月極域の水に関するこれまでの研究

近年、様々な月探査による観測データの解析により、月極域(本稿では緯度85度以上の領域を極域と表現します)で太陽光の直接の照射が無いような低温領域に、水が氷ないし霜のような形態で存在しているのではないか、との報告が複数出ています(以下、水分子も水酸基もまとめて水と表現します)。月が誕生した頃から含まれている月本来の水の量は、地球などに比べて少ないと考えられていることや、月の水(氷にしろ霜にしろ)が月の極域に特に濃集しているという観測データがあるという理由から、月の極域で観測されている水は、彗星が月に衝突するなどの形で外部から月面にもたらされたものであると推定されています。ただし、月極域の水の証拠として報告されている観測データには課題もあり、これまでのところ科学者の誰もが認めるような確定的な結果は得られていません。また、水が本当に存在するとしても、その存在量(総量)については研究ごとの推定値に1桁以上のばらつきがあり、本当のところはよくわかっていないというのが現状です。

例えば、月周回衛星に搭載した観測機器を使って月面からの中性子を観測する方法があります。月面に降り注ぐ銀河宇宙線と月面の物質が衝突して高いエネルギーを持つ中性子が生成されます。生成された中性子は月面を構成する物質の原子核と何度も衝突して散乱され、その結果として減速しながら一部が月面から出てきます。この時、中性子の質量は陽子の質量とほぼ等しいため、質量数が小さい原子核と衝突する場合により減速され、衝突の相手が水素原子核(=陽子)の場合に中性子は最も効率的に減速します。そのため、中性子がどれだけ減速されたのか、月面から漏れ出てくる中性子を特定のエネルギー範囲について観測することによって、月面に減速に関与する元素(すなわち水素)がどれだけ存在していたかを知ることができます。これまでに、この原理を用いて月面の水素の分布が示されており、水素が極域に濃集していることまでは多くの研究者が認めていますが、測定原理上、この手法では水素が存在すると言えるだけで、それが水分子(H2O)の形で存在するのか、水酸基(OH)として存在するのかまではわかりません[1]

また、別な研究で物体を月面の高緯度領域に衝突させ、その放出物を観測した例では[2]、気体の水や他の分子が近赤外波長帯の分光観測によって同定されていますが、この結果は衝突を受けた特定の場所についてのみ有効な情報であり、他の場所のことはわからず、水が極域に全体としてどれだけの量存在しているのか、総量の推定は困難です。加えて、分光観測データから水の濃度を推定する場合は、誤差が大きいことも課題とされています。別の観測機器による月面全体の可視・近赤外波長域の分光観測データの解析から、月表面に水氷の存在を示す3μm帯の反射スペクトルの吸収が見られたとする報告もあります[3]。ただし極域では太陽高度が低く、月面からの太陽光の反射信号強度が弱いため、ノイズの影響が無視できず水氷の吸収の有無の判別が困難であることや、月表面では水が氷として存在できないはずの温度が比較的高くなる領域にも水氷の吸収が分布してみえることなどから、観測データの信憑性については研究者の間でも意見がわかれています(月極域の水氷に関するこれまでの研究の詳細については[4]にまとめられています)。

月極域の水を調べる探査

これまでの研究では確定的な結果は得られていないと書きましたが、もし本当に月極域に水が氷として存在していて、その存在量がある程度高ければ、この水を採取したのちに月面上で電気分解することで、例えば月面から地球に帰還するためや、より遠方の火星を目指した探査を実施するための燃料資源として利用できる可能性があります。ただし、月面の水を利用することにメリットがあるのかどうかは、将来何回の月や火星探査を行うのか、またそこで必要な燃料はどれだけの量なのか、月面にどれだけの濃度・総量の水がどのような形で分布しているのか、それらの採取や水の抽出にどれだけのエネルギーや設備が必要か、などに依存しています。また、そもそも月極域に水が存在するかどうかについても、直接的で誰もが認める観測データを取得する必要があります。

これに対して、JAXAでは昨年7月に設立した国際宇宙探査センターを中心に、国際宇宙探査の枠組みで行うシリーズ探査の最初のミッションとして、月極域探査の実施を検討しています。具体的には、月極域の水の量や質(氷として存在するのかどうかや不純物の有無など)を調べ、それを資源として利用することができるかどうかを決定づけるための観測データ取得を目指します。打上げは2020年代前半を目指し、打上げロケットとローバをJAXAが、着陸機をインド宇宙研究機関(ISRO)が担当する計画です(図1)。

図1 月極域探査機の構成・主要諸元と開発担当

図1 月極域探査機の構成・主要諸元と開発担当

月極域探査の科学的な意義

国際宇宙探査センターで検討している月極域探査では、極域の水の資源利用可能性を評価することを主な目的にしていて、月の起源や進化を解明すると言った科学的な問題を解決するための探査とは位置付けが違っています。しかし、月極域探査を通じて月に外部由来の水が本当に存在しているとわかったならば、その起源や供給量などを知ることで、科学的に見ても重要な問題に迫れます。

