小惑星探査機「はやぶさ2」の打上げから約1ヶ月後、JAXAの臼田局とNASAの地上局(アメリカ、オーストラリア、スペイン)を使用して「はやぶさ2」の精密軌道決定キャンペーンを実施しました。計測の結果得られた位置精度は15m(1σ)(注1)で、東京スカイツリーから富士山頂にいるダニ(体長0.14mm)をのぞき込む角度に相当する角度分解能(1.3ナノラジアン)が得られたことになります(図1)。これは、NASAの火星探査機で実現されていた過去の記録に肩を並べる高い精度です。

注1 15m(1σ):σは誤差楕円球長軸の標準偏差であり、位置精度が標準偏差15mでばらついていることを意味する。

Delta-DOR技術による軌道決定と従来手法による決定の精度の違いを示した図

図1 「はやぶさ2」精密軌道決定キャンペーンの結果
緑色の誤差楕円は従来手法の精度、赤色の誤差楕円はDelta-DORを加えたときの精度を示す。

本稿では、このキャンペーンで使用された、深宇宙の軌道決定精度を飛躍的に向上させる手法であるDelta-DOR技術についてご紹介します。

軌道決定とは

ボールを斜めに投げ上げると、放物線の軌道を描きます。手から離れる瞬間の速度と位置が正確に分かれば、描く放物線の軌道は一意に決まり、時々刻々と変わるボールの位置と速度も正確に知ることができます。

宇宙機の場合も同様で、ある日時における宇宙機の3次元位置(x、y、z)と3次元速度(Vx、Vy、Vz)、計6つの量(軌道6要素)を知ることができれば、宇宙機が描く「軌道」を「決める」ことができ、その後の日時における宇宙機の位置と速度を予測できます。これを宇宙機の「軌道決定」と呼びます。軌道決定の結果、宇宙機が予定のコースから外れていることが分かれば、エンジンの噴射によってターゲットに正しく向かうように修正できます。深宇宙探査機の従来の軌道決定手法であるレンジング・ドップラー計測の原理については「今月のキーワード」で解説しているので、ご参照ください。

Delta-DOR技術とは

ドップラー計測では数日間かけて間接的に天球面上の位置を求めるのに対し、電波干渉計の技術を用いて瞬時瞬時(10~20分ごと)に探査機の赤経・赤緯を直接計測する手法がDelta-DOR(DDOR)計測です。Delta-DOR計測では、遠く離れた地球局で電波を同時に受信し、2局の間で信号伝搬時間の差DOR (Differential One-way Range)を計測します。各地球局で受信した電波はインターネット伝送で1局に集められ、相関を取ること(相関処理)によってDORが計測されます。

DOR計測では惑星間プラズマや探査機搭載の通信機の遅延が2局の差分でキャンセルされる一方で、局ごとに独立な地上局の伝送路遅延や大気・電離層遅延、時刻バイアスなどは誤差として残るため、電波星を校正電波源として利用します。天球面上で探査機の近傍にあり位置(方向)がよく分かっている電波星と探査機を交互に観測し、電波星と探査機の遅延量(DOR)同士の差(Delta)を取ることにより、電波星を基準とする探査機の相対的な天球面上の位置(Delta-DOR観測量)が精密に計測できます(図2)。軌道6要素の残り2成分、すなわち天球面上の速度成分は、1日程度の間隔を空けて数回Delta-DOR計測を実施して赤経・赤緯の変化量を測ることにより求まります。

Delta-DOR観測量の幾何学的意味を説明した図

図2 Delta-DOR観測量の幾何学的意味
Delta-DOR演算により図に示した角度θが精密に求まる。地上局として南北の2局を使った場合は赤緯方向に感度を持ち、東西の2局を使用した場合は赤経方向に感度を持つ。

JAXAにおけるDelta-DOR技術の開発

Delta-DOR技術は、古くはNASAの宇宙探査機ボイジャーの時代から用いられていましたが、この10年ほどの間にさまざまな技術が向上し、得られる精度が急速に高まりました。

2000年代に入り、テレビ放送デジタル化に伴い、高速AD変換(注2)や高速FPGA(注3)技術が急速に発達し、素子を廉価に入手できるようになりました。従来、深宇宙探査用地上局の電波の信号はアナログ系で狭帯域チャンネルに切り出してから処理していましたが、筆者らは世界に先駆けて広帯域のままデジタル処理するシステムを開発しました。これにより受信信号を高い位相安定度で処理できるようになり、高精度のDelta-DORを実現できるようになりました。その後世界の各機関でも同様のシステムが開発されましたが、日本がいち早く技術革新の機を活かすことにより、NASAに数十年遅れていた分野において迅速にcatch upすることができたといえます。

注2 AD変換:アナログ(A)信号からデジタル(D)信号への変換

注3 FPGA:Field Programmable Gate Array の略。構成を何度でも書き換え可能な集積回路。

2012年にはアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)Haystack観測所にて、世界で開発されている同様のシステムの間で性能比較を行うコンテストが実施されました。日本(JAXA/NICT[情報通信研究機構])、アメリカ(MIT)、ヨーロッパ(マックスプランク電波天文学研究所)、中国(上海天文台)の4つのシステムを会場に持ち込み性能比較を行ったところ、日本のシステムが最も高い性能を有していることが示されました。

