重力波の初検出

ついに重力波が検出された!2015年9月14日、アメリカの重力波検出器Advanced LIGO が、13億光年遠方で起こった太陽の30倍程度のブラックホール連星の合体から放射された重力波を検出したのである。これにより、宇宙を重力波によって観測する重力波天文学が創成され、従来の電磁波や宇宙線などによる観測とあわせて、我々が宇宙をより深く理解していくことが可能となった。

実は、宇宙科学研究所は重力波検出の歴史にとって非常に重要な役割を果たしてきた。さらに、今後は宇宙研と重力波研究の関係はより一層密なものになっていくことが予想される。このあたりの事情をご存じでない方もいらっしゃると思うので、重力波研究と宇宙研の関係をここにまとめておく。

TENKO-10の誕生

1983年4月、東京大学大学院に入学した私は、宇宙研の河島信樹先生に師事した。宇宙プラズマの研究を行っていた河島先生は、ちょうどその頃新たな研究分野の模索を始めたところであった。1年先輩の平尾淳一さん(現・大東文化大学教授)と一緒にいくつかの可能性について検討した結果、河島先生の下した結論は、『当時日本ではまだ誰も行っていなかった、レーザー干渉計を用いた重力波検出実験に挑戦する』というものであった。離れた位置に鏡を2枚吊り下げ、重力波によって引き起こされる鏡間の距離の変化を、レーザー干渉計を用いて計測するのである。この決断は、後から振り返ってみるとまさに慧眼であったと言えよう。果たして、その後、それまで重力波検出のメインストリームであった共振型重力波検出器に取って代わって、レーザー干渉計型重力波検出器の時代がやってきたのである。

テーブルトップ実験などの技術開発に続いて、1987年頃から建設された日本初の本格的な重力波検出器プロトタイプが、10mのアーム長を持つTENKO-10(図1参照)である。当時、宇宙研は駒場から相模原に移転しつつあるところであり、TENKO-10は初期の段階で相模原キャンパスD棟3階のプラズマ実験室内に建設された。同じ実験室には柳澤正久さん(現・電通大教授)が担当していたレールガンや、齋藤宏文さん(現・宇宙研教授)が担当していたフリーエレクトロンレーザーの装置があった。レールガンを発射する時やフリーエレクトロンレーザーを動作させる時は警報が鳴り、実験全般のサポートをしてくださっていた矢守章さん(元・宇宙研技官)らとともに、皆で実験室の隣の居室に避難したものである。

レーザー干渉計型重力波検出器プロトタイプTENKO-10の写真

図1  相模原キャンパスD棟3階のプラズマ実験室内に建設された、10mのアーム長を持つレーザー干渉計型重力波検出器プロトタイプTENKO-10。

河島先生は、当時世界一の感度を誇っていたドイツのマックスプランク研究所の、30mプロトタイプの中心的研究者であったRoland Schilling氏(残念ながら去年お亡くなりになった)を、駒場時代と相模原への移転後の2度、招へいしてくださった。特に相模原では、TENKO-10の立ち上げを一緒に行うことによって、我々はSchilling氏から光学、制御、電子回路など干渉計の理解に必要な全ての技術を学んだ。特に装置の感度を上げるために、どのようにしてノイズハンティングを行っていくかについて、実際の雑音と向き合ってあれやこれやと試行錯誤を繰り返しながら、いろいろな雑音を同定し、そしてそれを低減していった。その結果、TENKO-10の感度の方もぐんぐんとよくなっていき、1989年には、30m プロトタイプに鏡の変位に対する感度であと1ケタと迫るまでになった。このノイズハンティングの経験は、のちに重力波検出器の感度を上げていく上での大きな財産となった。その後、超新星1987Aの残骸にパルサーが見つかったという報告がアレシボ天文台でなされ(これはテレビの雑音であったことがのちに判明)、我々はパルサーから放射される重力波を検出するため、TENKO-10による100時間以上の重力波観測を行った。重力波の検出には至らなかったが、比較的良い感度で非常に安定に動作したという事実は、レーザー干渉計型重力波検出器の実験をさらに進めていく上での大きな自信となった。

TENKO-100の建設

TENKO-10の研究をまとめて博士号を取得した私は、その後カリフォルニア工科大学(Caltech)に移ったのであるが、河島先生はさらに大きな装置の建設に取り掛かった。これが当時としては世界最大の、100mのアーム長を持つ重力波検出器プロトタイプTENKO-100(図2参照)であった。TENKO-100の中心部は相模原キャンパスの敷地の東の角に位置しており、そこから北西と南西の方向にそれぞれ100mのアームを伸ばしていた。1992年、私は1年間だけTENKO-100の建設を手伝うことにした。当時、大学院生だった三代木伸二君(現・東大宇宙線研准教授)や高橋竜太郎君(現・国立天文台助教)らと一緒にTENKO-100の立ち上げを行った(ちなみに彼らは現在、KAGRAの主要な役割を担っている)。何とか、宇宙研滞在中に、干渉計の一応の動作まで漕ぎつけたいと思い必死に頑張ったが、残念ながらあと一歩及ばず後ろ髪を引かれる思いでCaltechに戻った。そしてその数日後に三代木君らから「動作しました!」という知らせが来たのを覚えている。

TENKO-100の資料の写真

図2  相模原キャンパスの敷地内に建設された、100mのアーム長を持つレーザー干渉計型重力波検出器プロトタイプTENKO-100。(河島信樹先生 提供)

