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相模原キャンパスA棟1階には、宇宙航空を教育の素材として幼稚園児から高校生までを対象にSTEAM教育を推進しているJAXA宇宙教育センターがあります。今年度4月からは、センター長に北川智子(Dr. Kate Kitagawa)さんがイギリスから着任され、精力的に活動されています。これから発表される教育素材にはISASでのプロジェクト活動成果を使うものも含まれており、今後の連携に期待が寄せられています。

相模原キャンパスにて

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(左)JAXA宇宙教育センター(宇宙教育推進室)は、みんな仲良し。元気な23名で構成されています。(右)センター長室にて、ISASのメンバーの皆さんと。様々な形でのコラボレーションを展開予定で、毎日ワクワク。

Q:20年以上の海外での活動を経て、JAXAに来られました。

A:ハーバード大学の学生を熱狂させた歴史のクラス - その内容を日本語で記した『ハーバード白熱日本史教室』(新潮新書)の上梓からちょうど10年経ちました。2009年にプリンストン大学を卒業してから、2012年までハーバード大学の東アジア学部で教鞭をとっていたのですが、元をたどるとカナダで過ごした大学時代から、海外で暮らしながらも、歴史学者として日本と関わり続けてきました。ここ最近10年は、日本史よりも、研究の焦点を世界の数学史に絞り、イギリスのオックスフォード大学を拠点に研究活動をしておりました。

日本の高校では理数科、大学では数学と生命科学を専攻していたため、数学の歴史を世界的な規模で書き上げることは、自分の研究の中で一番スケールの大きなテーマでした。もちろん、究めるには10年以上かかりましたが、やっとのことで、英国ペンギン出版社から、来年春頃に世界の数学史の本が刊行されます。日本語への翻訳も続いて発行されることが決まっています。

ハーバード大学の先生だった頃。ワシントンDCにあるSmithsonian National Air and Space Museumでアポロの月面着陸船(Apollo Lunar Module)を見た時に、何か不思議な力に包まれたような感覚にのまれ、モジュールの前で立ちすくんで息を呑んだことがありました。その日から、取り憑かれたように宇宙の記事をネットで読むようになり、紙コップなど、リサイクル素材で簡単なロケットを作って、打ち上げもはじめました。趣味が高じて、去年は英国ロンドンの科学博物館で宇宙開発の展示に取り組みました。子供の頃に夢として公言していた「飛ぶこと!」は、海外に住むという現実的な「飛び」方と、地球から宇宙へ「飛び出す」想像として、ふた通りに分かれた軌道を描きながら、いつも私に寄り添って、育っていったわけです。

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<ハーバード時代の写真>:日本史をたくさんの人に教えたいと思って、カリキュラムを作り直した。当初は16人の履修生だったクラスが3年後には251人になった。

結局、カナダ、アメリカ、イギリス、ドイツ、南アフリカに住んだ23年は、英語で考え、英語で暮らす日々で、まさか今年、転職という形で日本に住むことになるとは思ってもいませんでした。しかし、この突然のUターン移住。思い描いていた未来ではなかったとはいえ、私にとってはとても素敵な展開です。なぜかというと、JAXAの宇宙教育センターの公募には、STEAM教育(まさに文系理系を横断したアーティスティックで人間味のある教育!)を(大好きな!)宇宙素材で進めるとこと、国内外に向けて宇宙教育を展開し、発展させることが職務とあったからです。

Q:宇宙教育推進室の室長候補者が公募されていて、それに応募されたのですね?

A:はい、そうです。2021年の秋でした。この応募を見た時、大げさに聞こえるかもしれませんが、これこそ、教育で世界をよりよくするチャンスだ!と思いました。博士号を取得したプリンストン大学、教鞭をとっていたハーバード大学、研究拠点としたケンブリッジ大学やオックスフォード大学は、いわゆる「選ばれた人」が集まる場所の例ですが、グローバル化が完結したと言ってもよい昨今、このような「選抜教育」には限界があると確信があったのです。私は、このまま大学に篭って学生の評価をしていては、世界を変えるようなLifeworkを遂行することは無理だと感じていました。また、それまでの間、ありがたいことに日本国内外で、高校、大学、一般向けに国内外で歴史の講演の場を数百件といただきましたが、日本や数学が題材だと、それはそれで接することができる人の範囲が狭まってしまう、というテーマに付随するオーディエンス狭窄という事情にも悩んでいました。

また2019年、南アフリカのプレトリア大学で数学と歴史を教えていた時、私が思い描く教育は選抜ではなく "Education for All" だとはっきり気づいたことも私の背中を押しました。

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<南アフリカ共和国プレトリアにて>:南アフリカ共和国へは5回渡航しました。プレトリア大学で数学とその歴史を教え、一般に向けては日本史の講演もしました。

