かつて海が存在し地球と似通った環境であったと考えられる火星。その火星がどのようにして水を失い、現在のような乾燥・寒冷化した惑星となったのか。ここでは、火星隕石に記録された火星の水の歴史を解読していく。

周回機探査による火星の水の探索および問題点

火星は地球から最も近い距離にある生命の存在条件を満たした惑星として、欧米を中心に数多くの探査研究が行われており、火星に関する我々の知見は近年、飛躍的に向上している。特に、Mars Express(ESA)やMars Reconnaissance Orbiter(NASA)などによる可視・赤外分光観測により、約30億年より古い地質体を中心に多くの流水地形や多種類の含水粘土鉱物が広範囲にわたり相次いで発見され、火星はかつてその表層に液体の水が存在しうるほど温暖で湿潤な環境であったことが示唆されている。一方で、現在の火星は極域に少量の氷が発見されているのみである。液体の水の存在は惑星気候の指標である惑星表面温度や大気組成に制約を与える。そのため,火星のH₂Oの状態(氷・水・水蒸気)およびその総量が時代と共にどのように変化していったのかを知ることは、火星の環境史を理解するためにも必要不可欠である。

火星にかつて存在した海(古海洋)の大きさに関しては、これまで地形データを基にした研究が精力的に行われてきた(図1)。特に、周回機探査から詳細な地形情報が得られるようになった2000年代以降、三角州などの地形情報を基に推定された海岸線の高度分布と、クレーター密度から得られた年代情報を組み合わせることで、古海洋の体積の時代変化を推定することが可能となった。しかしながら、このような地形学に基づいた推定は、地質記録が残されていない約40億年以前の海の情報や、固体として存在する氷に関する情報が得られないといった、手法上の限界が存在する。例えば、レーダーサウンダーを用いた地下構造探査により、古海洋に匹敵する量の水が現在でも氷として地下に存在している可能性が示唆されているにもかかわらず、この地下氷の量に関しては全く制約が与えられていないのが現状である。

水(海洋・湖)および氷(極冠氷・地下氷など)を含めた火星のH₂Oの総量の変遷を定量的に理解するためには、従来の地形学的研究とは独立したアプローチが必要であった。火星は、多くの探査研究に加え、隕石試料が存在する唯一の惑星であり、またその火星隕石の試料数は近年著しく増加している。隕石は火星上での産状が不明瞭であるという欠点があるものの、リモートセンシングに頼らざるを得ない探査研究と比較し、実験室での詳細な岩石記載・化学分析により高精度の地球化学的情報を得ることが可能である。本記事では、火星隕石に含まれる水の水素同位体(D/H比)分析から得られた、「火星の水の歴史」に関する最新の知見を紹介する。

図1 火星の北極側からみた地形図

図1 火星の北極側からみた地形図。2つの黒線は、異なる時代に存在した古海洋の海岸線を表し、時代により海水量が異なっていたことを示唆する(Head et al. 1999)。

地質体とは地質学的な構造体のことを示し、一般的には、岩石や土壌、化石などを含む地層や岩体などから構成される。過去の海底に連続的に蓄積された堆積層(例えばカルスト台地)や、一連の火山活動で形成された火山堆積層(ローム層)などが例として挙げられる。ちなみに、相模原市古淵には関東ローム層の露頭が見学できる場所がある。

隕石の水素同位体分析の課題と解決方法

水の主成分である水素の同位体は、海や氷床の蒸発および水蒸気を含む大気の宇宙空間への散逸過程において顕著な同位体分別を生じることから、惑星表層水の歴史を知るうえで優れた化学的トレーサーである。一方、水素同位体は二次的変質や分析時の汚染の影響を受けやすいため、火星隕石をはじめとした地球外試料に関して信頼性の高い分析が行われてこなかったというのが現状であった。

我々は、NASAおよびカーネギー研究所との共同研究により、二次イオン質量分析計(SIMS)を用いた低汚染での水素同位体分析法を開発してきた(Usui et al. 2012, 2015)。SIMSは酸素やセシウムなどを収束一次イオン源として用いることにより、局所領域(一般的には10 µm以下)での高精度同位体分析が可能な装置である。このSIMSを用いることで、火星や地球上で生じた二次的変質部分を避け、未変質部分のみを局所分析することが可能となる。しかしながら、火星隕石は、火星から放出される際の衝撃(>20 GPa)により生じた微細なクラックが無数に存在する。従来、SIMS分析で用いる研磨片を作成する際には、試料硬化剤として石油化学系の樹脂を使用する。この石油化学系の樹脂が微細なクラックに浸透し、SIMS分析の際の最も致命的な汚染源となった。そこで我々は、石油化学系樹脂の代わりに液体インジウムを用い、真空下で試料を固定することで、樹脂からの汚染の影響を取り除くことに成功した(図2)。

>図2 インジウムメタルに包埋された火星隕石試料(低汚染分析用)

図2 インジウムメタルに包埋された火星隕石試料(低汚染分析用)。隕石の局所領域(<10 µm)から水素イオン(DおよびH)を検出する。

隕石に記録された火星の水の歴史

望遠鏡による分光観測や、火星探査車によるその場同位体分析により、現在の火星大気および表層水のD/H比は地球海水の約6倍という高い値が得られている。一方、我々によって開発された水素同位体分析法を始原的な火星隕石に適用することで、45億年前の火星誕生時に火星マントルに取り込まれた水(初生水)が、地球海水と同様(~1.3倍)なD/H比を示すことが明らかとなった(図3)(Usui et al. 2012)。このような火星史を通じたD/H比の大幅な上昇(地球海水の1.3倍から6倍)は、過去の大規模な海や大気の散逸の結果と考えられている。なぜなら、海水や大気中の水蒸気の散逸過程では、相対質量の重い重水素(D)よりも軽水素(H)が選択的に宇宙空間へ流出するからである。我々は、水素同位体分別効果を組み込んだ火星大気進化モデルを構築し、火星隕石から得られた約45億年前から近過去までの様々な時代における水素同位体データの解析を行った。その結果、火星の初期水量の半分以上が火星誕生後4億年間で宇宙空間へ流出したことが明らかとなった(Kurokawa et al. 2014)。また、我々の解析結果と、地形学から得られている古海洋の規模とを比較した結果、極域で確認されている氷の量をはるかに上回る量の水素が火星の地下に現存している可能性を示した。

