新規の衛星・探査機の開発と運用は、4つの段階を踏んで行われる。最初が、その衛星・探査機がどんなものかを検討する段階だ。どんなことをするのか、それは実際に探査機の形で実行可能なのか、実行可能ならおおよそどのような技術を使いどのような形になるかを、比較的少人数で検討する。

次に、ある程度予算をつけて、開発が難しそうな見通しの部位の試作品を作って試験したり、全体の詳細設計を行ったりする。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所(ISAS)でいえば、ワーキンググループの活動がこれに相当する。この段階に入ると、試作品を作って地上で試験をおこなうようになるので、自ずとメーカーがプロジェクトに参加する機会も増える。

続いてプロジェクト化による探査機本体の製造、そして最後に打上げと運用という本番がやってくる。

― 探査機を作るメーカーが、宇宙探査を支える ―

2016年にSLIMはプロジェクト化し、正式に探査機の開発が始まった。探査機の製造を担当するのは三菱電機株式会社。日本電気株式会社と共に日本の宇宙開発黎明期から衛星事業に携わってきたメーカーだ。もちろん三菱電機一社で探査機すべてを作ることはできない。搭載電子機器の部品から、推進系配管の継ぎ手やバルブに至るまで、様々なメーカーが部品を作り、それらを三菱電機がひとつの探査機としてまとめ上げる。インテグレーターと呼ばれる役回りだ。

また、インテグレーターは、単にISASの検討結果を受けて、その通りの探査機を製造するというだけではない。時によりよいと思える設計を提案し、時にはISAS側がどうすべきか迷っているような事柄に対して助言を行い、ISASと一緒になって探査機を設計レベルから作り上げていく。その意味ではインテグレーターは、「注文を受けて探査機を製造して、代金を受け取る」というだけの仕事ではない。共に考え、知恵を絞り、探査機を設計段階から作り上げていく同行者なのだ。

このような関係は、インテグレーターだけではなく、インテグレーターの下について探査機の各部位を作るすべてのメーカーに多かれ少なかれ共通する。ISAS、三菱電機だけではなく、関係するすべてのメーカーがSLIMを我が事として考え、「注文された部品を製造して納入する」を超えて開発に参加しないと、SLIMは完成しなかったろう。

2016年4月のプロジェクト化の段階でのSLIM最大の問題点は、重量マージンだった。月面に着陸するSLIMは大量の推進剤を搭載する。その一方で、打上げには「イプシロン」ロケットを使用する予定だ。イプシロンの打上げ能力内に、探査機本体と推進剤を合わせた全備重量を収めなくてはいけない。2016年4月の段階の設計では、重量的余裕が全くなかった。打上げ後に起きるかもしれない不測の事態に備えて、推進剤はなるべくたくさん積みたい。しかしそのためにはSLIM本体を軽量化しないといけない。本体が1kg軽くなれば、推進剤を1kg余計に積むことができる。そうすれば生じる余裕で、それだけ月着陸という目的達成の確率が上がる。前回説明した「推進剤タンクで機体に掛かる力を受け止める」という設計も軽量化の一環だ。

搭載機器関係では、電子機器のデジタル化と、それに伴う機能のソフトウエア化が軽量化に大きく役に立った。デジタル化した電子機器は、FPGA(フィールド・プログラマブル・ゲート・アレイ)という、後から回路構成をソフトウエア的に書き込むことができる集積回路で構成した。このようにすると、回路の動作速度の高速化と、ソフトウエアの作り込み・改良による完成度の向上を同時に実現することができる。

通信機器はそれまでのアナログ回路から、デジタル化によりすべての信号処理をソフトウエアで行うようになった。電力制御分配器(IPCU)における発生電力制御や、Sバンドトランスポンダ(STRX)における周波数変換やフィルタ処理など,従来はアナログ回路で実現されていた機能を、FPGA によるデジタル実装により代替して小型化を図った。特に宇宙用の直接入出力型STRXのFPGAによる完全デジタル化は世界初の成果だった。

搭載機器相互の接続も、それまでのアナログからデジタルなネットワークで行うように変更された。それまでは機器間をすべて直接配線でつないでいたものが、探査機内のネットワークに機器がぶらさがる形になったので、配線をずっと減らすことが可能になってその分機体が軽くなった。

また、宇宙空間で予定した通りの軌道を航行するための計算を行うコンピューターと、月面を撮影した画像から自機の位置を計算するコンピューターはひとつの機器に統合された。これまで複数のコンピューターを別々の機器として搭載していたものがひとつの機器になり、それだけ軽くなった。

太陽電池も軽量な薄膜太陽電池を使用し、バッテリーも従来の金属のケースを持つものではなく、スマートフォンなどで使用されるラミネートパッケージのリチウムイオン電池を使用した。地上用の機器とは違い、これらすべては、打上げ時の振動や、宇宙空間の真空や高温・低温に耐える必要がある。何度も綿密な試験を行って、壊れないという確証を得てから機体に搭載、使用することになる。

