するなどの問題が起こりました[1]。ISSでも「きぼう」日本実験棟がISSにドッキングするころには、すでに微生物が検出されていました[2]。そこで私たちは、将来月や火星で人が生活する基地でも同様なことが起こるかもしれないと想像しながら、ほとんど微生物がいない状態で打ち上げられる「きぼう」日本実験棟の中で、微生物叢(そう)(そこにいる微生物の量や種類を表します)が時間が経つにつれてどのように変化していくのか、調査することにしました。また、宇宙飛行士がISSで口にする飲料水に含まれる微生物についても調べてきました。今回は、人が暮らす宇宙船・ISSの船内環境微生物についてお話しします。
人が暮らす宇宙船内にも微生物は存在する
まず、宇宙飛行士が滞在するISSの船内環境と私たちの生活環境の違いをおさらいしておきましょう。ISSは最初の基本機能モジュール(ザーリャ)の打上げから20年以上にわたり、完全に閉鎖された環境を維持しており、持ち込まれるのは補給機や有人宇宙機に含まれる空気や物資、宇宙飛行士自身などに限られ、窓を開ければ換気できるような私たちの生活環境とは大きく異なります。長時間潜ったまま航行できる原子力潜水艦も似たような環境かと思われますが、ドックで整備する際にハッチを長時間開放するなど、空気や物資、人の出入りはISSの比ではありません(ドックには多くの環境微生物が存在することも重要なポイントです)。また、地上400kmを周回するISS船内は、ほとんど重力がない「微小重力環境」であるため、あらゆる物体が(宇宙飛行士も)船内を浮遊し、落下しません。これは船内の微生物の動態を考察する上で大変重要なポイントです。細菌やカビ、ウイルスなどは、それ単独で空中を漂うのではなく、ほこりや飛沫(エアロゾル)のような微粒子に付着して漂い、地上では重力に引かれて落下します。つまり、細菌やカビ、ウイルスを含む微粒子が、地上では(原子力潜水艦でも)落下して床が最も汚れるのに対し、ISS船内では空中を漂い続けることになるので、私たちは、宇宙飛行士の身体(特に上半身)への付着量や呼吸で取り込む量が増えたり、船内の壁全体に汚染が広がったりするのではと危惧していました。そこで私たちは、「きぼう」船内で宇宙飛行士が手で触れそうなところや、気流の流れを考慮して(重力がない場合、気流の向きが物質の移動方向になります)船内の壁面など数ヶ所からスワブ(綿棒のようなもの)で拭き取り地上に回収して、DNAの塩基配列に基づく微生物の群衆解析を計画しました(図1(A))。しかし、ここでひとつ問題が発生しました。「きぼう」の微生物叢は、ISSにドッキングしハッチが開いた瞬間から変化し始めるので、運用開始時の微生物叢を示すデータとして、理想的にはドッキングしてハッチが開く直前のデータが必要です。しかしながら、ハッチが開く前はもちろん、ドッキングした直後に宇宙飛行士にサンプル採取を依頼することは不可能でした。そのため、私たちはケネディ宇宙センターのSpace Station Processing Facility(SSPF)に赴き、「きぼう」船内保管室に搭載される装置の表面から打上げ前にサンプルを採取し、それをゼロ時点サンプルとしました(船内保管室にはさすがに入ることはできませんでした)(図1(B))。その結果、搭載される装置表面の微生物量が検出限界以下であることを確認できました(これは「きぼう」船内保管室も同様の清浄度が保たれていると言ってよいことを意味します)。ほどなく「きぼう」船内保管室が、続けて船内実験室が打ち上げられ、「きぼう」船内で本格的に宇宙飛行士が活動するようになり、現在に至るまで「きぼう」船内は高い清浄度を維持していることがわかっています。また、少ないながらも検出された微生物を詳細に解析したところ、時間が経つとともに多様性が減少していくこと(種類が限られていくこと)、細菌であればブドウ球菌科(Staphylococcaceae)や腸内細菌科(Enterobacteriaceae)[3]、真菌(酵母やカビ、きのこの仲間)であれば全身の皮膚に広く分布するマラセチア属の酵母(Malassezia)[4, 5]といった、健康な人の身体に日常的に存在する微生物(いわゆる「常在菌」)が優占種であることがわかりました。ISSに持ち込まれる物資は可能な限り滅菌、除菌した上で打ち上げられますが、もっとも微生物を持ち込むのは宇宙飛行士の身体そのものです。人は言ってみれば微生物の塊のようなものですから、有人宇宙機への微生物の持ち込みは避けようがありません。一方で、「きぼう」船内の微生物が少なかった理由は、宇宙飛行士による清掃が適切に行われていることや、「きぼう」船内の優れた空気循環システムにより、浮遊する微粒子が効率よく除去されているからだと考えています。
ISSの飲料水からも微生物が検出された