例えば、水の起源が彗星や小惑星などの天体であることがわかった場合には、その供給量や供給速度をモデル計算などにより推定することで、現在の地球や月の周辺に外部からもたらされる水の量を推定することにつながります。また、その供給量や供給速度が地球や月ができた頃と現在でどう変わったのかを考えることで、地球の水の起源を理解することにつなげられる可能性があります。一方で、月極域の水氷の起源が太陽風である場合には、月のようなほとんど大気を持たない天体表面において、太陽風と岩石、あるいは岩石が粉砕されたレゴリス粒子との反応により、水もしくは水酸基が形成されることの証拠になるかも知れません。さらに、もしこのような太陽風と月面物質の反応速度が、彗星や小惑星による水氷の供給速度に比べて大きい場合には、太陽系内での水の起源としても太陽風の寄与を考える必要があるということになるかも知れません。

月極域探査で行う観測(例)

実際にどのように水の起源を知ることができるのでしょうか。月極域探査では水が本当に存在するのか、またその起源などを知るために、まずこれまでの観測データをもとに、水氷が存在すると考えられる領域に着陸します。これまでの中性子観測データや熱赤外波長域での観測による月面の温度データなどからは、水氷は表面でなく地下数10cm 〜1.5m程度の領域に存在している可能性が高いと推定されています(表面でも非常に温度が低い永久影の領域では、水氷が表面に存在している可能性もあります)。中性子観測データによると、極域ならば大体どこに着陸しても(多少の濃度の差はあるにしても)水素が存在しているようです(ただし、中性子観測データの空間分解能が低いためにそのように見えるだけで、実際に月面上に降りてみると場所による差がある可能性もあります)。着陸後はローバで移動しながら中性子観測や分光観測、地下レーダー観測などを行い、水氷が存在する可能性が高そうであるという場所を特定します。次にその場所でアースオーガ(ローバに取り付けられたドリルのようなものです)を使ってレゴリスを掘削し、マニュピレータなどを使ってサンプルの採取を行います。その後でサンプルを加熱して水氷を気化させ、水素同位体の分析を行う予定です。彗星や小惑星起源の物質であれば、水素同位体比(D/H比)は太陽風のそれに比べて約2桁高いことが知られており、その分析により、採取された水が太陽風起源もしくは彗星や小惑星起源なのかを切り分けることができると考えています。また、加熱して水氷を気化させる間に、サンプルの質量と温度を継続的に測定することによって、水の含有量を測定することも考えています。

なお、水氷が彗星や小惑星起源である場合には、水だけでなくメタンなど他の揮発性成分も同時に月面に供給された可能性が高いと考えられることから、それら揮発性成分の有無やそれらの量比を質量分析計により測定することも合わせて重要な情報です。この情報は科学的な意義だけでなく、水を資源的に利用することを考えた場合に、どの程度の不純物の除去が必要なのかを把握するのにも役立ちます。現在、国際宇宙探査センターで検討している月極域探査では、図2で示すような観測を行うことを検討しています(ここで示しているのは観測の例であって、実際に搭載する観測機器は決まっていません)。

図2 月極域探査における観測コンセプト

図2 月極域探査における観測コンセプト
まずローバで走行しながら疎観測を行い、水氷の存在が推定される場所で走行を停止し、詳細観測を行う。ここで示すのは観測の例であり、搭載する観測機器は決まっていない。

最後に

月極域探査は、将来の月・火星探査や有人宇宙探査を見据えて国際宇宙探査の枠組みで行う探査として検討されています。従来の科学探査とは異なる点もありますが、一方で国際宇宙探査の枠組みで行うシリーズ探査の1つとして検討されているということは、長期的な視点で継続的な観測機器の開発ができる可能性がある点など、プラスの面もあるのではないでしょうか。月や火星など惑星探査に深く関わっている日本惑星科学会は、今年5月に今後の月惑星探査計画について記述した文書(JAXAからの情報提供依頼(RFI)への回答文書の改訂版。日本惑星科学会のホームページ[5]で公開されています)をまとめました。その中では、国際宇宙探査の枠組みで行う探査についても新しく記述が追加され(今回紹介している月極域探査と、その次に実施することが検討されている月からのサンプルリターンミッションHERACLESが追加されました)、新しい枠組みによる探査を考える議論は始まっています。

引用文献
[1] Sanin, A. B. et al., 2017, Icarus 283, 20.
[2] Colaprete, A. et al., 2010, Science 80, 463.
[3] Li, S. et al., Proc. 2018, Natl. Acad. Sci. 201802345.
[4] 特集「月揮発性成分の研究による科学と探査」、2019, 日本惑星科学会学会誌、28, 4.
[5] https://www.wakusei.jp/~RFI_kaitei2018/for_all/

【 ISASニュース 2019年7月号(No.460) 掲載】