― ASTRO-H喪失、そして2年をかけた再検討へ ―

が、プロジェクト化とほぼ同時期の3月、一大事がISASを襲った。

2016年2月17日、ISASはX線天文衛星「ASTRO-H」をH-IIAロケットで打ち上げた。打上げは成功し衛星の初期運用は順調に進み、さあこれからが天文観測の本番だというタイミングの同年3月26日に突如機能停止してしまったのである。復旧の努力も空しく、ASTRO-Hはそのまま沈黙してしまった。

後の調査で、姿勢制御システムに問題があり、過剰な回転運動を起こして遠心力で太陽電池パドルが千切れてしまったことが判明した。

打上げ直後の最新鋭X線天文衛星を喪失したことは、日本の宇宙科学にとって大きな痛手だった。すぐに代替機XRISMの検討が始まったが、代替機を作るということはそれだけお金がかかるということだ。予算の捻出はどうしても他の計画へのしわ寄せを伴うことになる。プロジェクト化直後のSLIMは、この大波をもろに被ることになった。

大波は2つの方向からSLIMを襲った。まず、「失敗しない設計」が強く求められることになった。失敗を重ねるわけにはいかない。

2004年以降、SLIMは「多少のリスクがあったとしても、リスクを取り、月面ピンポイントという過去に例のない課題に挑む」という方針で検討・設計されてきた。小さく、安く作り、リスクを取ることで、野心的な目標に素早く挑むという方法論である。小さく、安く作るのだから、二重、三重の予備を作り込んで故障に備えるという発想はあまりなかった。

しかしここにきて、そのSLIMに「確実であること」が要求されるようになったのである。電気系統の余裕を大きくとって、壊れにくくするとか、着陸脚を丈夫にして予期せぬトラブルが発生しても壊れずに降りられるようにするとか ── 検討していくとSLIM本体は約15kg重くなることが分かった。15kg重くなった探査機が月面に降りるには、余分の推進剤が必要になる。推進剤は45kgの積み増しが必要となった。合計60kgの重量増加となった。

それまでSLIMは全段個体推進剤の「イプシロン」ロケットで打ち上げるという前提で検討が進んでいた。しかし60kgも増えるとイプシロンでの打ち上げは難しくなる。また、ASTRO-H後継X線天文衛星「XRISM」を開発する資金を別途なんとかして捻出する必要もある。そこで、SLIMはXRISMと一緒に、より大型のH-IIAロケットで打ち上げることになった。そのほうが打ち上げコストが安くなり、XRISM開発の資金も捻出できるという判断からだった。

こちらは、SLIMにとって凶報であると同時に吉報でもあった。凶は、打上げ時期の遅延だった。XRISMの開発と製造を待つ必要があるし、SLIM自身も設計変更の必要がある。SLIMはプロジェクト化の時点で2019年度打上げだったものが、H-IIAの相乗り打ち上げになったことで2021年度にずれ込んだ。

吉報はといえば、探査機重量と寸法に余裕ができたことだった。H-IIAは、60kg重くなったSLIMとXRISMの2機をまとめて打ち上げることができた。

これまでイプシロン打上げを前提としていたSLIMは常に打上げ能力ぎりぎりで、いかに重量を削減するかが大きな問題だった。その問題がロケットの変更で一気に解決した。また、直径約2.5mのイプシロンに対してH-IIAは直径4mもある。それだけ打ち上げ時に探査機・衛星を保護するフェアリングも大きい。つまりSLIMが多少大きくなっても打ち上げることが可能だ。ここまで大きく広げた方がよい着陸脚も含めて、イプシロンのフェアリング内に収まる寸法にするべく悪戦苦闘してきたことを考えれば、H-IIAの4mフェアリングは大きな救いとなった。

― 3つの設計変更で、SLIMはユニークな姿に ―

設計の変更にはちょうど2年かかり、2018年3月に完了した。通常はプロジェクト化の時点で、衛星・探査機の基本設計は完成しているものだ。しかしSLIMはプロジェクトが始まってから基本設計の大幅変更を余儀なくされ、同時に見た目も大きく変わった。

大きな変更点は4つ。

まず着陸方式が、4本の着陸脚を広げるごく当たり前の形式から、着地後にわざと横倒しにする2段階方式に変更された。

もともと、SLIMは4本脚方式を「あんまり奇抜と周囲に思われないための見せ球」に使い、内部では密かに二段階着陸方式を検討していた。アイデアの元はロボット工学の専門家からの、「月のピンポイント着陸を試験するだけなら、必要なのは着地したという実績だけ。なら脚は1本でいいじゃないか」という言葉だった。つまり、一本の脚で着地し、すこしの間は姿勢制御用のスラスター(小さなロケットエンジン)を噴射して一本足の姿勢を保つ。その間に、搭載していた観測機器とかロボットとかを放出して、後は本体は倒れておしまいでいいじゃないか、という考えだ。

それなら、まず一本の脚で着地し、その後にぱたっと重心の低い姿勢に倒れ、別の着陸脚で接地すればいい、というのが2段階着陸方式だ。斜面に着陸するのだから、探査機の姿勢は斜面に正対させ、斜面にしがみつくような形で倒れ込むことになる。

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SLIMの二段階着陸方式 (クレジット:JAXA)

