概要
渡辺伸准教授(JAXA宇宙科学研究所)が参加する中村信行教授(電気通信大学レーザー新世代研究センター)、高橋忠幸教授(東京大学 Kavli IPMU)らの実験グループは、高感度宇宙観測用に開発してきた高エネルギーX線偏光検出器を電気通信大学が所有する電子ビームイオントラップTokyo-EBITの実験に適用し、多価イオンが高エネルギー電子を捕獲する際に放出する高エネルギーX線の偏光度測定を実用化しました。その結果、これまでの原子物理の常識では偏光していないと考えられていたX線遷移が大きく偏光していることを実験的に初めて突き止めました。原子物理の研究で、高エネルギーX線の偏光測定は有用であると考えられていたものの、これまでは精度よく測定できる検出器が存在せず、実現していませんでした。この実験結果は、JAXA宇宙科学研究所が中心に宇宙観測のために開発し本研究のために改良した高エネルギーX線用コンプトン偏光計EBIT-CC[1]と電気通信大学が所有する世界有数の多価イオン生成・実験装置である電子ビームイオントラップTokyo-EBIT[2]という二つの最新鋭装置・技術を融合することで、達成されたものです。
さらに、この予期せぬ大きな偏光度という実験結果を受けて、仝暁民准教授(筑波大学)、高翔特任研究員(北京応用物理計算数学研究所)、加藤太治准教授(核融合科学研究所)の理論グループにより常識を排除した理論解析が進められ、実験で観測された大きな偏光が、量子力学的な確率の波同士が干渉する量子干渉効果の結果であることが明らかになりました。通常、干渉を起こすには二つの波の初期状態が等しい必要がありますが、今回観測された偏光を生じさせたのは、角運動量の異なる二つの波、つまり厳密には異なる初期状態を持つ二つの波が引き起こした特異な干渉効果であることも明らかになりました。
このように、本研究成果は、宇宙科学のニーズを満たすために開発してきた最先端観測装置が、他の研究分野での新発見のためのシーズになった好例と言えます。
なお、本研究の成果は米科学誌「Physical Review Letters」に掲載されました。
背景
原子やイオンはエネルギーの高い状態から低い状態に遷移するとき、そのエネルギー差に応じた波長を持つ電磁波を放出します。その電磁波は放出した原子やイオンの様々な情報を運んでくれます。例えば電磁波の波長を調べる、つまり分光することで、原子やイオンの構造を知ることができ、それが量子力学の発展につながっています。また、宇宙観測においても、このような電磁波を調べることで、宇宙環境下での原子やイオンの状態を探ることができ、宇宙物理学の課題に取り組んでいます。
電磁波の持つ重要な情報の一つに偏光度があります。電磁波は電気と磁気が繰り返し振動することで伝わる波ですが、それらの振動方向がどの程度偏っているかが偏光度です。白熱電球の明かりは振動の方向がランダム、つまり無偏光であるのに対して、レーザー光は振動の方向が揃っている、つまり偏光している光の典型例です。偏光度を調べることで、それを放出した原子やイオンの中の電子がどの方向に運動していたかという「向き」に関する情報を得ることができます。そのため、原子やイオンの性質を詳しく調べるためにも重要ですし、原子やイオンのいる物質や環境の異方性を知るためにも役立ちます。
本研究では多価イオンという特殊なイオンが放出する高エネルギーX線の偏光度を調べました。原子は原子核のプラスの電荷とその周りを周る電子の数が等しく全体には中性ですが、電子を一つ取り去ると正の電荷を持ったイオンができます。さらに多くの電子を取り去って出来る特殊なイオンが多価イオンです。多価イオンが放出する電磁波はエネルギーの高いX線が多く、そのX線の偏光度に対する知見を得ることは、多価イオンが多く存在する天体や核融合実験炉など高温プラズマ[3]の異方性を知るために重要です。しかし、高エネルギーX線の偏光度を測定することは大変難しい技術です。私たちの目に見える光(可視光)もX線も電磁波の仲間ですが、可視光の偏光度は、偏光板(自由研究用なら通販サイトでも購入可能)を使うことで、比較的容易に測定することができます。しかし、高エネルギーX線だと電磁波としての波長は、原子のサイズより小さくなり、原理的に偏光板を作ることができず、コンプトン偏光計という手法を適用する必要があります。
コンプトン偏光計は、検出器内でコンプトン散乱[4]を起こしたX線の散乱角度を測定します。多くのX線を入射したときの散乱角度の分布が入射X線の偏光度に依存するという性質を利用して偏光度を知ることができます。JAXA宇宙科学研究所では、高感度の高エネルギーX線観測を目指して、コンプトン偏光計の機能を併せ持つSi/CdTe半導体コンプトンカメラ[5]を開発し、ASTRO-H「ひとみ」衛星の観測装置軟ガンマ線検出器(SGD)として実現させました。そして、SGDの試験観測で「かに星雲」からの偏光X線の検出に成功し、そのX線放射が高エネルギー電子と「かに星雲」の特徴的な磁場とのシンクロトロン放射であることを明らかにするなど、偏光X線の観測で天体での物理現象解明に取り組んできました。
