酸素は、地球や小惑星など岩石質の天体の重量のうち約半分を占める主要元素です。その同位体比(180/160、170/160)は、隕石種とその構成物質ごとに異なる値を取るため、未知の地球外試料の起源を同定することに用いられます。さらに、異なる鉱物間で酸素同位体の交換が起き、その平衡状態での酸素同位体比の差が温度に依存することを利用して天体内部の温度を推定する、酸素同位体温度計は地球・宇宙科学の分野で広く適用されています。探査機「はやぶさ」が持ち帰ったイトカワ試料が真に小惑星物質であるか? 小惑星イトカワの母天体小惑星はどのような熱史をたどったか? を知るうえで、酸素同位体比は強力な指標になります。本稿では、イトカワ試料の酸素同位体比分析とその成果について紹介します。

イトカワ試料の分析を行った当時、私はポスドクとしてウィスコンシン大学に在籍していました。同大学には二次イオン質量分析計(SIMS; Secondary Ion Mass Spectrometer)の最新型機Cameca IMS-1280があり、これを用いた地球外試料の同位体比分析が私の仕事でした。SIMSとは、直径10µm程度のセシウムイオンビームの照射により試料から叩き出された二次イオンが磁場中を通過する過程で質量/電荷比の違いによって同位体ごとに分離されることを利用し、同位体比を測定する分析機器です。イトカワ試料のような微粒子(直径10~100µm程度)の酸素同位体比を得るには、SIMS分析が唯一の方法です。実際、イトカワ試料の初期分析でもSIMSによる酸素同位体比分析は行われ、地球に飛来する隕石で最も主要な普通コンドライトの酸素同位体比と類似すると報告されています。

我々SIMSラボは、初期分析結果の検証と未分析の鉱物種(Ca輝石)の分析を目的に、イトカワ試料の第一回国際研究公募に研究提案を提出し、採択されました。冒頭で述べた二つの問いに答えられるだけの十分な精度が得られることは、普通コンドライトのSIMS分析結果から実証済みだったので、残る課題は試料の加工成型でした。初期分析で調べられたイトカワ試料は、6㎜樹脂円盤に包埋され、研磨された状態でした。一方、SIMS分析で正確な値を得るには直径25㎜の平滑面を用意する必要があります。そこで、6㎜樹脂円盤を柔らかい金属であるインジウムの中に押し込むことで、上記の要求を満たし、なおかつ、分析後に6㎜樹脂円盤を取り出して次の分析へ引き継ぐことが可能なインジウムマウント(図1)を考案し、研究提案に書きました。ですが、微妙に形状やサイズに異なる樹脂円盤に合わせたインジウム量の調整、高低差や隙間のないマウントの作成は非常に困難でした。

図1 SIMSホルダーに装填されたインジウムマウント

図1 SIMSホルダーに装填されたインジウムマウント

SIMS分析した7つのイトカワ試料(図2)の酸素同位体比データはいずれも普通コンドライトの領域にプロットされました(図3)。すなわちイトカワ試料は小惑星物質であり、普通コンドライトと(イトカワを含む)S型小惑星は親子関係にあると言えます。以上のことは、先行研究と整合的です。一方、4種の鉱物間での同位体分別から推定される熱変成温度は、Ca輝石-斜長石間で約800℃、橄欖石-Mg-Fe輝石間でおおよそ1400℃となり、大きく異なります。1400℃は斜長石の融点を超えるため、現実的な数字ではありません。Ca輝石を含む4種の鉱物間での酸素同位体比は平衡状態でないと言えます。これは橄欖石中の酸素の拡散速度が遅いため、酸素同位体比が平衡に達する前に熱変成が終了したためと考えられます。つまり、これらの物質は800℃程度かそれ以上の温度にはなったが比較的短い期間であったことを物語っています。どの程度の時間であるかを明らかにすることは困難ですが、同じような結果が同様の隕石の分析結果から得られており、イトカワだけが経験した特殊な歴史ではなく、これらの隕石が普遍的に経験した可能性を示唆しています。

図2 SIMS分析後のイトカワ粒子の電子顕微鏡像。SIMS分析孔横の数字は、スポットナンバー。

図2 SIMS分析後のイトカワ粒子の電子顕微鏡像。SIMS分析孔横の数字は、スポットナンバー。

図3 イトカワ試料の三酸素同位体図。δ18Oとδ17Oは、それぞれ試料の18O/16O比と17O/16O比の標準海水の値からのずれを千分率で表したもの。H、L、LLの直線は普通コンドライトのサブグループがプロットされる直線。ECLは、Equilibrated Chondrite (平衡コンドライト)Lineの略(Clayton et al. 1991 GCA)。

図3 イトカワ試料の三酸素同位体図。δ18Oとδ17Oは、それぞれ試料の18O/16O比と17O/16O比の標準海水の値からのずれを千分率で表したもの。H、L、LLの直線は普通コンドライトのサブグループがプロットされる直線。ECLは、Equilibrated Chondrite (平衡コンドライト)Lineの略(Clayton et al. 1991 GCA)。