このやり方には着地時の姿勢を安定させるために着陸脚を広げる必要がなくなるという大きな利点がある。もちろんこれまでの月面着陸で試したことがない、新しい方式だ。

次に、着陸方式が変わったことで、SLIMの姿もまた大きく変化した。最大の変化は、なんと左右非対称の形になったことだ。SLIMは月面の朝に着陸し、昼ぐらいまで動作すればそれでよしという設計だった。月の1日は約28日。だから太陽電池も7日間だけ光があたって発電すればいい。それならば、月面の朝から昼にかけて一番太陽光が効率よく太陽電池に対して垂直に近い方向から当たった方がいい。というわけでSLIMの太陽電池は着陸姿勢時の水平に対して10°傾いて取り付けることになり、その結果SLIMは左右に非対称の過去に例がない形の探査機となった。

取り付ける着陸脚も、従来にない形式となった。着陸脚の先端は3Dプリンターで製造するアルミニウム製。スポンジのようなすかすかの半球となった。接地時に潰れて衝撃を吸収する。これで複雑な衝撃吸収機構のない、単純かつ効果的に衝撃を吸収する着陸脚が実現した。

3番目として、軌道変更と月面への降下・着陸に使う推力500Nのメインエンジンが、1基から2基に増えた。

着陸に使うロケットエンジンは、月面ピンポイント着陸に向けた重要な技術的要素だ。搭載電子システムがどんなにSLIMの現在位置を正確に計測し、着地地点の障害物を検出して、それを避けるような着陸点を見つけても、ロケットエンジンが精密に推力を制御してその場所に正確に向かうことができなければ、すべてが絵に描いた餅となってしまう。

アポロ計画では月着陸船に使う推力の調整ができるエンジンを、推力調節に使う配管のバルブと一緒にゼロから開発した。しかし、予算が限られているSLIMではそんなぜいたくなことはできない。

SLIMは過去の衛星・惑星探査機で使用実績のある推力500Nのセラミック製エンジンを使用する。このエンジンは一定推力を連続して発生するように設計されていて、バルブでは推力を正確に絞り込むことはできない。

そこで、パッ、パッと、パルス状にエンジンを運転する。例えば1秒の間のうちに0.5秒噴射して、0.5秒エンジンを止めれば、平均すれば定格の半分の推力を発生しているのと同じことになる。噴射と休止の時間の割合を変えれば、それで平均推力を精密に制御することが可能になる。

ASTRO-Hの異常事象を踏まえて、SLIMは再検討の過程で重量が増えていた。また、H-IIAでの打上げが可能になったことから、SLIMに割り当てることができる質量が増えた。それならば、ということで重たくなったSLIMでも月重力に対して減速できるようにエンジンも1つ増やすことになった。三菱電機の提案で、エンジンの向きは機体重心を貫く方向に2基はハの時に外を向く方向に取り付けることになった。このように取り付けると、月に向かう途中で1つが使えなくなっても、残る1つで軌道修正が正確にできるという利点がある。

この変更に合わせて、姿勢制御用スラスターも、それまでの8基から12基に増強された。

実はハの字に取り付けるエンジン2基への変更は、SLIMの成功にとって決定的な意味を持っていた。が、変更時点で、そのことを予想した者はひとりもいなかった。

4番目として、打上げ能力に余裕が生じたことから、これまで「うまく軽量化出来て積むことができたらね」というオプション扱いだった観測機器や実験機器が搭載できるようになったことだった。それまでの検討でも、理学研究者が熱望するマルチバンド分光カメラは搭載するという方向だった。しかしSLIMの主目的はあくまで月面ピンポイント着陸の実証なのだ。機体の設計が煮詰まっていって、「どうしても軽くならない」となったら泣いてマルチバンド分光カメラを降ろすという事もあり得た。

打上げがH-IIAロケットになったことで、その必要がなくなった。それどころか、それまでは「うまく軽量化が進んで、乗せることが可能になったらね」というオプション扱いだったロボット工学研究者たちが推す超小型ローバーも搭載が可能になった。重量余裕ができたことで、SLIMは「着陸そのもの」という主目的に加えて「降りてから後が本番」という機器が搭載されることになったのである。

マルチバンド分光カメラ搭載確定で、着陸場所も決まった。マルチバンド分光カメラで理学関係者が観測したい場所に降りるのだ。クレーター近傍の斜面である。クレーターが生成した時に、飛び散った月内部のサンプルが散乱している地域だ。

着陸地は、月の表側、赤道近くの神酒の海の「シオリ」クレーター近く(南緯13.3度・東経25.2度)と決まった。ほぼ15度の傾きがある傾斜地である。

設計が固まったSLIMは、本体重量約200kg、そこに500kg以上の推進剤やガスなどを搭載して打ち上げ時には715kgになる。本体サイズは2.4m×1.7m×2.7m。左右非対称のこれまでのどのような衛星・探査機とも似ていない独特の形をしている。

その任務は月面に100m以下の精度で着陸する技術の検証だ。着陸できた場合に備えて、理学観測機器のマルチバンド分光カメラを搭載している。また、着陸後の工学実験装置として、小型プローブ「LEV-1」「LEV-2」を搭載する。LEV-1は、重量2.1kg。JAXA、東京農工大学、中央大学が共同で開発したぽんぽんと飛び跳ねて移動するローバーで、それだけで地上と通信する機能を持つ。

