大気の年齢という見出しに何を思い浮かべますか?地球史46億年における大気形成後の時間ならハズレです。ここで議論する年齢は、大気が高度15km付近より上空の成層圏に流入してからの

経過時間を指します。紛らわしい!と叱られるかもしれませんが、サイエンスの世界でも呼び方は結構重要です。うまい命名をすれば(もちろん中身が伴わなくてはいけませんが)、面倒な説明がなくても記憶に残ります。成層圏流入後の経過時を誰が最初に年齢(age)と呼んだのか確かなことはいえませんが、成層圏物質循環を黎明期の大気大循環モデルで論じた木田秀次先生(1)がその一人であることは間違いありません。木田さんの急逝から今年で10年。その研究の先見性を今頃になって認識しながら、以下年齢の研究の紹介をさせて頂こうと思います。「成層圏の泉」とか「大気のテープレコーダ」という単語も登場します。何でしょう? まずは、成層圏と地球規模の大気の流れから見てゆきましょう。

(1) Kida, H.(1983), General circulation of air parcels and transportcharacteristics derived from a hemispheric GCM. Part 2. Very longtermmotions of air parcels in the troposphere and stratosphere, J.Meteorol. Soc. Japan, 61, 510-523.

成層圏の大気環境とBrewer-Dobson循環

成層圏(図1)は高度とともに気温(等値線と背景色)が下がる対流圏の上に位置し、両者の境界(破線)が対流圏界面です。対流圏では放射による地表面加熱が対流を駆動し、大気の上下混合が盛んです。雲が湧き雨が降るのは、大気中の水蒸気が上空で冷却され凝結するためです。一方、上空ほど気温が高い成層圏では対流は起こりません。気温上昇は高度50km付近まで続き、その上で再び減少に転じます。この構造はオゾンによる太陽紫外線吸収により形成され、地球自転軸の傾きに起因する加熱の南北非対称性は、夏半球の高温・冬半球の低温のみならず、温度風の関係(2)を通して夏半球の東風・冬半球の西風という構造を形作ります。温度や風の空間分布を天気図のように表示する方法をオイラー的記述と呼びますが、「大陸から黄砂が飛来した」というように流体の運動を移動経路で表す方法をラグランジュ的記述と呼び、その目印になるものをトレーサーといいます。

(2)温度の水平勾配が風の鉛直シアに比例するという気象学の法則。静水圧平衡と地衡風の関係から導かれる。

Brewer-Dobson循環の模式図と大気球実験の狙いを説明した概念図

図1 Brewer-Dobson循環の模式図と大気球実験の狙い。背景は気温(K)の緯度ー高度分布。影の付された領域で砕波に伴った極向き流が駆動される。Plumb(2002)の図を改変。

成層圏大気大循環の記述は、オゾンと水蒸気をトレーサーとしたラグランジュ的記述により始まりました。成層圏オゾンは太陽紫外線の豊富な熱帯中部成層圏で極大をもちますが、世界各地でオゾン全量(3)を測定していたDobsonは、その値が熱帯で極小・春季の中高緯度で極大になることを発見しました。なぜ、オゾン生成域の熱帯より春季中高緯度の方が多いのか?理由は、オゾン全量の変動が輸送過程に支配されるためでした。同じ頃、成層圏水蒸気を研究していたBrewerは別の面白いことに気付きました。低温の対流圏界面で水蒸気を失った(脱水)大気の流入する成層圏は乾燥しているのですが、英国上空の対流圏界面温度はそれに見合うほど低温でなかったのです。もっと低温の対流圏界面はどこにある?Brewerは、対流圏界面が最も低温の熱帯を経由して大気が成層圏へ流入し、全球へ広がっていることを見抜きました。この循環像はDobsonによるオゾン観測とも整合的で、Brewer-Dobson循環(以下BD循環と略記)と呼ばれています。データの蓄積につれ、この描像は「成層圏の泉」仮説(4)へと発展しました。成層圏への流入が、冬季熱帯西部太平洋など、局在する低温域である「泉」に限定されるという仮説で、成層圏への流入が対流圏からの湧き出しというイメージで捉えられていたことを端的に表す興味深い命名です。

熱帯成層圏流入後の大気が実際に上昇している様子を初めて可視化したのは、成層圏水蒸気の人工衛星観測(5)でした。「泉」仮説の根拠にもなった北半球冬季に低温・夏季に高温となる熱帯対流圏界面の季節変動が成層圏水蒸気の濃淡として記録され、そのまま縞模様のように上昇している様子が描き出されたのです(図2(a))。これが「大気のテープレコーダ」です。スマホ世代の若者にはピンと来ないかもしれませんが、磁気ヘッド(対流圏界面)で磁性体(水蒸気量)に記録された磁場情報(冬季の低温・夏季の高温)がテープ上(大気中)を移動してゆくことに例えた絶妙な命名です。