手法
本研究では、鉛(Pb)原子がもともと持っていた82個の電子のうち、78個を取り去り残り4個にしたような多価イオンPb78+を、電通大の多価イオン実験装置Tokyo-EBIT内に生成し閉じ込めました。これほどプラスの電荷が高い多価イオンを生成し閉じ込めることができるのは、国内では電通大のみ、世界でも数か所に限られます。閉じ込めたPb78+に高エネルギー電子ビームを入射し、その電子を鉛多価イオンが強いプラスの力(クーロン力)で引き寄せ捕獲する際に放出するX線を、宇宙観測のために開発し本研究用に改良を加えたコンプトン偏光計EBIT-CC(コンプトンカメラ)で測定しました(図1)。
EBIT-CCは、ASTRO-H衛星のSGDと同じ仕様のSi/CdTe半導体コンプトンカメラの最終試作機を地上実験用に転用したものです。この宇宙用コンプトンカメラは、遠くの天体からの微弱なX線放射でも観測できるように、検出器内のX線の反応位置、検出エネルギーを精密に追えるようになっており、偏光度も高精度に測ることができます。また、データ収集系、データプロセスソフトウェアまで含めて全体システムとしてASTRO-H衛星で確立したものを適用しました。そうすることで初めて、地上実験で高エネルギーX線の高精度偏光計測が可能になりました。
結果
電子が多価イオンに捕獲される際にX線を放出する過程には、①捕獲されると同時にX線を放出する過程(専門用語で放射性再結合過程)と、②捕獲された後多価イオンの周りを短い時間周ってからX線を放出する過程(専門用語で二電子性再結合過程)があります。前者は多価イオンの捕獲される電子のエネルギーがどのような値であっても起こる過程ですが、後者はある特定のエネルギーのときにしか起きません(このような過程を共鳴過程と言います)。本研究では後者の過程で放出されるX線の偏光度をEBIT-CCで調べました。それは、その遷移が原子物理の常識から無偏光であると考えられていたからです。電通大の多価イオン実験装置Tokyo-EBIT用に改良されたEBIT-CCが、無偏光X線の偏光度を正しく0と測定するかどうかを確認することが当初の目的でした。しかし、いくら測定を繰り返しても結果は0ではなく大きな偏光度を示します。実験に何かおかしなことはないかと様々な試験と検討を繰り返しましたが、実験は正しく行われていることが確認できました。また、データ処理、データ解析でも誤りがないか、宇宙観測で確立した手法を駆使し、検証を行いましたが、無偏光と思われていたX線が実は常識とは異なり大きな偏光度を有しているのだという結論に至りました(図2)。
そして常識を排除した理論解析を行った結果、実験で得られた予期せぬ大きな偏光度は、特異な干渉効果の結果であることが分かりました。ヤングの実験[6]で有名な干渉効果は、等しい初期状態と終状態を持ちながら異なる経路を進む二つの波が互いに強め合ったり弱めあったりするものですが、光のような波だけでなく、量子力学における確率の波も干渉を起こします。今回観測された偏光は、上記①②それぞれの起きる確率の波同士が干渉した結果生じたものでした。その結論は以下の理由から驚くべきものです。まず、①は②に比べ確率が非常に小さい過程です。原子物理の常識では確率が大きく異なるもの同士の干渉効果は小さいはずですが、観測された偏光度は大きく、理論解析もそれを見事に再現しました(図3)。さらに、今回干渉した確率の二つの波の初期状態は角運動量の値が異なっており、つまり厳密には異なる初期状態を持つ二つの波が引き起こした特異な干渉であることも明らかになりました。
展望
太陽コロナ、超新星残骸、銀河団プラズマなど宇宙のあらゆる階層に存在する宇宙プラズマは、時に高温で、多価イオンと電子が絶えず相互作用してX線を放出しています。そのX線を観測することでプラズマの様々な情報を知ることができますが、X線の偏光からはプラズマの中に存在する異方性に関する情報を知ることができます。偏光が干渉効果により大きな影響を受けることは新しい知見であり、今後の宇宙観測にも本研究の成果が活かされることが期待されます。
また、多価イオンの放出するX線の偏光は、量子電磁力学[7]という物理学で最も正確とされている理論を検証するためにも重要です。今回観測されたものとは別の多価イオンのX線遷移の偏光度を今回と同様の手法で精密に測定することで、量子電磁力学的な相互作用を媒介する仮想光子の波動性を捉えるという物理学の本質に迫るとも言える実験が可能になるとされています。そのような挑戦的な研究もこの共同研究グループで進行中です。