LEV-2は愛称「SORA-Q」。 LEV-2は、JAXAの宇宙探査イノベーションハブという組織が、玩具メーカーのタカラトミー、同志社大学、ソニーグループと共同で開発した重量250gという変形型月面ロボットだ。本体左右側面に偏心した車輪を持ちそれをぐりぐり回転させることで移動する。この移動方式は、タカラトミーが持つ玩具のノウハウから生まれたものだ。前後各1台のカメラを搭載している。このカメラの得る映像と画像認識機能を組み合わせて、LEV-2は着陸したSLIMの方向を自律的に向いて、画像を取得することができる。うまくいけば月面に着陸したSLIMの画像を地上に送ってくる予定だ。

LEV-1とLEV-2 は、パソコンで使う短距離無線伝送規格のBluetoothで通信することができた。LEV-2の撮った画像は、LEV-1経由で地表に送信する手はずである。

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SLIM、LEV1及びLEV-2 (クレジット:JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学 )

― 快晴の空に向けて打ち上げ、SLIMは宇宙へと飛び出した ―

こうして2018年春、SLIMは、検討を開始した2004年から14年目にしてやっと打ち上げに向けて動き出した。

基本設計が固まったSLIMは、2018年度いっぱいをかけて、「その設計で本当に良いのか」という構成部位レベルの試験を実施した。推進剤タンクからメインエンジン、姿勢制御用スラスターまでを実物と同様に組みあわせた推進システムを実際の運用を模擬して噴射してみたり、着陸に使うレーダーをクレーンから吊り下げて実際に動かしてみるといった試験だ。2019年度からは「詳細設計フェーズ」という段階だ。実際の搭載機器を製造可能な段階まで詰めて設計し、審査を行う。この段階では、実機とほぼ同じ特性を持つ機体構造体を作って、打上げ時の振動に耐えられるか、宇宙空間の真空や高温・低温でも壊れないかという大きな試験も含まれる。このために作ったモデルは、試験後に手直しして博物館での展示用モデルとなった。詳細設計が完了した部位から実機の製造が始まる。並行して運用システムの構築や、実際の運用時に利用する米航空宇宙局(NASA)の深宇宙通信システム「Deep Space Network」との適合試験も行う。

開発の終盤、SLIMならではの独特の試験がおこなわれた。SLIMの画像航法は、月周回軌道から月面を撮影してクレーターを認識し、月面の地図と比較して今自分がどこの上空を飛んでいるかを検出する。この機能がきちんと動作するかを確認するために、過去の探査機の撮影した画像から作成した、「SLIMからはどう見えるかを再現した月面」を数m角の大きさに印刷し、それを壁にかけて、完成したSLIMに「見せて」、きちんと画像航法が機能するかどうかを確認したのだった。

SLIMの場合、開発もまた次から次へと嵐のように襲ってくる大波との戦いだった。2020年には新型コロナ感染症の世界的パンデミックが始まり、関係者の対面打ち合わせも自由にできない事態となった。打上げ時期は、同時打上げのXRISMの開発が延びたことで1年延びて2022年度となり、その後の基幹ロケット打上げ計画全体調整の結果、最終的には2023年度に打ち上げることが決定された。

2023年3月7日、H3ロケット試験機1号機が打ち上げられた。しかし打上げは失敗。このH3ロケット失敗原因について、H-IIAロケットとの共通要因を評価・対策する必要があったことから、またもSLIMの打上げは延期され、2023年8月となった。

最後にSLIMの脚を引っ張ったのは、種子島宇宙センター付近の天候だった。当初8月26日の打上げが予定されていたが、悪天候のために27日へ、28日へとどんどん順延された。その後も天候は回復せず、打ち上げ日の設定すらできずに一週間が経過。9月4日になって、やっと9月7日に打ち上げるという決定が出た。

9月7日、種子島宇宙センター上空は見事な快晴の空だった。その空に向けて、SLIMとXRISMを搭載したH-IIAロケット47号機は午前8時42分11秒に上昇を開始した。打上げは順調に進み、打ち上げ後14分9秒でXRISMを、そして47分33秒でSLIMを所定の軌道に投入した。

2004年の検討開始から、19年を経て、SLIMの「本番」が始まった

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H-IIAロケット47号機/X線分光撮像衛星(XRISM)及び小型月着陸実証機(SLIM) 打上げ (クレジット:JAXA)

地球から月へは直接飛行すると3日間の旅となる。有人のアポロ計画では、この時間最短の軌道を使って月に行った。

しかしSLIMは推進剤を節約するために、3ヶ月半かかる軌道を使って月へと向かった。時間はかかるが推進剤を節約できる軌道を選んだのである。

SLIMは最初、地球を回る細長い長楕円軌道に投入された。自前のメインエンジンで3回にわけて遠地点高度を持ち上げていって、3回目の軌道変更で月に接近する軌道に入り、10月4日に月近傍を通過した。この時に月の重力場に引っ張ってもらって、SLIMはいちど太陽系空間に飛び出した。天体の重力場を軌道変更に使用するスイングバイという技術だ。こうすることで太陽の重力にひっぱってもらって、再度月に接近するときに、なるべく月との相対速度を小さくするのである。相対速度が小さくなれれば、それだけ少ない推進剤の噴射で月を回る月周回軌道に入ることができる。