Education for All は2030年までによりよい世界を創るために達成すべき国際目標 SDGs(Sustainable Development Goals)のひとつでもありますが、「質の良い教育を全ての人に(目標4)」与えられる基盤を宇宙教育で作りたいのです。今、21世紀を人類が生き延びるために、絶対的に必要ことは、質の良い教育を選ばれた人だけにではなく、質の良い教育を世界中に広く流布させて、みんなが育つことなのです。プレトリアの大学で、眼を輝かせてレクチャーを聞いてくれる学生に接し、世界は広く、教育の需要は高いことを確信しました。

このような長い経緯を経て、センター長の公募の内容と私の教育に対する思いが重なるという偶然に恵まれ、センター長のポジションに応募するに至ったのです。

書類選考を経て、面接はオンラインだったのですが、時差があり、イギリス時間朝7時スタートになりました。いつも朝早く起きているので、7時などなんともないと思って身支度をしていたのですが、思いがけないハプニングがおきます。気合は十分だったとはいえ、日本語をしばらく話していなかったので、英語から日本語に即座に切り替えることができなかったのです。答える言葉に詰まってしまいましたし、英語を話してしまう場面もありました。もちろん、5分、10分とお話をしているうちに、日本語も調子が出てきたとはいえ、頭の中では言語が混乱して、絶対採用はないだろうなとも思ったくらいで、その日は、打ちひしがれました。

幸い、熱意と志望動機、これからのプランなどの重要事項は伝わったようで、採用していただいたのですが、これから様々な講演会やイベントを開催してまいりますので、このままベイビージャパニーズを話していく訳にはいかないですね。目下、真剣に日本語トレーニング中です。

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Q:数学や歴史ではなく、教育に興味があるのですか?

A:はい。そうです。
私にとっての教育とは「物事の核心を見極めるために、その周りにある事象を考察し、多くの人の意見を聞き、互いの意見の違いを認め合う」その一連のプロセスです。抽象的な表現ではありますが、どんな時、どんな場所でも、そのプロセスをすっとこなせるようにするトレーニングだと思っています。

教育の手法は実に様々です。いえ、様々であるべきです。また、教育を支えているのは、教える側と受け取る側とのコミュニケーションです。双方向の対話をどのように促すのか、教育する側が、考える材料を与え、その後は、考えを深めながら、目の前に見えていないものを可視化するよう、一緒に考えるのが理想な学びなのだと思います。

宇宙航空の領域には、考えるための材料がたくさんあります。それは飛行機や探査機のようなオブジェクトであったり、宇宙創世のパラダイムといったようなとても大きなクエスチョンだったりもします。宇宙は、謎だらけで、壮大なthemeですから、既知のことを教えるよりも、未知のものにリーチアウトする姿勢を育む宇宙教育を目指していきたいです。

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<(左)スミソニアン航空博物館 (右)ロンドンの科学博物館>:ワシントンDCのスミソニアン航空博物館でアポロ着陸モジュールの展示を見た時に、宇宙科学への興味が湧いてきた。

宇宙科学や宇宙開発は、あまりにも大きな守備範囲ですから、宇宙教育センターも、優先的に扱っていくテーマをいくつか決めなくてはなりません。現在のところ、重要視しているテーマが3つあります。一つ目は、climate change. 気候変動や温暖化に直面していることに立ち向かうのは、宇宙航空科学のraison d'être(存在理由)です。地球観測をしたり、二酸化炭素排出の削減のための飛行機を開発したり、JAXAからも大きな貢献が早急に期待されており、たくさんの職員がclimate changeの様子を掴んだり、対処法を考える日々を過ごしています。二つ目は、planetary defence. 我々が住む地球には隕石などが頻繁に飛んできています。そんな非日常なことは自分の身に起こり得ない、と思われるかもしれませんが、実際に観測をすると、驚くほどの数のアステロイドが地球をかするように飛んでいます。我々は、そんな宇宙の中に住んでいるのだという事実を受け止めることは「宇宙視点」の構築に欠かせない背景情報であり、自らの居場所を考える上での必須要素ですから、教育の柱になって当然のことだと思います。そして三つ目は、月です。ISASからも月に関するプロジェクトが進行中ですし、月を題材にした教育イベントをどんどん増やしていきたいと思っています。他にも火星や土星など、今後フォーカスしていきたい惑星もありますが、当面は月を教育素材のトップに据えています。

Q:海外機関との連携も視野に?

A:そうですね。まずは、欧米と東南アジアの機関との連携からです。その理由はいくつかあります。教材作りという観点からは、英語教材を増やし、英語だけではなく、もっと様々な言語に触れる機会を作りたいと思っています。というのも、日本では英語が外国語として学ばれますが、もちろん外国語は他にもたくさんあって、私自身、フランス語、ドイツ語、中国語などを勉強することで、視野がぐんと広がったと思うからです。でもまだ東南アジアの言葉は分かりませんし、学びたいなとも思っています。また、数種類の外国語を知ることで、それまで難しく思っていた英語が簡単に思えてくる人が増えたらいいな、とも思います。

やさしい英語の教材としては、ISASのエリザベス・タスカー准教授とISAS Podcast担当の二階堂利久さんとともに、Seven Wonders of the Moon を制作中です。これは月に関する七不思議ですが、ひとつのワンダーが1分の Podcastになり、ななつ合わせて7分という短い英語の教材です。6月25日から、宇宙教育センターの新設英語HPから視聴できます。スクリプトも、H Pで入手できますので、英語学習にどんどん使っていってください。