私たちは、ISSの飲料水供給装置(Potable Water Dispenser,PWD)の水についても調べてきました。現在ISS飲料水の微生物検査は、地上に回収した飲料水を寒天培地で培養し、形成される細菌や真菌の集落(コロニー)の数を指標に行われています。ただしこの方法では、ISSで採取した飲料水を地上に下ろす間隔が数ヶ月単位である上、地上に回収してからも培養に数日掛かるなど、異常があっても判明するまでに時間を要します。また、一般に微生物の多くは、生きているが培養できない状態(viable but non-culturable, VBNC)であり、形成されるコロニー数はそこに含まれる実際の細胞数より小さい値を示す傾向にあります(余談ですが、「きぼう」船内から検出された皮膚の常在菌であるマラセチア属は培養することが非常に難しい酵母で、ミールやISSの培養検査では検出されませんでした)。以上のことから、私たちは宇宙飛行士がより安心して飲料水を飲むことができるように、宇宙飛行士自らが飲料水中の微生物をその場で迅速に検査できるシステムの構築を目指し、「宇宙船内水環境微生物のオンボードモニタリング法の開発(Micro Monitor)」をテーマに研究を始め、2021年1月から3回にわたりISSの飲料水を地上に回収し、そこに含まれている微生物を詳細に解析しました(図2(A)および(B))[6]。始めに、ISSの飲料水検査で通常実施されるように寒天培地で培養したところ、細菌のコロニーが形成されました(真菌のコロニーは形成されませんでした)。ちなみに、市販のミネラルウォーターの中にも培養でコロニーが形成されるものがありますし、水道水(常水)も無菌ではありませんので、この結果自体は意外ではありませんでした。続いて、「宇宙船内水環境微生物のオンボードモニタリング法」の要となる生物粒子計数器による細菌数測定を行いました。この装置は、細胞内の自家蛍光物質(リボフラビン、いわゆるビタミンB2)の蛍光強度を指標として生物粒子を選択的に検出することにより、水中の細菌数を短時間で計数することができます。実際にISS飲料水中の細菌数を計数したところ、生物粒子計数器が示す細菌数と、顕微鏡により目視で計数した細菌数がほぼ一致し、生物粒子計数器がISS飲料水中の細菌数の測定に適用できること、ISS飲料水に含まれる細菌数は、一部の市販のミネラルウォーターに含まれる細菌数と数値的にほとんど変わらないことがわかりました。また、ISS飲料水中に含まれる細菌の種類について調べたところ、船内から多く検出される人に由来する細菌の割合は低く、土壌や河川などに広く存在するラルストニア・ピッケティ(Ralstonia pickettii)が優占種であることがわかりました(図3(A)および(B))[6]。なぜラルストニア・ピッケティが多いのか、この点はISS飲料水の細菌叢の特徴のひとつと言えますが、その理由はまだわかっていません。なお、今のところ直ちに身体に悪影響を及ぼすような細菌は見つかっておらず健康被害も報告されていないこと、ISS飲料水を飲み続けることで宇宙飛行士の健康に悪影響を及ぼすとは考えにくいという点は強調しておきたいと思います。この研究については、JAXA有人宇宙技術部門のウェブサイトに関連する記事が掲載されていますので、そちらもぜひご覧いただければと思います[7,8]。
さいごに
― 将来の太陽系天体探査ミッションに向けて 私たちに課せられた使命 ―
ISSでは、ここまでお話ししてきた船内環境微生物の研究以外にも、「きぼう」船外実験プラットフォームを利用したり[9]、宇宙飛行士の身体を対象とするなど[10]、様々な微生物研究が行われてきました。それではさいごに、将来の宇宙探査に向けて私たち宇宙機関の微生物研究者が重要な役割を担う研究分野についてお話ししたいと思います。ISSの運用は四半世紀を超えており、いずれ来るその役割を終える時を想像すると寂しい限りですが、その一方でこれからは太陽系天体を目指す探査ミッションがますます活発になっていきます。その中で私たちに課せられた重要な任務が「惑星保護(planetaryprotection)」です[11]。惑星保護とは、探査機等に付着して地球から対象となる天体に持ち込まれる微生物や生命関連物質による汚染(フォワード汚染、forward contamination)から、その天体の環境を守ること、また、探査機等がその天体から地球圏に戻る際に、地球外生命やその関連物質による汚染(バックワード汚染、backward contamination)から、地球圏を守ることです。探査機等に付着する微生物の数などを考慮した生物汚染度の指標となる「バイオバーデン(bioburden)」を製造から打上げ、帰還するまで厳重に管理し、探査の対象となる天体と地球圏を互いに決して汚染することのないようミッションを達成させることが、今後私たち宇宙機関で働く微生物研究者の大きな使命のひとつとなっていくことでしょう。
[1] Novikova, N.D. Review of the knowledge of microbial contamination of the Russian manned spacecraft. Microbial Ecology 47(2):127-32 (2004) DOI: 10.1007/s00248-003-1055-2
[2] Surface, Water and Air Biocharacterization - A Comprehensive Characterization of Microorganisms and Allergens in Spacecraft Environment.