12月5日、ここまで順調に運用できていることを踏まえて、月着陸が翌2024年1月20日土曜日であることが公表された。日付が変わる午前0時ごろから月面への降下を開始し、20分後の0時20分頃に月面に着陸する。なぜこの時間帯かといえば、この時間帯ならば日本の夜空に月が見えているからだ。つまり日本の地上局で直接SLIMと通信を維持することができる。20日午前1時30分を過ぎると、月が西に傾いて日本の地上局からの通信が難しくなるので、今度はNASAのDSNがスペインに持つマドリッド局のアンテナに切り替えて、通信を継続する。

12月25日のクリスマスの日、再度月に接近したSLIMはメインエンジンを噴射して月面からの高度600km×4000kmという月を回る細長い長楕円軌道に入った。

次に行うのは、より月面に近い軌道への乗り移りだ。年が明けて2024年1月14日、SLIMはメインエンジン噴射で月面から高度600kmの円軌道に入った。

ここからが着陸の本番である。

― ついに月着陸へ挑戦 ―

1月19日、再度の噴射でSLIMは15km×600kmと、ぐっと月に近い近月点の低い高度に入る。地球だと大気がある。高度15kmだと飛行機でも飛べる高さだ。もしも探査機が地球周りで、高度15kmというような軌道に入ると空気抵抗であっという間に墜落してしまうが、空気のない月では、探査機がそこまで低い軌道で月を回ることが可能だ。

この軌道の一番月面に近い点 ── 高度15kmのところから、SLIMは月面への降下を開始する。

降下開始直前の1月19日23時52分43秒、54分43秒、56分45秒と、SLIMは3回に渡ってSLIMは月面を撮影し、自分が今どこの位置にいるかを測定した。SLIMは1回の画像照合で、2回月面を撮影し、2回の独立した画像照合による位置計測を行う。2回の位置計測が一致すれば、位置計測はうまくいったと判断するわけだ。3回の位置測定はすべて成功。これにより、月着陸の準備はすべて終わった。

神奈川県・相模原市の宇宙科学研究所の管制室には、坂井真一郎SLIMプロジェクトマネージャ以下関係者が詰めて、SLIMから送ってくるデータを見つめていた。すべて順調。行ける。月に着陸できる。

降下開始のコマンドがSLIMに向かって送信された。

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小型月着陸実証機(SLIM) 着陸降下中の管制室内の様子 (クレジット:JAXA)

1月19日 23時59分58秒、SLIMのメインエンジンが降下のための噴射を開始した。この時点でSLIMは月面に対して秒速1.7kmもの高速で移動している。その後水平距離で800kmをかけて速度を落とし、同時に垂直に15kmを降下して、目指す目標地点に精度100mで着陸するのだ。

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SLIMの着陸シーケンス (クレジット:JAXA)

ここからSLIMは地上の管制室からの助けを受けず、すべて自動的・自律的に月面着陸の動作を行う。

最初にSLIMの飛行方向に向けて噴射して月面との相対速度を落とす。SLIMは月の重力に引かれて高度15kmから降下を開始した。

重力に引かれっぱなしだと、SLIMはどんどん落下速度が上がって月面に墜落してしまう。だからスラスターの噴射で落下速度を制御しつつ降りていく。この降下中にも2回の画像照合を行って自機の位置を測定し、着陸目標地点に近づくようにスラスター噴射で位置を修正した。

高度6.2kmで、ほぼ目標地点の上空に到達。ここからはメインエンジンの噴射で自機を支えつつ、ほぼ垂直に降りていく。着陸レーダーが起動し、月面との距離を連続的に計測していく。高度約4000mと約500mのところで、それぞれ2回ずつのカメラを使った位置測定を実施して自機の位置を修正。ここまでで7回の位置測定で、合計14回の画像照合を行い、すべてが成功した。

高度50mで一度SLIMはいったん、噴射でその場に浮いたホバリングに入った。今度はカメラで月面を撮影して、着陸目的地に岩石や小さなクレーターなどの着陸に対する障害物がないかを調べる障害物検知だ。ここでもSLIMは2回の撮影で2回の障害物検知を行い、最終的な安全な着陸地点として、当初目標地点から11.8mほど東南東方向に離れた場所を選択した。この時点で、目標であった精度100mでの着陸に向けた誘導制御は完全に成功した。

安全なピンポイントへとSLIMは降下していく。着陸直前には、2機の小型プローブ「LEV-1」「LEV-2」を放出。

午前0時20分頃、加速度センサーの数値が1/6G(地球重力の1/6)の値で静止した。これは月表面の重力加速度と等しい。つまり、SLIMは月面で静止している。

着陸成功だ。

SLIMは、日本で初めて、月面に軟着陸した探査機となった。世界的にはソ連、アメリカ、中国、インドに続く5番目である。

月面に初めて到達した日本の人工物体である工学実験衛星「ひてん」(1993年4月11日に月のフレネリウスクレーターに落下)から30年9ヶ月9日、1万1241日後の達成であった。

― 脱落したメインエンジンのノズル ―

しかしこの時、SLIMには異常が発生していた。着陸したはいいが姿勢がおかしい。どうも正常な着地とは違う面を下にしているようだ。しかも正常な姿勢ならば太陽光が当たって電力を発生するはずの太陽電池が電力を発生していない。