なお、河島先生はその後もTENKO-3000を理学委員会に提案するなど重力波初検出に向かって精力的に働きかけた。また、当時、宇宙研では臼田の64m電波望遠鏡を用いたパルサータイミングや衛星のドップラートラッキングによる重力波観測実験も行われていたことを申し添えておく。

さて、私は、1997年にCaltechから国立天文台に異動し、当時国立天文台のキャンパス内に建設中であった300mのアーム長を持つTAMA300のプロジェクトに参加した。そして日本の重力波グループのメンバー全員の努力の結果、ついに2000年に世界最高感度を達成し、2001年には1000時間以上の長期観測も行った。

DECIGO計画の検討

その頃私は将来計画としてスペース重力波アンテナの検討も始めた。当時、ESAとNASA が推進していたスペース重力波アンテナLISAの狙う周波数帯(1mHz~100mHz)と地上の検出器の狙う周波数帯(30Hz~3kHz)の間に面白い物理はないものかと中村卓史さん(2016年の3月まで京都大学教授)に相談したところ、その後、瀬戸直樹さん(現・京大助教)が、遠方にある中性子星連星からの重力波の波形を0.1Hz~1Hzあたりで精密に測定することにより、宇宙の膨張加速度が直接測定できるという素晴らしいアイデアを考え出してく れた。そこで、3人でそれに関する論文を書き、その論文の中で、このスペース重力波アンテナをDECIGO(図3参照)と命名した。

スペース重力波アンテナDECIGOの概念図

図3  スペース重力波アンテナDECIGO。1,000km離れたドラッグフリー衛星の中にある鏡の間で光共振器型レーザー干渉計が構成される。

DECIGOはその後、主たる目的として宇宙誕生後10-34秒頃に起こったと考えられているインフレーションの時代に発生した重力波の検出に焦点を移し、そして安東正樹君(現・東大准教授)らとともにそれを可能にするための予備概念設計を行った。DECIGOは宇宙科学ミッションであるので、船木一幸さん、高島健さん(いずれも宇宙研准教授)、河野功さん(JAXA研開部門)らの衛星の専門家にも検討に加わっていただいた。もしDECIGOが成功してインフレーションからの重力波を検出することができれば、インフレーションの存在、そしてそれがどのように起こったかなどの謎を解き明かすことができる。DECIGOは他にも多彩なサイエンスの目的を持ち、以下にその一部を示す。(1)遠方の中性子星連星からやってくる重力波の波形を精密に測定することにより、宇宙の膨張加速度を直接計測しダークエネルギーの特性評価を行う。(2)インフレーション期に生成された重力波には宇宙の再加熱の情報が刻まれるので、そのスペクトルを計測することにより、宇宙の熱史を決定する。(3)遠方の中間質量ブラックホール連星の合体からの重力波イベントの頻度を調べることにより、銀河中心の巨大ブラックホールの形成のメカニズムを解明する。(4)中性子星とブラックホールの連星からの重力波の波形を精密に測定することにより、修正重力理論に対してこれまでより4ケタ強い制限をつける。(5)インフレーションからの重力波の右回りと左回りの偏極に対する非対称性を観測することにより、初期宇宙におけるパリティー対称性を検証する。また、DECIGOの前哨衛星であるPre-DECIGOにより、Advanced LIGOが見つけたような、太陽質量の30倍程度のブラックホール連星がよりたくさん見つかり、その形成のメカニズムが解明されることも期待できる。なお、すでにDECIGO実現への第一歩として、2009年に安東君らが中心になって行った超小型重力波検出器SWIMμνの打ち上 げと運用に成功している。

ところで、国立天文台において私は、DECIGOや地上の第3世代検出器のための技術開発も行っていた。その頃、研究棟の改修に伴って実験室がなくなり、途方に暮れていた私に救いの手を差し伸べてくださったのが、当時、国立天文台先端技術センター長だった常田佐久さん(現・宇宙研所長)であった。常田さんは我々の行っている実験を見て「面白いね!」と言ってくださり、先端技術センターの巨大な実験室を使わせていただけることになった。おかげで我々は『Physical Review Letters』論文7本を発表するなど素晴らしい成果を上げることができた。

KAGRAからDECIGOへ

その後、2010年に待望のKAGRA(図4参照)の予算がつき、私はKAGRAに専念するため東大宇宙線研に異動した。KAGRAは神岡の地下に設置された3kmのアーム長を持つ重力波検出器であり、鏡の熱雑音を低減するため低温のサファイア鏡を用いている。現在、KAGRAは第1段階のinitial KAGRAの試験運転が終了し、最終段階であるbaseline KAGRAの建設に取り掛かったところである。そして、2017年度中の低温干渉計の動作を目指している。

大型低温重力波望遠鏡KAGRAの写真

図4 神岡の地下に建設された、3kmのアーム長を持つ大型低温重力波望遠鏡KAGRA。(東大宇宙線研・重力波観測研究施設 提供)

今後は一刻も早くKAGRAを完成させ、LIGOやVirgoとともに世界の重力波観測ネットワークに加わり、重力波天文学をさらに発展させていく必要がある。その次はPre-DECIGOを打ち上げ、ブラックホール連星形成のメカニズムを解明し(ノーベル賞クラスの研究!)、そしていよいよDECIGOを打ち上げ、前述のきらめくようなサイエンスを達成し(いったいノーベル賞何個分の研究だろうか?)、私としては、ゆっくりと宇宙の産声に耳を傾けたいものである。

(かわむら・せいじ)

ISASニュース 2016年8月 No.425 掲載