図3 水素同位体プロット

図3 水素同位体プロット。(左)太陽系に存在する水と、(右)火星に存在する水の同位体組成の比較(Usui et al. 2015)。

火星の水の貯蔵層

火星地下の水素貯蔵層の検出を目指し我々が新たに着目したのは、火星隕石中に含まれる衝撃ガラスである。衝撃ガラスとは、火星への小天体の衝突により形成されたものであり、その衝撃により火星大気・表土成分が混入していることが示唆されている。SIMSを用いた衝撃ガラス分析の結果、火星表層水成分が、マントルに保持されている初生水とも火星大気中の水蒸気とも異なる、中間的な水素同位体比(地球海水の2-3倍)を保持することが明らかになった(図3)(Usui et al. 2015)。また、我々の発表の約1カ月後、火星表層で探査を行っていたキュリオシティローバーにより、過去の湖底粘土堆積物からも同様な中間的な水素同位体比(地球海水の3倍)が報告された(Mahaffy et al. 2015)。この中間的な水素同位体は、表層水(海・湖)や地下水からなる液体水の循環が活発であった頃(約40億年前)の表層水の水素同位体比を反映していると考えられる。このことから、我々は、当時の水循環により形成された含水層が現在においても地下に水素貯蔵層として存在しているという結論に至った(図4)。近年(2015年以降)、地下帯水(氷)層からの季節的な塩水の浸出で形成されたと解釈されている地質現象(Ojha et al. 2015)や、層厚100mを超える地下氷そのものの露出が多数確認されるようになり(Dundas et al. 2018)、我々の予想した地下の水素貯蔵層の存在に関する地質学的な証拠が積み上げられつつある。

図4 水素の地下貯蔵層の場所を表した火星の模式断面図(Usui et al. 2015)

図4 水素の地下貯蔵層の場所を表した火星の模式断面図(Usui et al. 2015)。過去に海洋があったとされる北半球の低地(図1)に(上)含水地殻、あるいは(下)凍土層として存在している可能性が高い。

今後の展開

我々の研究により、一見すると乾燥した砂漠のような惑星である火星に、現在でも大量の水素が氷(H₂O)あるいは含水鉱物(OH基)として地下に存在していることが示された。水素は重要な生命必須元素のひとつであるため、この地下の水素を利用した火星生命が、紫外線や宇宙線の影響を逃れるかたちで存在している可能性が示唆される。

一方、今回のような隕石研究では、地下水素の分布を厳密に特定することはできず、レーダーなどを用いたグローバルな地下リモートセンシング観測が必要となってくる。今後は火星サンプルリターンや火星有人探査といった、火星生命(あるいはその痕跡)の検出を第一目的とした探査が国際的に数多く計画されており、この研究成果がこれら探査計画の策定に強く反映されることが予想される。日本においても、現在、本格的な火星探査プログラムが検討されており、2024年の打上げを目指すMMX(Martian Moons eXploration)、そして2030年代の火星地下水圏・生命圏探査を今後20年のマイルストーンに見据えた検討が行われている(2017 Request for Information、惑星科学会)。

注記1:本記事は筆者が『Isotope News』(2015年10月号、出版:日本アイソトープ協会)に寄稿した解説論文(臼井、2015)をもとに、2018年10月時点での最新の知見をもとに改定を加えたものである。

注記2:火星の水の歴史に関しては『Volatiles in the Martian Crust』(Elsevier出版)のChapter 4(Hydrogen Reservoirs in Mars as Revealed by Martian Meteorites, by Usui 2019)に詳しい内容が書かれているので、ご興味がある方はご参考いただきたい。

文献情報

Dundas C. M., et al. (2018). Exposed subsurface ice sheets in the Martian mid-latitudes. Science, 359(6372): 199-201.

Head J. W., et al. (1999). Possible ancient oceans on Mars: evidence from Mars Orbiter Laser Altimeter data. Science, 286(5447): 2134-2137.

Ojha L., et al. (2015). Spectral evidence for hydrated salts in recurring slope lineae on Mars. Nature Geoscience, 8(11): 829.

Usui, T. (2019) Hydrogen reservoirs in Mars as revealed by Martian meteorites, in "Volatiles In The Martian Crust" (Eds. Filiberoto J. and Schwenzer S. P.), Elsevier.

Usui T., Alexander C. M.O'D., Wang J., Simon J. I., and Jones J. H. (2015) Meteoritic evidence for a previously unrecognized hydrogen reservoir on Mars. Earth and Planetary Science Letters 410, 140-151.

臼井 寛裕(2015)Isotope news https://www.jrias.or.jp/books/pdf/201510_TENBO_USUI.pdf

Usui T., Alexander C. M.O'D., Wang J., Simon J. I., and Jones J. H. (2012) Origin of water and mantle-crust interactions on Mars inferred from hydrogen isotopes and volatile element abundances of olivine-hosted melt inclusions of primitive shergottites. Earth and Planetary Science Letters 357-358, 119-129.

【 ISASニュース 2018年12月号(No.453) 掲載】