この2つの事実から推測できるのは、着地したSLIMは、太陽電池に太陽光が当たらない姿勢になっているということだ。

事前にこのような事態は起きる可能性があると想定されており、その場合に何をどうするかの手順は作成してあり、管制チームは訓練も行っていた。内蔵バッテリーの電力が持つ限り、できる限りのことをする。これに尽きる。

まず、SLIMが月面着陸を行う間に記録したデータを、地上局にダウンロードする。データはSLIMで開発したピンポイント月着陸技術の評価と改良に必要だ。失うわけにはいかない。幸い、取得したデータはその全部を地球側で受け取ることができた。

次いで、もう使う必要のない内蔵機器のスイッチをオフにして電力を節約。内部を保温するヒーターの電源も切る。午前1時30分を過ぎたところで、予定通り通信に使用するアンテナをNASAのDSNに切り替えた。

午前1時50分からは、理学観測機器のマルチバンド分光カメラを起動。電力が許す限り、周辺の岩石の観測を行った。LEV-1とLEV-2は、放出後は内蔵バッテリーで自律的に動作し、データの送信も、SLIM本体で中継せずに、直接別の地上局に送信してくる仕組みだ。そちらは両小型プローブを担当する工学関係者たちの運用チームに任せておいて良い。

バッテリー残量を気にしながら、理学関係者たちの観測が続く。時間は限られているので、行えるのは周辺地形を広くスキャンすることだけだ。これは詳細観測を行う岩石を選ぶため必要な手順である。リチウムイオンバッテリーは過放電すると内部にガスが発生して膨張・破裂する危険性がある。バッテリーが原因になってSLIMを壊してしまったら元も子もない。

マルチバンド分光カメラによる周辺地形のスキャンでは257枚の画像を取得、地球に送信した。午前2時57分、バッテリー残量が約12%にまで減ったところで、地上局からのコマンドでバッテリーを回路から分離。いったんこの時点で、SLIMは沈黙した。

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小型月着陸実証機(SLIM)搭載マルチバンド分光カメラ(MBC)による月面スキャン撮像モザイク画像 (クレジット:JAXA/立命館大学/会津大学)

姿勢のデータからすると、月が地球の周囲を巡るにつれて、月面から見える太陽の方向が変化し、着陸地点が月の一日のうちの午後から夕方になると、太陽電池に太陽光が当たるようになると推定された。

月面は、昼間は最高100℃を超え、夜間は逆にマイナス170℃を下回る過酷な温度環境だ。この温度変化にSLIMの搭載電子機器が耐えられるならば、太陽電池に太陽光が当たることで、電力を得たSLIMは復活する可能性がある。復活すれば、またマルチバンド分光カメラを起動して、さらなる観測を行うことができる。

運用チームはダウンロードしたデータの分析を急いだ。なにか異常があったことは間違いない。が、何があったのか。

加速度センサーの計測データは、高度50mでホバリングしている0時19分18秒に、突如メインエンジン噴射によって発生する加速度がそれまでの55%にまで低下したことを記録していた。そして、月面の障害物を回避するために撮影していた画像のうち、0時19分20秒に撮影した画像に、なんとメインエンジンのノズルが写っていた。

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小型月着陸実証機(SLIM)が 高度50m付近で撮像した月面画像。SLIMメインエンジンから破断し落下するノズル部が確認できる。 (クレジット:JAXA)

つまり、0時19分18秒になにかの異常が発生して、2基装備したスラスターの片方のノズルが一番細くなるスロートと呼ばれる部分で破断して脱落したのである。ノズルは燃焼ガスの熱エネルギーを噴射の運動エネルギーに変換する機能を持つ。片方のメインエンジン推力はノズルの脱落でがたっと落ちたのだ。

しかしSLIMにはそのような状況になった場合に、どのように動作するかが事前に教え込んであった。ノズルは推力の方向が重心を貫くように斜めに取り付けてある。だから片側のメインエンジンだけでも機体の姿勢を崩さずに支えることができる。

SLIMは緊急時のために用意した動作手順に従って、着陸動作を実行したのだ。ただし片方のエンジンだけでは機体を完全に支えることはできず、秒速2〜3mの速度でゆっくりと降下していく。また、横方向の速度をゼロにすることはできない。横方向の速度を持ったままSLIMは最後の50mをゆっくりと降下して、目標地点から60mほど東側にずれたところで月面に接地し、その勢いで姿勢を崩して転がり、予期せぬ姿勢で静止したのだった。

後のトラブル調査で、片側のエンジンのノズルが脱落した理由も明らかになった。

SLIMのメインエンジンは小型の姿勢制御用スラスターと共通の推進剤を同じタンクから供給する。タンク内は加圧してあって、その圧力で推進剤をメインエンジンや姿勢制御用スラスターの燃焼室の中に押し込んで点火する。

通常は、別に高圧ガスタンクを用意しておいて、そこからの高圧ガスの圧力を調節しつつ推進タンクにかけていくという設計をする。このやり方だとタンクから押し出される推進剤の圧力はほぼ一定に保たれる。この方式を調圧方式と呼ぶ。