新しい成層圏像

大気微量成分を手がかりに描き出された大循環像が、このまま確立したわけではありません。大気大循環モデルでシミュレーションされた循環像はBD循環とずいぶん異なって見えました。この相違は、主としてオイラー的記述とラグランジュ的記述の違いにあったのですが、それが理論的に克服される過程で2つのパラダイムシフトがありました。一つは成層圏大気大循環の駆動メカニズムで、対流圏で励起された大気の波が上方へ伝播し成層圏の中で崩れる「砕波」という現象に注目します。海岸に打ち寄せる波が浜辺で砕ける様子に例えられる砕波は図1の影の付された領域で起こり、砕波に伴って極向きの流れが駆動されます。この極向き流により熱帯成層圏の空気がなくなってしまわないように、対流圏からの上昇流が生じます。こうして、熱帯の上昇流は対流圏からの涌き出しではなく、成層圏の極向き流が要請する「吸上げ」で生じるという理解に変わったのです。

もう一つは成層圏流入大気に働く脱水メカニズムです。Brewer 以来、脱水を起こす冷却が対流活動に伴う上昇・断熱膨張に起因することは自明でした。自明の理だったこの常識を180度転換したのが水平移流cold trap仮説(6)です。その呼び水になったのが熱帯対流圏界層(Tropical Tropopause Layer;TTL)の導入でした。熱帯には成層圏まで達する深い対流が存在しますが、大部分の対流が到達せず成層圏からの吸上げのあまり効かない遷移領域(TTL)が存在し、成層圏水蒸気を支配する脱水を起こす冷却が、大気塊のTTL内水平運動に伴う低温域通過に起因するとHoltonらは論じたのです。このメカニズムによる脱水は、海面水温の高い熱帯西部太平洋上に形成される図2(b)のような気象場において効率的に進行します。

熱帯下部成層圏における水蒸気混合比の時間ー高度分布図と2008年1月頃の370K等温位面における温度と風の緯度ー経度分布図

図2 (a)熱帯下部成層圏における水蒸気混合比の時間ー高度分布。平 均値からの偏差(ppm)で暖色系が正偏差、寒色系が負偏差。Mote et al.(1996)から引用。 (b)2008年1月頃の370K等温位面(およそ100hPa、高度16km)における温度(カラー)と風(矢印)の緯度ー経度分布。Hasebe et al.(2013)から引用。

(3) 地表から大気上端までに存在するオゾンを鉛直積算した量

(4) Newell, R. E. and S. Gould-Stewart (1981), A stratospheric fountain?, J. Atmos. Sci., 38, 2789-2796.

(5) Mote, P. W., K. H. Rosenlof, M. E. McIntyre, E. S. Carr, J. C. Gille, J. R. Holton, J. S. Kinnersley, H. C. Pumphrey, and J. M. Russell (1996),An atmospheric tape recorder: The imprint of tropical tropopausetemperatures on stratospheric water vapor, J. Geophys. Res., 101,3989-4006.

(6) Holton, J. R., and A. Gettelman (2001), Horizontal transport and the dehydration of the stratosphere, Geophys. Res. Lett., 28, 2799-2802.

成層圏変動

強力な温室効果ガスであり全球地上気温に影響を与える成層圏水蒸気の長期増加傾向の発見(7)は、成層圏水蒸気とBD循環の長期変動に光を当てる契機となりました。その原因はまだ特定されていません。成層圏水蒸気をシミュレーションするには対流圏界面温度の再現という困難の克服が必要ですが、同時に、TTL脱水過程の理解が不可欠です。そう考えた我々は、オゾン・水蒸気現場観測(SOWERプロジェクト)の拠点を熱帯西部太平洋に移し、脱水過程の現場観測を継続してきました。

BD循環の変調は、オゾン破壊物質や一部の温室効果ガスを光化学的に分解する浄化作用の効率に影響します。東北大学を中心とするクライオジェニックサンプリンググループは、地球温暖化やBD循環変動の解明を目的に、大気球による成層圏大気採取実験を続けてきました。温暖化に伴って大気中の波が活発になれば砕波で駆動されるBD循環が強化され、最初にご紹介した大気の年齢が短くなる可能性があります。実際、化学輸送モデルは年齢の短縮傾向(図3のカラーの折れ線)を示唆しています。ところが、クロックトレーサー(今月のキーワード参照)の観測に基づいて評価した年齢(●と▲)にそのような傾向は認められません。大きな不確実性(縦のバー)を伴うものの、年齢は延びているようにも見えます。この矛盾をどう理解したらよいのか?

