2010年6月、私は小惑星探査機「はやぶさ」の帰還とソーラーセイルの展開という、あり得ない二重のプレッシャーを感じていた。二つとも失敗に終わっていたら......、極悪非道の大悪人とでも言われていたかもしれない。

ソーラーセイルの名前はIKAROS(Interplanetary Kite-craft Accelerated by Radiation Of the Sun, イカロス)。失敗した神話の人物名を使うなんて、とよく言われるのだが、そうではない。イカロスの父、ダイダロスは発明家だった。創意工夫で挑戦を、という思いを込めたかった。そして、名前を国際的にしたかったことも理由の一つだった。世界が親しめる名前として、まさに不足はあるまい。

IKAROSは、単独のミッションではない。「ソーラー電力セイル」の実験機として投じられたものだ。ソーラー電力セイルとは、太陽光と、それによって得られる電力を用いた電気推進機関を併用するハイブリッドな宇宙船である。太陽光の利用としては、ソーラーセイルによる光子推進となる。ハイブリッドというのは、この光子推進に太陽光発電を加えることを指し、さらに電気推進を行うという意味でもある。

画期的な計画だと自負している。惑星探査が人々を引き付けるのは、到達すべき空間が、文字通りフロンティアであるからだ。惑星探査は未踏の領域を目指すべきではないか。そういう思いから生まれた計画である。もちろん、究極的な動力源としては原子力(原子力電池ではなく原子炉)が挙げられるだろう。しかし、中・小型の宇宙船には大掛かりな原子力は不向きであるし、当面は、太陽光エネルギーを活用する時代が続くと考えられる。それを意識して、新たな宇宙船をつくろう。ちょうど、発動機と帆を備えた機帆船が登場したように。それが、ソーラー電力セイル計画なのである。実に、2000年から取り組んだ検討だった。

しかしながら、ソーラー電力セイルによって世界で初めて木星トロヤ群小惑星を目指す壮大な計画は、技術的実現性が問われ、承認されなかった。活路を見いだすべく、まずは周囲を納得させるために実験機を打ち上げなくてはならない。そういう考えに至る。当時開発が始まっていたイプシロンロケットでの打上げが検討されたのだが、経費が掛かり過ぎる、と追い詰められていった。たまたま、金星探査機PLANET-C(あかつき)の打上げロケットを決める理事会に陪席して、窮地に活路を見いだすことになる。余剰ペイロードがあるなら、それを下さい、と身を乗り出して言ってしまったのである。当時の立川敬二JAXA理事長が、よくそれを考慮してくださったものである。それが、IKAROS計画の誕生。

IKAROSは、いろいろなものに挑戦した。かつて、これほどまでに形状を大きく変えた宇宙機があっただろうか。薄膜太陽電池、こうして丸めて搭載できたことで世間も実現性を納得したに違いない。液晶デバイス、光圧の差で姿勢制御を行うことで光をもって光を制す。世界が「クール」と驚いた。そして分離カメラ、自画像を撮らなければ膜が開いているとは納得してくれないだろう。そうこだわって最後まで死守した、世界最小の惑星探査機だった。何の言葉も要らず、ミッションの大成功を語る。さらに、GAP(ガンマ線バースト偏光検出器)などの観測機器も世界的な科学成果を挙げた。載せていて本当によかったと思う。

IKAROSを通じて、多くの人材が育った。IKAROSがやりたくて、宇宙研にやって来た学生も多い。若い集団にはリスクも多かったが、成長も目覚ましかった。私自身も大きな経験ができたと思う。いまや「はやぶさ2」を支える主力は、こうしてIKAROSで育った人たちだ。これからもそうでありたいし、次のIKAROSを登場させなくてはなるまいと思う。

多くの人たちが、実験機とは何か? そして実験機を投ずる価値を認識してくれたはずだ。「やれないリスクがあるから、やらない」ではない。「やれる可能性があるから、やる」のである。

(かわぐち・じゅんいちろう)