またこの時期には、世界中にGPS観測網が整備され、地球対流圏や電離層による遅延モデルの精度が向上しました。臼田にもGPS観測点が設置されているため、観測点で得られるデータを迅速に国際的な解析ネットワークに配信し、高精度な大気遅延補正データが得られるよう体制を整えました。

Delta-DORにおいて位置の基準となる電波星自体の位置の精度も向上しています。2010年になり最新の電波源カタログICRF2が発行され、従来に比べ5~6倍の精度の座標系が定義されました。ICRF2の精度向上は、カタログで定義されている電波星との相対位置計測を行うDelta-DORにおいて直接的に精度向上の効果をもたらしました。

上述したさまざまな技術向上の恩恵を受けて、JAXAのシステムを用いて数十ピコ秒の精度のDelta-DOR観測量が得られることを、2010年の小型ソーラー電力セイル実証機IKAROSの実験を通じて実証することができました(『ISAS ニュース』2016年3月号 別冊参照)。しかしこの時点では、高精度の観測量が得られても、軌道決定に活かすことはできませんでした。従来の深宇宙の軌道決定ソフトウエアでは1ナノ秒程度の観測モデルで十分で、Delta-DORが持つ高い精度に耐え得る精度の観測モデルが実装されていなかったためです。

そこで、JAXAの深宇宙軌道決定システムに対して、「最新の地球自転モデルの採用」「対流圏・電離層伝搬遅延モデルの高精度化」「一般相対論効果の厳密な適用」「震災後の臼田局局位置変動モデル化」などの改良を施し、システムで使用される各種モデルを最新の知見に基づく最高精度のものに更新しました。2014年までにこれらの改修を完了し、冒頭で述べたようにDelta-DORによる高精度の軌道決定を「はやぶさ2」で初めて実証することができました。

Delta-DOR技術のさらなる高精度化

現状の技術では1ナノラジアン程度の角度分解能がDelta-DORの精度限界とされていますが、その限界を打ち破るべく、さまざまな手法を用いて誤差低減のための技術開発が進められています。

Delta-DORにおいて最も支配的な誤差原因である電波星の熱雑音は、受信信号の帯域幅を増加させることにより減少させることが原理的に可能であり、近年、受信機の広帯域化によって精度が改善してきています。電離層や太陽プラズマに起因する誤差の影響は、高周波帯において減衰するため、将来X帯からKa帯に移行すれば1/15程度に減らせることが見込まれます。Ka帯Delta-DORは過去にNASA の火星探査機MROで限定的なデモ観測が行われただけですが、「はやぶさ2」では世界で初めて本格的に運用に利用する予定です(『ISASニュース』2014年12月号参照)。

残される主要な誤差要因の一つが、受信局伝送路内の位相特性の不均一性に起因する誤差(地上局位相リップル)です。電波星からの信号は連続波スペクトラムを取るため位相誤差の影響は受信帯域内で平均化されるのに対し、探査機からの信号は複数のトーン信号で構成されるため、受信周波数の近傍の位相リップルが位相誤差として印加されます。その結果、両者の信号形態の違いに起因して、電波星のDORと探査機DORとの間の「Delta」演算によって消すことができない系統誤差が生じてしまいます。

そこで、探査機で生成されるトーン信号の周波数を、電波星の観測時と同じ連続波帯域内でスイープさせて、電波星の観測時と探査機観測時の実効周波数帯域を一致させることにより両計測の差分時に系統誤差をキャンセルさせる、まったく新しい手法の信号発信器(チャープDORトーン生成器)を筆者が考案しました。この発信器は、宇宙研の通信系メンバー(小林・冨木)の貢献により短期間で迅速に開発され、超小型深宇宙探査機PROCYONに搭載されました。本装置を用いて臼田局とNASAキャンベラ局との間で多数回の実験が行われ、地上局受信系の位相特性の不均一性に起因する系統誤差の存在が実際に確認されました。PROCYONではそのほかにも、過去最大の86MHz間隔のトーン信号ペアを利用した世界最高の時間分解能のDelta-DOR計測(これまではNASAの76MHzが最高)に成功し、また、深宇宙を航行する宇宙機としては初となるPROCYON─「はやぶさ2」の同一視野Delta-DOR計測を実施するなど、Delta-DORのさらなる高精度化に向けてさまざまな先駆的な実験が行われました。これらの実験データは現在NASAと協同で解析中ですので、またの機会に詳しくご紹介したいと思います。

おわりに

近年、深宇宙探査ミッションの高度化に伴い、年々高い軌道決定精度が要求されるようになってきています。火星着陸ミッションではピンポイント着陸精度の要求が厳しくなっており、そのほかの深宇宙ミッションでも、航行中の惑星スイングバイや、ターゲット天体の精密科学観測(軌道暦・重力場・自転計測)の観点から、高い軌道決定精度が求められています。今後もさまざまな深宇宙ミッションで国際的なDelta-DOR協同計測が進められる見込みですので、JAXAも積極的に貢献していきたいと考えています。

(たけうち・ひろし)

ISASニュース 2016年4月 No.421 掲載