第10章 たくましき仲間たち

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物語「性能計算書」(1)

発端──“Hatellite”

日本最初の人工衛星の打上げ(L-4S-1)を控えた1966年の夏の日、目黒区駒場の糸川研究室で、綴じあがったばかりの性能計算書の表紙を軽く叩きながら、大学院生の松尾が、後輩の的川、上杉、佐伯の3名に語りかけた。「タイトルは“Satellite”でいいな」。ちょっと間をおいて的川、「どうですかね。“Hatellite”ぐらいじゃないですかね」。

かくて、松尾の高笑いとともに、日本最初の性能計算書は、“Hatellite”と命名された。「ハテ?」の意を込めた軌道への挑戦が、それから3年半に及ぶ「ハテ(果て)」の見えにくい苦闘になろうと、その時誰が予想したであろうか。

L-4S-1/Hatellite

左から、L-4S-2/Shatellite, L-4S-3/Satellite, L-4T-1/Tamellite, L-4S-4/Matenite, L-4T-1,L-4S-4/Demellite

挑戦──“Shatellite”から“Demellite”まで

L-4S-2による挑戦の性能計算は、ちょっとだけ警戒して“Shatellite”にし、やはり軌道には届かず、次の挑戦(L-4S-3)では、もう大丈夫との判断から、堂々“Satellite”と性能計算を命名したが、あえなく敗退。漁業の決着後、計画としては、4段目モータの推薬量を減らしたL-4T-1を経て、推薬を全装備したL-4S-4で軌道をめざした。性能計算は、前者は「タメライナガラタメシテミル」ので“Tamellite”、後者は「もう待てない」とばかり、“Matenite”。ところが、折悪しく発生したL-3Hロケットの失敗により、L-4T-1→L-4S-4の打上げは、1969年秋に延期された。秋の挑戦では、L-4T-1、L-4S-4の性能計算書は、合冊として“Demellite”と名づけて、「もう芽が出るころだろう」との願いを表現。過日、その“Matenite”という言葉を思い出せず、編集委員がウンウン言っている所に、ひょっこり現れた井上浩三郎、「あ、それはマテナイトでしょ」。まさにツルの一声(失礼)。

誕生の“hi-lite”

背水の陣で臨んだL-4S-5ロケット。性能計算書には、当時最も喫われていたタバコを文字って“hi-lite”が冠せられた。そしてその日本最初の衛星誕生は、1955年以来の血の滲むような努力の集積の、まさに「ハイライト」であった。

L-4S-5/hi-lite/おおすみ

Mシリーズ開幕──“Atellite, Batellite”

シミュレーション機L-4Sによる貴重な先例を継いだのは、Mロケットのシリーズである。その第一世代のM-4S-1による試験衛星MS-F1の打上げに際しての性能計算書は、「一発で当てよう」との実験班のグループの願いを反映して、“Atellite”と命名された。しかし軌道に届かず。M-4S-2は試験衛星MS-T1を成功裏に軌道へ送った。この衛星はバッテリーその他の搭載機器のテストが主目的だったので、性能計算書も“Batellite”。

M-4S-1/Atellite

M-4S-2/Batellite/たんせい

M-4Sの安定化──しんせい、でんぱ

次いで初の科学衛星MS-F2を成功させたM-4Sロケット3号機の性能計算書は1号機からのアルファベットの延長と「またまた勝つぞ」というので“Catellite”。衛星名は、ここから所内公募となった。まずは無難に「しんせい(新星)」。続く4号機では「これまでの成功は伊達ではないぞ」と“Datellite”。

M-4S-3/Catellite/しんせい

M-4S-4/Datellite/でんぱ

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