はじめに

「X線分光撮像衛星 XRISM」は、革新的な分光性能をもって宇宙から来るX線を観測するミッションです。2021年度の打上げを目指し、チームメンバー一丸となって開発を進めています。XRISMは2016年に運用を停止したASTRO-Hの代替機に相当します。再度のチャンスをいただいたことに対し、関係者の皆様にこの場をお借りして改めて御礼を申し上げます。私はXRISMの科学検討を任された立場として、このプロジェクトをASTRO-Hの単なるやり直しにするつもりはありません。ASTRO-Hに期待された以上の成果を実現するプロジェクトにできるよう、ベストを尽くしてまいります。

さて、XRISMは具体的に何を目指すプロジェクトなのでしょうか。ISASが公開するXRISMのウェブサイト(http://xrism.isas.jaxa.jp/)を見ると、そのトップに「銀河を吹き渡る風をみる」という、何だか凄そうだけどよくわからないフレーズが登場します。本記事の目標は、この言葉の意味をお伝えすることです。XRISMができることや目指すことは他にもたくさんあり、今回の話題はその一部であることをご承知おきください。

宇宙の階層構造

ISASがある相模原市は神奈川県の一部で、さらに神奈川県は日本という国の一部です。これを「階層構造」と呼びます。宇宙にも階層構造があります。我々が暮らす太陽系(隣の恒星まで4光年)は「天の川銀河」(差し渡し10万光年)に含まれます。つまり、銀河は太陽系(惑星系)の上の階層です。本記事の主題である銀河団はさらに1つ上の階層にあたり、差し渡し1,000万光年程度、数100 から数1,000 個の銀河を含みます。天の川銀河は、お隣のマゼラン星雲やアンドロメダ銀河とともに「局所銀河群」というグループに属します。銀河団より少し規模が小さいので銀河"群"と呼ばれますが、両者の間に厳密な区別はありません。銀河団や銀河群のさらに上には超銀河団と呼ばれる階層もあって、局所銀河群は「おとめ座超銀河団」の辺境に位置します。今度は「おとめ座超銀河団」の中心に向かって段々と階層を降りていきましょう。「おとめ座超銀河団」の中心には「おとめ座銀河団」があります。地球からの距離は6,000万光年、3,000個を超える銀河の集まりです。銀河団の中心には必ず、Brightest cluster galaxy(BCG)と呼ばれる明るくて巨大なボス銀河が存在します。おとめ座銀河団のBCGは、M 87という楕円銀河です。天文ファンの方なら一度は聞かれたことがある名前ではないでしょうか。昨年4月に国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」は、世界各地にある8台の電波望遠鏡を結集して前人未踏の超高分解能観測を実現し、ブラックホールの「直接撮像」を成し遂げました。あの「黒い穴」こそが、M 87の中心にある巨大ブラックホールであり、太陽の65億倍もの質量をもつことが知られています。M 87のブラックホールは地球を含む「おとめ座超銀河団」の最も中心にいるわけなので、我々の総元締め、ボス猿のような存在だと言えます。今回のお話は、このボス猿と、それを取り巻く銀河団の密接な関係についてです。

宇宙の力学的進化と銀河団

そもそも、M87のブラックホールは何をもって我々の「中心」とされるのでしょうか。一言で言うと「重力場の中心」だからです。銀河団は文字通り「銀河の集まり」ですが、それらはたまたま近くに集まっているわけではなく、一つの大きな重力場の中に捉えられています。重力を生み出すのは、水素のような普通の物質とダークマターです。後者の正体はまだわかっていません。しかし、銀河団1つあたりのダークマターの総質量は太陽の百兆倍をも超えることが知られており、BCGに向かう強い重力場を作ります。実はこのような重力場が存在する理由は、宇宙の初期にまで遡ります。生まれた直後、つまり138億年前の宇宙は、ほとんど一様等方だったものの、ほんの少しだけ密度のムラがありました。すると、密度の高い部分が重力で周りの物質を引き寄せて、段々と成長していきます。こうして巨大化したのが、銀河団に他なりません。つまり銀河団とは、ちょっとしたお金持ちが庶民から搾取して大富豪になった姿だと捉えることができます。

さて、ダークマターは正体がよくわからないので一旦脇に置いておくとして、強い重力に引き寄せられた通常の物質(水素やヘリウムなどの軽元素と、酸素や鉄などの重元素)はどうなるのでしょうか。それらはまず、落下に伴って大きな運動エネルギーを獲得します。やがて銀河団の中心に降り積もる物質同士がぶつかり合い、運動エネルギーは熱エネルギーへと変換されます。そのエネルギーは凄まじく、大きな銀河団の場合、1,000万度を超える「高温ガス」になります。ガスと言っても、これほどの高温になると、水素原子が電子と陽子に電離した「プラズマ」の状態です。水素だけでなく、酸素や鉄などの重元素も全て電離します。そしてX線で光ります。X線とは、波長の短い光(電磁波)の一種です。一般に温度が高い物質ほど波長の短い光を出し、数100万度から数億度の物質に対応するのがX線の波長です。XRISMが捉えようとしているのは、銀河団を取り巻く高温プラズマからのX線放射です。

図1 銀河団エイベル383の可視光画像(左)とX線画像(右)

