2014年12月に学際科学研究系准教授として着任され、広報・アウトリーチを担当されています。前職について教えてください。

銀河進化の研究で博士号を取得し、日本学術振興会の海外特別研究員としてイギリス・ノッティンガム大学でポスドクをした後、2002年に国立天文台天文情報公開センターの助手になりました。それからずっと広報・アウトリーチに携わってきました。

宇宙研に移って、どのような印象を受けましたか。

着任3日目に、小惑星探査機「はやぶさ2」の打上げがありました。相模原キャンパスでのパブリックビューイングにもたくさんの人が参加し、その盛り上がりに衝撃を受けました。国立天文台でも観測所の開所式や装置のファーストライトといったイベントがありますが、あれほどの盛り上がりは経験したことがありません。探査機や衛星の打上げというのは、人々を高揚させる特別なイベントなのだと感じました。同時に、職員数に対して課せられる仕事量が多く、極めて忙しい職場だとも感じました。それは今でも感じています。

この1年、どのようなことに取り組まれたのでしょうか。

宇宙研では、素晴らしい研究成果が出ているけれども一般の皆さんに伝わっていないものも多く、もったいないと感じていました。そこで、ホットな研究成果を広く知っていただく機会を増やそうと心掛けてきました。この1年でプレスリリースの数はずいぶん増えたと思います。それでも、論文が出てしばらくしてから知り、「こんな面白い研究成果があったなら教えてよ!」と声を上げてしまったことが何度かありました。情報を集めてタイミングよく広報していく仕組みづくりが必要だと思っています。

1年目を振り返って、どのように感じていますか。

「はやぶさ2」の打上げから慌ただしく始まり、昨年12月には「はやぶさ2」の地球スイングバイと「あかつき」の金星周回軌道投入があり、とにかく忙しく、あっという間に1年が過ぎました。「はやぶさ2」も「あかつき」も成功して、ほっとしています。社会的に注目が集まるミッションのマイルストーンではJAXA内でのさまざまな調整を経て広報活動が実現されるので、内部調整が大変です。けれども、今後も皆さんに宇宙科学に興味を持っていただけるように、良い企画を実行できればと思います。体が持てば、ですが......。

ほかにも今後の課題や、ぜひやりたいことはありますか。

探査機や衛星に関する報道や皆さんの関心は、打上げの直前に一気に盛り上がり、一気に下がってしまいます。その状況を何とかしたい。打上げの少し前から徐々に盛り上がり、打上げ後も関心を継続してもらうにはどうしたらよいか、戦略を練っているところです。

工学系の広報にも力を入れていきたいと考えています。装置を組み立てたり、試験をしたり、額を寄せ合って議論したりしているとき、どの人の顔もとても生き生きしています。装置や衛星・探査機が出来上がっていく過程も面白いものです。そうした様子をビデオなどで紹介できないかと考えています。研究室や実験室をのぞいてネタ探しもしています。

子どものころは、どういうことに興味を持っていましたか。

何も(笑)。ぼ~っとしていて宿題をやらず、忘れ物も多く、先生にはつかみどころがない子だと言われていました。特になりたい職業もなく、進路を真剣に考えたのは大学受験の直前でした。「理系」というのだけは決めていたのですが、極度の人見知りなので患者さんと話すのは無理だからと医学部はやめて、理学部を選びました。そして天文学科へ。天文学の研究では一人でずっとデータ解析をしていることも多く、それが自分に合っていて心地よかったですね。人と話すことが苦手な私が広報・アウトリーチの仕事をしているのは、自分でもとても不思議です。

忙しい中、休みの日はどのように過ごしていますか。

3年ほど前から茶道を習っていて、それが休日の楽しみだったのですが......。宇宙研に来てからは、休日はぐったりしてお稽古に行くことができていません。せめてもと、休日は好きな着物で過ごすようにしています。着物は慣れると、ふんわり包まれている感じで、ゆったりした気持ちになれるんですよ。

【 ISASニュース 2016年2月号(No.419) 掲載】