成層圏大気の年齢の経年変動のグラフ

図3  成層圏大気の年齢(年)の経年変動。●と▲はEngel et al. (2009)によりまとめられた観測値で、縦のバーは誤差の見積り。カラーの実線はシミュレーションの結果。Waugh (2009)から引用。

熱帯域におけるクライオジェニックサンプリング

図3で比較した年齢、実は古い時代と新しい時代の大気が混合した大気塊の平均年齢でした。大気塊を構成する大気の年齢分布を年齢スペクトル(age spectrum)と呼びます。試験の成績を得点分布で表した棒グラフのようなものです。この分布が左右対称ならよいのですが、中高緯度の年齢スペクトルは高齢側に長い裾をもち、高齢大気の比率のわずかな違いにより平均値が大きく変化します。その上、年齢スペクトルは評価の困難な物理量なのです。複雑な現象の解明には、素過程の分離された理想的環境、すなわち、熱帯成層圏を上昇中で混合の影響を受けていない大気の理解を確立することが近道です。しかも、熱帯なら「テープレコーダ」の併用が可能です。相互に整合的な結果が得られれば信頼性は格段に高まります。クライオジェニックサンプリングと成層圏水蒸気観測をリンクし、世界に先駆けた熱帯域での統合観測を実現すれば、それを突破口に年齢の理解が深まるはずです!

この計画は、インドネシア航空宇宙庁(LAPAN)との協同観測としてインドネシア東部のBiak 観測所(図2(b)のBI)で2015年2月に実現しました。大樹町で使うような放球設備がないため、遠隔地での観測用に開発されたJT サンプラー(8)2台搭載の小型の大気球4機(FB5B とFB9B 各2機)が利用されました。LAPAN との協定締結の遅れやヘリウムガスの急騰に加え、液体窒素の容器1本が空で届いたり、航空管制当局から過大な要求を突きつけられたりと、現地入り後も多くの難題に見舞われましたが、両グループの連携とLAPAN 協同研究者の努力により無事に乗り越えることができました。海上にパラシュート降下させた採取容器はインドネシア海上警察の高速艇により全て回収され、日本へ輸送されたサンプルは東北大学などで精密に分析されました。

こうして待望のデータを得ることができましたが、解析結果から現実の厳しさが浮かび上がってきました。その第1は他の研究者による衛星観測値(したがって、それに基づいて評価された年齢)との大きな相違、第2はクロックトレーサーとテープレコーダとの不整合です。前者は検証の不十分性、後者は孤立性の比較的高い熱帯成層圏でさえも混合過程の影響が無視できないことを示唆しています。自然界は秘密のベールをなかなか外してくれませんが、我々の方針が間違っているわけではありません。鍵になるのは年齢スペクトルへの混合の影響を知ることで、それが中高緯度より容易であることは確かです。研究グループでは、大気の重力分離というもう一つの独立した手法も手がかりに加え、年齢問題の解決に鋭意取り組んでいるところです。忘れてならないことは、今回の観測が、大気球技術の蓄積に加え、長い時間をかけてインドネシアとの間で培ってきた信頼関係なしには実現しなかったことです。いわゆる途上国の地球環境問題に占める役割を見据え、その学術レベル向上への貢献に気を配りつつ、新しいサイエンスを切り開く努力を今後も続けたいと考えています。最後になりましたが、インドネシアでの実験実施に関しては宇宙科学研究所の関係各位に大変お世話になりました。ここに謝意を表します。

(7) Oltmans, S. J., and D. J. Hofmann (1995), Increase in lowerstratospheric water vapour at a mid-latitude Northern Hemisphere site from 1981 to 1994, Nature, 374, 146-149.

(8) Joule-Thomson効果を利用して成層圏大気を固化採取する装置。Morimoto,S.,T.Yamanouchi, H. Honda, S. Aoki, T. Nakazawa, S. Sugawara, S.Ishidoya, I Iijima, and T. Yoshida (2009), A new compact cryogenic air sampler and its application in stratospheric greenhouse gas observation at Syowa station, Antarctica, J. Atmos. Ocean. Tech., 26,2182-2191.

(はせべ・ふみお)

ISASニュース 2016年7月 No.424 掲載