図1 銀河団エイベル383の可視光画像(左)とX線画像(右)。可視光では個々のメンバー銀河が、X線では銀河間を満たす数千万度のプラズマが見える。
X-ray: NASA/CXC/Caltech/A.Newman et al/Tel Aviv/A.Morandi & M.Limousin; Optical: NASA/STScI, ESO/VLT, SDSS

図1に、同じ銀河団を可視光(左)とX線(右)で見た姿を示します。可視光では一つ一つの銀河が島のように見えるのに対し、X線では高温プラズマがまるで海のように広がって見えます。銀河団に含まれるプラズマの質量を測ると、何と銀河(星)を全て足し合わせた質量より一桁も大きいことがわかります。ダークマターの総質量は、さらにその数倍です。つまり可視光で見える銀河団はその天体の本質ではなく、海の上に浮かぶ氷山の一角に過ぎないのです。

XRISMが挑む銀河団の謎

銀河団のように自分自身の重力で形を保つ天体を「自己重力系」と呼びます。太陽などの恒星も自己重力系です。天体を構成する物質同士が重力で引き寄せ合いながらも、潰れてしまうところまではいかず丸い形に収まる。なぜ潰れないかというと、高温の物質が中心から外側に向かう圧力勾配を作り、内向きの重力に拮抗するためです。銀河団の場合、X線で見える高温プラズマが圧力の担い手です。プラズマとダークマターの絶妙なバランスによって、銀河団は支えられているのです。

しかし、このバランスはいつまでも保てるわけではありません。銀河団のコア、つまりBCGの近傍は、X線で特に明るく輝いています。光はエネルギーを持つので、明るく輝くということは、その領域が放射冷却によって継続的にエネルギーを失っていることを意味します。観測される明るさ等に基づいて概算すると、今見えているような放射冷却が続いた場合、銀河団のコアは数億年で冷えきってしまうことがわかります。これは、銀河団の年齢(約100億年)に比べるとあっという間の時間です。もし本当にそのような短時間で冷えるのだとすると、コアは圧力を作れないので銀河団は形を保てなくなります。その結果、重力に引きずられた物質が一気にコアへと流れ込み、大量の星が生まれるだろうという予想も、かつてはありました。しかし実際には、銀河団は安定に存在しているし、コアは熱いまま。冷えた物質から大量の星が生まれているような証拠もありません。したがって、何かがエネルギーを供給し、銀河団コアを温め続けている(放射冷却による損失を相殺している)はずです。その「何か」の最有力候補こそが、BCGの中心に居座るボス猿ブラックホールです。ブラックホールはひたすら物を吸い込むイメージが強いですが、実はそれだけでなく、強烈なジェットを吹き出すことが知られています。吹き出したジェットは周りのプラズマをかき回して、暖かいガスの流れ、つまり「銀河を吹き渡る風」を作っているはず。これを確かめるのが、XRISMの役目の一つです。

図2 おとめ座銀河団の中心楕円銀河M 87のX線(青)および電波(赤)の合成画像

図2 おとめ座銀河団の中心楕円銀河M 87のX線(青)および電波(赤)の合成画像。中心ブラックホールからのジェットによってプラズマが吹き飛ばされているように見える。
X-ray: NASA/CXC/KIPAC/N. Werner, E. Million, et al.; Radio: NRAO/AUI/NSF/F. Owen

実はこれまでにも、ボス猿ブラックホールが風を送っているらしき様子は、様々な銀河団で確認されています。冒頭で紹介したM 87もその一つで、ブラックホールからのジェットがプラズマを吹き飛ばしているように見えます(図2)。しかし、このプラズマがどれほどの勢いで吹き飛ばされているのか、銀河団を十分に温められるほどのエネルギーを持つのか、誰も結論できていません。なぜなら、ガスの動きを捉えられていないからです。XRISMは初めて「風」を捉えるだけでなく、「風速」の測定まで行います。

XRISMの特長は、並外れた波長分解能

XRISMが挑戦する風速測定にはドップラー効果を利用します。銀河団のプラズマに含まれる重元素は、それぞれ特定の波長のX線で光ることが知られます。しかしそれは、プラズマが止まっている場合の話です。プラズマがこちらに近づいてくる場合は波長が短く、遠ざかる場合は波長が長くなります。XRISM最大の特長の一つが、このようなドップラー効果による僅かな波長のずれを識別する能力です。元の波長の0.01%以下の違いまで識別します。さらに、XRISMが識別できるのは、波長が一方向にずれた場合だけではありません。銀河団中心のボス猿ブラックホールが周囲のプラズマをぐちゃぐちゃにかき混ぜているのだとすると、台風のような乱気流が吹いていると考えられます。すると我々のところには、遠ざかるプラズマからのX線と、近づくプラズマからのX線が混ざって届くことになります。XRISMはその混ざり具合(輝線スペクトルの幅)から、乱気流の速度分散まで測ります。たくさんの銀河団を観測して、乱気流の激しさとボス猿ブラックホールの活動性(ジェットの強さなど)の相関関係を調べます。それによって、銀河団コアがどのようなプロセスでエネルギーを獲得しているのか、どのようにして安定な状態を保ち続けるのかを明らかにします。それらを突き詰めると、宇宙がなぜ今のような姿をしているのか、星の生まれるスピードは何によって決まるのか、という根源的な問題に行き着きます。XRISMが「銀河を吹き渡る風」を捉え、宇宙の謎を解き明かすまで残り2年。どうぞご期待ください。

【 ISASニュース 2020年3月号(No.468) 掲載】