始まりは航空宇宙技術研究所

科学推進部に所属されています。どのような仕事をされているのでしょうか?

科学推進部の総務として、主にエリア管理を担当しています。人の出入り、設備、職場環境の管理が中心ですが、「木が倒れていますが、どうしたらいいですか?」など、相模原キャンパスで何か困りごとがあると私たちのところに連絡がきます。何でもやりますよ。

経歴を拝見すると、さまざまな部署で仕事をされています。

JAXAでは、事務系の職員は3年ほどで異動するのが一般的です。

これまでの仕事を順に伺いたいと思います。まず、2000年に航空宇宙技術研究所(NAL)に入られました。

当時、NALは科学技術庁所管の研究所で、国家公務員として入所しました。「なぜNALに?」と聞かれることがあり、いつも答えに困ってしまうのですが......。私は佐渡で生まれ、きれいな星空を見て育ちました。宇宙や航空に特別興味があったわけではないですが、漠然とした宇宙への憧れは小さい時からあったかもしれません。

親の勧めもあり公務員を目指し、予備校に通っていましたが、採用までの流れをよく把握していませんでした。私が目指していた区分の公務員試験は、1次の筆記試験、2次の面接を経て、合格となります。さらに、希望する官庁を訪問して面接を受け、内定が決まります。しかし、その流れを知らなかった私は、2次試験の合格通知を受け取ったところで安心していました。

しばらくして、NALから「面接に来ませんか」と連絡がありました。採用予定人数に達していない場合、2次試験に合格した採用候補者名簿をもとに連絡がくるそうです。実は、NALのことは知りませんでした。特に希望する官庁があったわけではなく、宇宙や航空の研究をしているというのも面白そうだと思い、面接を受けたところ採用されました。現在のJAXAの職員は国家公務員ではないため、これからJAXAで働きたいという方の参考にはなりませんね。

NALでは、国有財産、外部資金、知的財産の管理、調達業務などを担当していました。業務を進める中で、科学的・技術的な部分で分からないことが出てきます。その都度、調べながら対応していました。理系とは縁遠かった私には、どんなに調べても分からないこともありましたが、割り切るようにしていました。深く考えるより、まず動こうというのは、今でも心掛けていることです。考え過ぎると、動けなくなりますから。

社内メルマガ「One-JAXA」編集を経て考えたこと

2003年、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3機関が統合し、JAXAが発足しました。その後、経営企画部推進課に異動しています。

2006年のことです。結婚を考えていたときに異動の話が出て、しかも馴染んでいた東京・調布から丸の内の勤務に変わると聞き、驚きました。経営企画部推進課では、役員と直接やり取りすることも多く、気を使いましたが、最前線の情報も入ってきて面白かったです。

社内メルマガ「One-JAXA」の編集も担当していました。当時、3機関それぞれの文化の違いが見えて一体感に欠け、統合効果が十分に出ていないという危惧が、役員にありました。「1つになろう」ということで、メルマガでは役員のメッセージやイベント情報を発信していました。私はNALにいたので、宇宙研のことも、NASDAのことも、よく知りませんでした。メルマガの編集を通して、3機関がそれぞれ何をやっているのか、よく理解できるようになりました。いろいろな人との接点ができ、そのつながりは今も役立っています。

私自身としては、すべてを統一する必要はないと思っています。特に、宇宙研がある相模原キャンパスに来てから、そう思うようになりました。NALの流れをくむ組織も、NASDAの流れをくむ組織も、それぞれの良さがあります。

子どもたちに「宇宙」を話す

2009年、相模原キャンパスにある宇宙教育センターへ。

経営企画部への異動は結婚のタイミングでしたが、宇宙教育センターへの辞令は長女が生まれる予定日でした。その後も、息子が産まれた2012年に宇宙研科学推進部へ、引っ越しをした2015年には科学推進部から広報部へ、と節目ごとに大きな異動がありました。
宇宙教育センターでの仕事は事務だと思っていたのですが、まったく違いました。
宇宙教育センターは2005年に設立され、私が異動したころは、宇宙教育をもっと広めようと活動が盛んになっていました。宇宙教育とは、宇宙について教えるというのではなく、宇宙という素材を教育に活かそうというものです。全国の教育委員会を尋ねて宇宙教育の意義を説明し、学校などで授業を行いました。日本全国に出張の日々でした。

講師を務める際に意識していたことはありますか?

小学生や未就学児を対象に宇宙のやさしい話をすることが多く、その際、一方的に話すのではなく、問い掛けるようにしていました。知識を覚えてもらうのが目的ではありません。宇宙に興味を持ってもらえればいいな、と思いながらやっていました。宇宙教育センターの授業がきっかけで、宇宙に興味を持ち、さらには宇宙関連の仕事に就いた人がいたら、うれしいですね。私が子どものころに宇宙の話を聞いていたら、違う道を歩いていたかもしれません。宇宙教育センターを離れた今でも、子どもたちに宇宙の話をする機会があれば、ぜひやりたいと思っています。

報道対応は瞬発力と緊張感

その後は、宇宙研科学推進部、広報部報道メディア課、再び科学推進部へ。

科学推進部は通算で9年ほどになりますが、予算管理、事業計画策定、現在の総務と、異動のたびに担当が変わりました。科学推進部の業務は幅広いのです。国際や人事などもあり、まだコンプリートできていません。

報道メディア課では、宇宙研と航空部門の報道対応を担当していました。その仕事をするようになり、初めてロケットの打上げを現地で見る機会を得ました。ものすごい迫力で、感動し、見とれてしまいます。しかし、この後すぐに報道対応をしなければと、はっと我に返りました。

報道対応の難しさは?

何かあると、電話が次々とかかってきます。記者の皆さんは情報を聞き出したい。でも、私たちには言えることと言えないことがあり、情報を出すタイミングも決められています。その押し問答がキツかったですね。

報道対応では、瞬発力も求められます。でも誤った情報を伝えて、それが報道されてしまったら、大変なことになります。緊張感がありました。

JAXAの一員であるというプライドを持って

これまで多様な仕事に携わってこられました。あらためて振り返って、どのように感じますか?

運がよかったのだと思います。いろいろな出会いがあり、今ここで働いています。JAXAは、日本で唯一の宇宙航空分野における研究開発機関です。子どもたちをはじめ、憧れている人がたくさんいます。そういう思いに恥じないような仕事をしていかなければ、と思っています。

今後、どのような仕事をしたいと思っていますか?

久しぶりに調布に戻ってみたいなとも思います。これまでの経験を活かし、20数年前とは違う関わり方、例えばもっと現場に足を運び、研究者や技術者から直接話を聞きながら仕事を進めることもできるかもしれません。でも、人事に関してはどうなるかわかりませんからね。どこであっても、JAXAの一員であるというプライドを持って仕事をしていこうと思っています。

ご自身の強みや特徴はどのようなことだと思われますか?

自分の意見を強く主張するより、相手に合わせることが多いですね。フットワーク軽く、ということも心掛けています。

最後に、趣味を教えてください。

子どものころからスポーツが好きでした。野球、バスケットボール、サッカーと、一通りやりました。今はプレーすることはなくなりましたが、サッカー観戦を楽しんでいます。普段の仕事ではJAXAのジャンパーにチノパン、ワイシャツというスタイルですが、休みの日には古着屋を巡り、服を見るのも好きです。

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【 ISASニュース 2025年3月号(No.528) 掲載 】(一部加筆)