並行して、先日ISASを訪問中であった火星探査の科学者Jean-Pierre BibringさんのSeven Wonders of the Marsをフランス語で配信いたします。ひとつのワンダーが1分くらい、ななつ合わせて10分という短いフランス語の Podcastです。

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<ISASを訪問していた研究者Jean-Pierre Bibringさんと>:ISASには世界的な研究者が来訪し、研究や交流があるので、ISASと連携することは、世界の最前線を見聞きすることにつながります。ISASの皆さんとのコラボレーションから、宇宙教育事業にも新たな価値が生まれるはずです。

国際連携といえば、東南アジアも重要です。教育センターはAPRSAF(Asia-Pacific Regional Space Agency Forum)にて教育の分科会をリードしています。欧米の大きな宇宙機関と並行した形で進む東アジアの宇宙開発から様々な知見を得て、地域的にも近い我々は、共に考え、協力する、そんな、近隣の良いパートナーであるべきです。教育センターからも、東南アジアにフォーカスした国際交流イベントやリサーチセミナーを展開していきますので、ぜひご参加ください。

Q:6月11日~19日の「はやぶさWEEK」では、相模原市立博物館とJAXA宇宙科学探査交流棟でのイベントも開催されました。

A:はい。繰り返しますが、私が目標とするのは Education for All です。これまで教育センターは、学校授業連携や社会活動支援を主流としてきたのですが、オールジャパンの宇宙教育の基盤作りのために、新たな「手法」を取り入れます。

それは、一般にいうEduTechで、教育にテクノロジーを掛け合わせることです。人と人という教授法がこれからも大事なことは変わりませんが、今の日本では、小学生から一人一台、電子端末を持つよう、学校教育にテクノロジーが取り入れられてきています。電子機器を使って自習や宿題もできるように、新たな種類の体験型の学びの方法を提供するのは、教育センターで急務だと思っています。

まずは、インターネット上で簡単に視聴できる Podcastやショートムービーを提供して、教育要素を含めた形でJAXAのプロジェクトやミッションを紹介します。VRやAR、そして将来的にはマシーン・ラーニングやAIを取り入れることを考えています。もちろん、すぐにはできないので、まだまだ「着手」という時点ですが、今からは試作品をどんどん作っていって、多くの人に試してもらう機会を設けていきたいと思っています。

6月11日~19日の「はやぶさWEEK」では、(株)GREEが開発し、宇宙教育センターがコンテンツの監修をしたVRのプログラム「月でスキージャンプ!」と「月ロケットツアー」を楽しんでいただきました。また、ノジマと博物館が共催した、「はやぶさ2」を題材にしたプログラミング教室にたくさんの親子が参加してくださいました。 

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<交流棟でのVRイベント>:子供から85歳までVR体験イベントに並んでくださいました。

Q:6月25日からは、ISASも協力する月に関する展示(「相模原と月 Vol.2」〜太陽系惑星の月たち〜)が市立博物館で始まります。教育センターも月をテーマにすることに力を入れているそうです。

A:はい。宇宙教育センターは、今年のIMD(International Moon Day)に合わせ、7月21日に相模原市立博物館と共催でVRイベントInternational Moon Day 「月でジャンプ!」を開催します。他にもまだ発表できない素敵な計画も控えていますし、これから数年は、月に関する教材や企画が目白押しになりそうです。JAXA宇宙教育センターの活動、要チェックです!よろしくお願いします!

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<プロフィール>
福岡県大牟田市出身。明善高等学校理数科卒業。カナダのブリティッシュコロンビア大学で数学と生命科学を学んだ後、米国プリンストン大学で歴史学の博士号を取得。米国ハーバード大学で歴史のクラスを教え、その内容は欧米や中東、アフリカを含む世界各地での講演活動へと広がって行った。著書に『ハーバード白熱日本史教室』(新潮新書)、『世界基準で夢をかなえる勉強法』(幻冬舎)、『異国のヴィジョン』(新潮社)などがある。

グローバルヒストリーと数学史の研究者として、英国ケンブリッジ大学ウォルフソンカレッジ、米国カリフォルニア大学バークレー校、ドイツのマックス・プランク数学研究所でヨーロッパ・アメリカ・アジア地域の数学史研究を進め、アフリカ地域の研究のために南アフリカのプレトリア大学にも赴任した。2018年以降、英国オックスフォード大学数学研究所とオックスフォード大学ペンブルックカレッジで学術研究を続けながら、学歴、国籍、世代にとらわれないオンライン教育の促進のためヴァーチャル模擬授業や、外交関連イベントで講演を行った。

2022年4月1日より現職。夢を追いかける姿勢を子どもたちに、学問を追求する姿勢を学生たちに伝えながら、国際的な場で地球規模課題に立ち向かえる人材を育むことを宇宙教育の目標としている。

(2022/06/24)