宇宙科学研究所では、宇宙科学のニーズを満たすために最先端の宇宙観測装置の研究、開発を進めています。本研究成果は、このような他では実現していなかった宇宙観測装置の研究開発が他の分野のシーズとなり、新発見を産み、また、さらなる研究課題を創出したものと言えます。
論文情報
原題:Strong Polarization of a J=1/2 to 1/2 Transition Arising from Unexpectedly Large Quantum Interference
雑誌名:Physical Review Letters
著者:Nobuyuki Nakamura, Naoki Numadate, Simpei Oishi, Xiao-Min Tong, Xiang Gao, Daiji Kato, Hirokazu Odaka, Tadayuki Takahashi, Yutaka Tsuzuki, Yuusuke Uchida, Hirofumi Watanabe, Shin Watanabe, and Hiroki Yoneda
DOI:10.1103/PhysRevLett.130.113001
用語説明
[1] EBIT-CC:X線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」搭載用に開発された軟ガンマ線検出器(SGD)を基にEBITを用いたX線実験用に改良した検出器。CCはコンプトンカメラ(Compton camera)の略。
[2] Tokyo-EBIT:電気通信大学レーザー新世代研究センターで運用されている多価イオン生成・閉じ込め装置。EBITは電子ビームイオントラップ(electron beam ion trap)の略。イオントラップと呼ばれる技術で空間的に閉じ込めたイオンに対して高密度高エネルギー電子ビームを入射することで電子を剥ぎ取り、多価イオンを生成する。200keVの最高電子ビームエネルギーにより、自然界に存在するどんな元素でもほとんどの電子が剥がされたような多価イオンを生成可能(keVはエネルギーの単位。1keVは約1.6x10-16J)。
[3] 高温プラズマ:物質は温度の上昇に伴い固体、液体、気体と変化するが、さらに温度の高い状態では原子や分子から電子が離れ、電子とイオンが独立に運動するようになる。これを物質の第4の状態プラズマと呼ぶ。その中でも、100万度もあるような太陽の高層大気や1億度にもおよぶ核融合実験プラズマなどは高温プラズマと呼ばれる。高温プラズマでは多くの電子が剥がされた多価イオンが多く存在する。
[4] コンプトン散乱:X線が物質に入射すると、ある確率で物質中の電子により散乱される。このとき電子にエネルギーを与えると、その分だけ散乱X線のエネルギーは入射X線より低くなる(波長が長くなる)。そのような散乱過程をコンプトン散乱と呼ぶ。
[5] Si/CdTe半導体コンプトンカメラ: コンプトンカメラは、コンプトン散乱の原理を用い、運動学を用いて、高エネルギーX線・ガンマ線の到来方向を知るカメラ。コンプトン偏光計にもなる。コンプトン散乱の情報を精度よく、また高効率に得るために、散乱体検出器にシリコン半導体、吸収体検出器にテルル化カドミウム(CdTe)半導体を用いたコンプトンカメラをSi/CdTe半導体コンプトンカメラと呼んでいる。JAXA宇宙科学研究所が中心となって、宇宙観測用に開発され、ASTRO-H衛星の軟ガンマ線検出器(SGD)として実現。また、放射性物質の可視化に応用された。(https://www.jaxa.jp/press/2012/03/20120329_compton_j.html, https://www.jaxa.jp/press/2012/11/20121115_compton_j.html)
[6] ヤングの実験:1800年頃のトーマス・ヤングによる有名な実験。点光源から広がり二つのスリットを透過した光は、強め合ったり弱めあったりすることで干渉縞をつくる。これにより光が波であることが示された。
[7] 量子電磁力学:光は波と粒子の二面性を持つ。後者の性質を示す光の粒を光子と呼ぶ。電磁場を(仮想)光子の集まり、真空を(仮想)電子と(仮想)陽電子の集まりと考え、現実の電子と電磁場や真空との相互作用を考える理論(陽電子は電子の反物質であり、電子と同じ質量・電荷量を持つが電荷の符号が正である)。この理論により計算した結果は実験値を最も正確に再現するため「物理学における最も正確な理論(物理学辞典)」とも言われる。