宇宙・銀河の始まりを観測するために

東北大学から昨年1月にJAXAに着任されました。 なぜ宇宙研に来られたのですか。

一言でいうのは難しいですが、やはり自分が地上で進めてきた天文学の研究、すなわち「銀河の誕生と進化についての観測的研究」をさらに前へ進めるには、スペースから観測することが本質的に重要だと考えたからです。考古学は発掘されたものを手がかりに何があったかを推測しますが、観測天文学のすごいところは、巨大望遠鏡をのぞくことで10億年、20億年前、いや100億年以上前の銀河の実際の姿形や、そこで何が起こっていたかが「直接」見えることです。宇宙が始まって138億年と言われています。ハッブル宇宙望遠鏡やすばる望遠鏡など現在の装置では、130億年くらい前までの宇宙の姿を見通せます。しかしその先の8億年、宇宙で最初にできる銀河の姿や、あるいは、100億年前でも、多量のガスや塵に包まれた銀河誕生の真の姿がまだ観測できていない。そこを私は観てみたい。それには地上ではなく、スペース観測に軸足を置かなければと考えたわけです。

国立天文台時代には巨大なすばる望遠鏡計画に携わり、これを使って銀河の誕生と進化についての研究を行い、また、TMT(口径30mの光学赤外線・次世代超大型天体望遠鏡)計画の立上げにも関わってきました。一方、NASAではジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)を2018年に打上予定で、また、2025年打上を目指すWFIRST計画も進んでいます。こうした宇宙の最初の天体の姿に迫る一連の計画に、JAXAを通じて日本も参加したいし、もちろん自分も一人の研究者としてその中でやってみたいと考えています。研究が実現する時系列ではさらに先ですが、塵に包まれた銀河誕生時の姿を調べるためには、JAXAでは、ESAとの協力で2020年代の後半の実現を目指すSPICA計画がすすめられています。その推進にもぜひ力を尽くしたいと考えています。

JAXAとの接点はかなり前からあったと聞いています。

初めて関わったのは2008年ごろ、ちょうど国立天文台から東北大学大学院に異動したころでした。口径1.5m級の鏡と直径30分角の視野を持つ近赤外線カメラを搭載した宇宙機により、地上では到達不可能な深さでの広い天域の探査を目指す、超広視野初期宇宙探査衛星WISH計画を発案しまして、この計画を立ち上げるためのグループを宇宙研の理学委員会の下につくってもらいました。残念ながらWISH計画は2015年度の公募では採択されませんでしたが、宇宙研の方々とも色々と検討を重ねてきました。スペース計画を進めていくにはいろんな人の力が必要で、宇宙研を舞台に活動することは非常に重要な意味を持つのです。

宇宙研では、宇宙物理学研究系の教員であることに加えて、国際調整主幹という役割も与えられています。宇宙研として、JAXAとして、海外の宇宙機関あるいは研究機関と協力を進める際に、プロジェクトが円滑に進んでいくよう調整する仕事です。この1年でいえば、SPICA計画における日欧研究機関の協力関係構築であるとか、昨年6月に失われたX線天文衛星「ひとみ」にかわるX線天文衛星代替機の推進に向けての国際協力の構築、太陽系科学や工学ミッション、小規模計画も含め、様々な計画にも関連する仕事がありました。

大山・蒜山高原で仰ぎ見た"満天の星"

天文学に興味を持ったのはいつごろですか。

私はこういう仕事をしていますが、両親も学者肌かというと、必ずしもそうではなかったですかね。生まれは大阪。高校生のとき母に「将来は天文学をやりたい」というと、「あんた、上向いて口開けてたかて、お金降ってけえへんで」と言っていましたが(笑)。ただ、子供のころには、バージニア・リー・バートンの「せいめいのれきし」という絵本などで、地球や宇宙の歴史に目を向けてくれたのは両親だと思います。小学5年のとき、大山の蒜山高原にキャンプに行きました。そこで初めて、自分の足元くらいの目線からぐるっと夜空の全体が青白い宇宙、という、いわゆる"満天の星空"を体験しました。それが原体験としてあるように思います。現在は単身赴任のようなもので、休日は仙台の家に帰って家族と過ごすことも多いです。学生時代は軽音楽サークルに入っていたので、本当はギターでも思い切り弾きたいのですが、家族からうるさいといわれるので、ハワイ観測所時代に手に入れたウクレレで我慢しています。研究者は体力も大事ですから、週にせめて1時間くらいは「体育の時間」を作って、ジョギングやエアロビクスで健康の維持に努めるようにしています。

【 ISASニュース 2017年2月号(No.431) 掲載】