「あかり」打上げから3年がたち、『ISASニュース』の「あかり」特集号が上梓されることになりました。「あかり」がもたらした素晴らしい科学的成果を、多くの方に楽しんでいただければと思います。私は打上げ前に定年になりましたが、システム設計にかかわった一人として感想を書かせていただくことにします。

我が国初の赤外線天文衛星計画が宇宙理学委員会に正式に提案されたのは、1995年のことです。当時の赤外線グループはSFUに搭載された赤外線望遠鏡IRTSの成功で意気が上がっていたとはいえ、衛星本体の開発はまったくの未経験でした。構造、電源、姿勢制御、推進系、通信系等々について、学びながらシステム設計を進めるという、離れ業のような仕事でした。今にしてみれば、恐ろしいことをよく始めたものだと思います。とはいえ、衛星システムが何とか出来上がったのは、工学の先生方に助けられたおかげです。この場を借りてあらためて感謝したいと思います。

衛星のシステム設計を進めていたころ、宇宙で起きる不具合についてさまざまな想像を巡らしたものです。しかし、打ち上げてみると私が心配したことはほとんど起きず、考えてもいなかった太陽センサに問題が発生しました。宇宙では予想外のことが起きることを、あらためて認識したものです。とはいえ、「あかり」は大きな不具合を起こすこともなく、順調に観測を続けることができました。開発に携わった一人として「ほっとしている」というのが本音です。

「あかり」の目的は、赤外線で宇宙の構造と進化を探ることです。幸い、この特集号を読んでいただけば分かるように、「あかり」はさまざまな分野で大きな成果を挙げました。日本の赤外線グループがアメリカ、ヨーロッパと並ぶもう一つの柱になった、といっていいでしょう。「あかり」を契機に、今後は日本が世界の先頭に立って宇宙からの赤外線観測をリードしていくことになればと思います。

最後に一言。私は残念ながら途中で退場しましたが、世界的に見れば極めて少数の人たちによって、衛星の製作・打上げ・運用・データ解析・研究が進められました。困難な仕事をやり遂げた「あかり」関係者に敬意を表したいと思います。

(まつもと・としお)