久しぶりに「あらせ」搭載用の粒子計測器を準備していた頃の業務日誌を見直しました。打ち上げ2年前からは特に幾つものメーカや研究機関の間を激しく飛び回っていたようです。コロナ禍の今から思うと隔世の感があります。主戦場は当時所属していた相模原の宇宙科学研究所にある粒子計測器開発室でしたが、担当メーカのある群馬県や愛知県には足繁く(そのほとんどは日帰りで)通いました。近隣の複数の工場にもセンサ部品加工、組み上げ、塗装・メッキのため何度もお邪魔しました。右から左に仕事を回すことに精一杯である一方で、様々な場所に赴くことについては楽しんでいた気持ちを思い出しました。名古屋駅で売っているお土産の相当な種類を買い尽くしたことも記載されていました。

出張の日々を振り返ると、今さらですが私たちの機器開発に必要なものは身近に揃っていたことに感じ入ります。「あらせ」のような衛星観測計画は最先端の研究開発かもしれませんが、日本の技術インフラがあってこそだと日誌を見返すことで俯瞰できました。

最も長く滞在したのは名古屋大学宇宙地球環境研究所の実験室です。観測対象と同程度のエネルギーを持つ粒子ビーム装置を利用するため、延べ数か月を名古屋大学で過ごしました。流石は大学キャンパスで、内外の食環境が充実していました。近場の台湾ラーメン屋もほとんど行ったようです。窓の無い煌々とした実験室で昼も夜も作業する無機質な日々の中で、夕食を何処にするかばかり思案していたことも思い出しました。

その後「あらせ」は無事に打ち上げられ、開発した機器は順調に観測を続けています。私たちの今はというと、「あらせ」観測データを眺めることは勿論ですが、別の観測計画の機器開発にも携わっています。昨今は、一日中パソコンでオンライン会議に参加したり、試験作業後にホテルの客室に戻ってお弁当を食べたりしているため、気軽に出張や食事をしていた当時の業務日誌には味わい深いものがあります。学びは何時までも尽きませんが、今なおその価値に気づかないものがあるかもしれません。