ただし調圧式は別の高圧ガスタンクが必要になり、重くなるという欠点がある。だから重量に余裕がなかったSLIMでは高圧ガスによる圧力調整機構を省いたブローダウン方式を採用した。

しかしブローダウン方式は推進剤と同じタンク内に入れた高圧ガスで推進剤を押し出す。だから推進剤を使っていくとガスの圧力も下がっていき、それだけ推進剤を燃焼室に押し込む圧力も低くなっていく。圧力が下がると、燃焼室に投入される推進剤の量も減り、推力が下がるため、軌道を制御するときには、そのことを予め考えておかないといけない。また、SLIMの場合は、推進剤は、燃料と酸化剤の2種類あって、混合する比率も一定範囲になる必要がある。そのため、推進剤が流れる勢いも、燃料と酸化剤で歩調を合わせる必要があるなど、注意深く設計する必要がある。

ここで、SLIMのメインエンジンは、連続的にではなく、パッ、パッと、パルス状に噴射を行うということを思い出してほしい。

高度50mでホバリングしていたSLIMはもう大分推進剤を使ってしまっていて、タンクの圧力が下がっていた。しかもホバリングのためにすべての姿勢制御用スラスターもまた忙しく噴射していた。それぞれの姿勢制御用スラスターとメインエンジンの噴射タイミングが重なることで、推進剤を供給するための圧力が変動。その結果として、燃料と酸化剤の流れ方に大きな差が生じて、その結果、メインエンジン内部で不着火が発生し、その分の推進剤がメインエンジンの燃焼室内部に溜まってしまった。その直後に姿勢制御用スラスターの噴射が終了して、メインエンジンに流れる推進剤の量が回復し、着火してしまったのである。

すると燃焼室内部に溜まっていた分と合わせて通常よりも多い推進剤が一気に着火する。その衝撃でノズルスロートが壊れ、ノズルが脱落したのであった。

根本的には、連続的に一定の推力を発生し続けるように設計してあったメインエンジンを、月着陸という目的のためにパルス状に運転して推力を調節するという、設計時には想定していなかった使い方をしたということがあったわけだ。

しかし、そのこと自身は事前に十分に試験をおこなって問題がないことを確認してあった。

設計と運用の現場には、「事故は予期しなかったことが複数重なって起きる」という経験則がある。SLIMのノズル脱落は、その典型例だった。メインエンジン設計時には想定していなかったパルス状の運転、軽量化のために採用したブローダウン方式の推進剤供給システム、他の姿勢制御スラスターと共通の推進剤使用、そして運用末期の推進剤供給圧力の低下 ── ひとつひとつはそれだけでトラブルに至るものではない。実際SLIMを開発する段階では十分な試験をおこなって安全であることを確認していた。

しかしそれらがすべてそろって、しかもそこに「複数の姿勢制御用スラスターとメインエンジンの噴射タイミングが重なる」というもうひとつの偶然が重なった時、ノズルの脱落というトラブルが起きたのだった。

―「腰が抜けそうになった」 LEV-2撮影の映像 ―

ここで、着地寸前にSLIMから放出された小型プローブ、LEV-1とLEV-2 に視点を移そう。共に見事に成功した。

LEV-1は、分離後、機体の温度が上昇して停止するまで107分活動した。その間、搭載カメラで周囲を観測し、自律的に飛ぶ方向を決定して7回の跳躍を行って移動した。これにより、LEV-1は、自律的に月面上を跳ねて移動する世界初の探査ローバーになった。

また、LEV-1は地球との通信機能を持っており、そのうちUHF帯の通信機能はアマチュア無線の周波数帯で、世界中からアマチュア無線愛好家が受信に挑戦し、いくつかの受信成功報告がJAXAに届いた。これによりLEV-1は史上初の月面アマチュア無線局となった。

もちろんデータ送信用のSバンドの通信機能も正常に動作した。7回の跳躍というデータは、この通信機能でLEV-1から直接地球に送信されたものだ。

それだけではなかった。

LEV-2にはカメラが搭載されており、撮影したデータは、LEV-1経由で地球に送信することができる。
このLEV-2がとてつもない画像を送ってきたのである。

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変形型月面ロボット(LEV-2)「SORA-Q」が撮影・送信した月面画像 (クレジット:JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学 )

SLIMプロジェクトマネージャの坂井真一郎教授は、その画像を見せられたときの印象を「写真を見た瞬間、腰が抜けそうになった」と形容した。

画像には、月面に倒立状態で着陸したSLIMが鮮明に写っていた。ダウンロードしたデータから推定した通りの姿勢だった。色のないモノクロームの月面にあって、金色の断熱材に身を包んだSLIMは人工物であることを主張し、屹立していた。天を向いたメインエンジンは、確かに片側のノズルが脱落していた。

この画像が得られたということは、LEV-2の画像認識機能が正常に機能し、その結果に従ってLEV-2は車輪を動かして向きを変えてカメラをSLIMに向けて、その姿を撮影したということを意味する。

たった228gのLEV-2は、世界最小の月面探査ロボットの称号を得た。しかも、SLIMを撮影することで、超小型でもきちんと役に立つことを実証した。

もうひとつ重要な成果があった。LEV-1とLEV-2は、連携して動作し、地球にデータを送ってきた。このような小型プローブの連携による観測は、これまた史上初だった。