https://ntrs.nasa.gov/api/citations/20090014893/downloads/20090014893.pdf
[3] Ichijo, T., Yamaguchi, N., Tanigaki, F., Shirakawa, M., Nasu, M. Four-year bacterial monitoring in the International Space Station-Japanese Experiment Module "Kibo" with culture-independent approach. NPJ Microgravity Apr 21:2:16007(2016) DOI: 10.1038/npjmgrav.2016.7
[4] Satoh, K., Nishiyama, Y., Yamazaki, T., Sugita, T., Tsukii, Y., Takatori, K., Benno, Y., Makimura, K. Microbe-I: Fungal biota analyses of Japanese Experimental Module KIBO, International Space Station which passed for about 460 days. Microbiology and Immunology 55(12): 823-829 (2011) DOI: 10.1111/j.1348-0421.2011.00386.x
[5] Satoh, K., Alshahni, MM., Umeda, Y., Komori, A., Tamura, T., Nishiyama, Y., Yamazaki, T., Makimura, K. Seven years of progress in determining fungal diversity and characterization of fungi isolated from the Japanese Experiment Module KIBO, International Space Station. Microbiology and Immunology 65(11), 463-471 (2021) DOI: 10.1111/1348-0421.12931
[6] Ichijo, T., Uchii, K., Sekimoto, K., Minakami, T., Sugita, T., Nasu, M., Yamazaki, T. Bacterial bioburden and community structure of potable water used in the International Space Station. Scientific Reports 12:16282 (2022) DOI: 10.1038/s41598-022-19320-3
[7] きぼう利用テーマ資料集:宇宙船内水環境微生物のオンボードモニタリング法の開発
https://humans-in-space.jaxa.jp/kibouser/subject/life/70655.html
[8] 宇宙で暮らす人が安心して水を飲めるように!
https://humans-in-space.jaxa.jp/biz-lab/case/detail/003006.html
[9] Yamagishi, A., Yokobori, S., Kobayashi, K., Mita, H., Yabuta, H., Tabata, M., Higashide, M., Yano, H. Scientific Targets of Tanpopo: Astrobiology Exposure and Micrometeoroid Capture Experiments at the Japanese Experiment Module Exposed Facility of the International Space Station. Astrobiology Dec;21(12):1451-1460 (2021) DOI: 10.1089/ast.2020.2426
[10] Sugita, T., Yamazaki, T., Makimura, K., Cho, O., Yamada, S., Ohshima, H., Mukai, C. Comprehensive analysis of the skin fungal microbiota of astronauts during a halfyear stay at the International Space Station. Medical Mycology Mar;54(3):232-239 (2016) DOI: 10.1093/mmy/myv121
[11] ISASニュース 2019 年10月号(No.463)宇宙科学最前線「宇宙探査と惑星保護」藤田 和央 https://www.isas.jaxa.jp/outreach/isas_news/files/ISASnews463.pdf
【 ISASニュース 2024年8月号(No.521) 掲載】