第10章 たくましき仲間たち

カテゴリーメニュー

史上最大の作戦

ローマ法王に拝謁

1985年から翌年にかけて76年ぶりに近づいてきたハレー彗星の探査は、期せずして世界中で取り組むおおがかりなプロジェクトに発展した。日本の「さきがけ」と「すいせい」、ESA(ヨーロッパ宇宙機関)の「ジオット」、ソ連の2機の「ヴェガ」、アメリカの「アイス」——合計6機の探査機が、1986年3月にハレーに接近、さまざまな観測をなしとげた。人々はこれを「ハレー艦隊」と呼び、宇宙科学史上最大規模の国際協力が実を結んだこの快挙を讃えた。

この「さきがけ」「すいせい」の打上げ準備の期間は、本当に多忙な毎日だった。しかし過ぎてみると感慨ひとしおのものがある。この時期の宇宙科学研究所の関係者は、まさにこの時代にたまたま生きて、このビッグなプロジェクトのど真ん中で作業に参加できたことの幸せを思わずにはいられなかったろう。メーカーの人々を含め、世界のあちこちで無数の青春が、わずか10km前後のちっぽけな天体のために捧げられたのだった。

ハレーの探査機を送った4つの機関、つまりインターコスモス(ソ連東欧宇宙連合)、ESA(ヨーロッパ宇宙機関)、NASA(アメリカ航空宇宙局)それに日本の宇宙科学研究所は、IACG(ハレー彗星探査関係機関連絡協議会)という組織を作り、このハレーを大がかりな国際協力で迎え撃った。毎年各機関持ちまわりで連絡会議を開いたが、ハレー最接近観測の行われた1986年の秋、総括会議をイタリアのパドヴァ(イタリア)で開いた。この探査に深い興味を覚えたローマ法王ヨハネ・パウロII世は、IACGのメンバーをバチカン宮殿に招いて会見した。

各機関の報告が終わり、法王の謝辞の後、法王が私たちの一人一人と握手をする段になった。

法王と握手をした途端に的川の心がとろけるようになった。「何という柔らかい手だろう。これは神の手だ。世界の人々がハレー探査の成功を祝福してくれているのだ」と感じた。

さてローマ市内のホテルに帰ってみると、ローマ法王と握手している一人一人の写真の紙焼きがもうできあがって、ロビーのテーブルの上に置いてあるのである。何たる早業!

400年前、ローマ法王の先輩が、近代科学の誕生を阻もうと躍起になっていたことを思うと隔世の感がある。ガリレオの後継者である「ハレー艦隊」と、ウルバヌス8世の後継者パウロII世とは、今ハレーへの共通の思いでつながれたのである。1989年9月23日、ヨハネ・パウロII世はガリレオの生地ピサを訪れ、「ガリレオの迫害は間違っていた」と表明、ガリレイの名誉は回復された。

読みかけのページとして記録する

「読みかけのページとして記録する」について