これにより、多数の超小型ローバーが連携して行う他天体探査という新しい可能性が拓けたのである。

― しぶとく復活し続けたSLIM ―

一度は沈黙したSLIMだが、1月28日になって再起動した。太陽電池に太陽光が当たるようになったのだ。それっとばかりに理学研究者たちがマルチバンドカメラを使った分光観測を開始する。彼らは着陸直後の周辺スキャンの画像に基づいて、観察対象となる岩石を選定していた。岩石にはそれぞれ、「(トイ)プードル」「しばいぬ」「あきたいぬ」「かいけん」「セントバーナード」等犬の名前が付けられた。まず最初に観察の対象になったのはSLIMに一番近い「(トイ)プードル」だった。

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電力回復後にSLIM搭載MBCにより10バンド詳細観測を行った岩石 (クレジット:JAXA/立命館大学/会津大学)

月面の日没とともに、またSLIMは沈黙した。

月面は昼夜がそれぞれ14日間続く。日中の月面温度は100℃を超え、夜は零下170℃にまで下がる。この温度差に搭載機器が耐えるのは難しい。そこでSLIMは、着陸地の"朝"に着陸し、温度が上がりきらない数日間だけ運用して、運用を終了するという方針で設計されていた。

ところが、SLIMはしぶとかった。2月25日、SLIMは復活した。温度差270℃もの環境に耐えたのだ。3月27日に、またも復活。ただしこの時には、一部の機器に異常が発生し始めているのを確認した。4月23日、みたびSLIM復活。この時は宇宙空間を航行する際に自機の姿勢を知るために星を撮影するスタートラッカーというカメラを使って、月面の撮影を試みた。

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SLIM搭載スタートラッカーにより撮影した月面画像(クレジット:JAXA)

SLIMは、着陸後、月の夜に耐える特別の設計はしていなかった。それでも3回の夜を乗り越えることができたのである。

が、そこまでだった。5月と6月、7月と地上側はSLIMとの通信を試みたが、SLIMからの返事はなかった。

宇宙を飛ぶ衛星・探査機は法的には無線局であり、運用終了にあたっては以後電波を出さないように停波という処置を行う必要がある。8月23日22時40分、SLIMに停波コマンドが送信され、これをもってSLIMの運用は終了した。

2023年9月7日の打上げから、351日、2016年4月のプロジェクト化から約8年5ヶ月、2004年の検討開始から20年。

そして、工学実験衛星「ひてん」が日本の人工物体として初めて月面に到達した1993年4月11日から31年4ヶ月12日、1万1457日目の区切りであった。

― 旅の終わりに、新たな旅へ ―

SLIMは、月面へのピンポイント着陸技術を実証する工学実証機だ。その後には、得られた技術を使って、本格的な理学観測を行う探査機が続く必要がある。

プロジェクトマネージャを務めた坂井教授は「SLIMで開発した技術成果、特にピンポイント着陸の技術については、きちんと後継のミッションに繋げたいと思っています」という。

「例えば、JAXAが開発した技術を民間企業が活かす、しかも事業として繰り返しこれを利用する、というのは、1つの美しい連携になるのかもしれません」

── だとするなら、例えば、SLIM2のような後継ミッションを立ち上げて実現するというようなことは考えていますか。

「一人の研究者としては、"SLIM2" 的な何かに関わっている自分よりは、全く違うところで、また、制御により宇宙機を自在に操ることに挑戦している自分の方が、なんとなくイメージが湧くなぁと、思ったりしています」。

「次のステップが、SLIMの延長線上にあるSLIM2ではない」という思いは、澤井教授も共通している。

「SLIMで得られた技術そのものにしがみつくのではなく、『宇宙のナゾを解く』、『宇宙をもっと身近にする』という思いと、それを実現するために必要な新たな技術・手段を生み出し続けることだと思います。過去の成功に囚われずに、挑戦する姿勢を保ち続けたいですね」。

福田教授は、「SLIM の開発でも宇宙以外の分野から大学研究者や企業に新たに参加頂きましたが、民生技術の進展は著しく、今後も先進的な技術を持ったプレーヤーと協働して、より一層の宇宙機の高機能化を目指すチャレンジが大事と思います」と話す。

そのためになによりも必要なのは、実現に向けた時間をいかにして短くするかだ。「SLIMでは20年かかってしまいました。が、今後は着想から実証までのサイクルを短くする努力が不可欠です」。

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左から坂井真一郎教授、澤井秀次郎教授、福田盛介教授 (クレジット:JAXA)

SLIMの大冒険は終わった。その余韻はまだ心に残っている。が、「次」だ。それも、すばやく、確実に。しかもSLIM2ではない、もっと違う未来に向けた新しい課題のための新しい技術 ──

宇宙は探査を待っている。

※本記事の一部は、筆者・松浦氏による取材や見解に基づき構成されています。

◇著者:松浦 晋也
◇プロフィール:ノンフィクション・ライター 
1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学理工学部卒、同大学院メディア・政策研究科修了後、日経BP社の記者として宇宙開発等の取材経験を経て独立。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。