宇宙研は「気持ちの良い世界」

2024年8月にJAXAの理事補佐に就任されました。宇宙研に来て、どのような印象を持っていますか?

宇宙研は大学院教育の場にもなっていて、JAXAの中でも独特な存在です。宇宙研では、最先端の宇宙科学を推進するという使命のもと、一人ひとりが、自主性を持って自発的に研究開発に取り組んでいます。その姿を見て、私はとても気持ちの良い世界だと感じました。

子どものころから、決まった型にはめられるのが苦手でした。勉強も、自分でやる気になればとことんやるのですが、毎日何時間と決められるとやる気が失せてしまうのです。高校でラグビーを始めたのも、手も足も使え、接触プレーも認められている、その自由さに惹かれたからです。自由と自主性は、私がずっと大切にしてきたものです。

理事補佐として、どのような仕事をされているのですか?

藤本正樹所長を補佐し、宇宙研の活動がより円滑に進むよう業務の改善に取り組んでいます。特に意識しているのは、皆さんの邪魔をしないことです。

自主性、自発性に加えて、私が大切にしたいのが「ソウゾウ」です。「ソウゾウ」には、「想像」と「創造」の二つの意味があります。社会を変える画期的な発明も、最初は一人の想像から始まります。宇宙科学でも同じです。誰も想像しないことは、創造につながりません。だから皆さんの「こんなことできたら凄いでしょ!」ということを声に出して欲しいと思います。皆さんの想像の芽を摘まず、創造につなげることができる環境を整えることが、私の役目だと考えています。

「目標の共有」と「見える化」を

宇宙研には、どのようなことが必要だとお考えですか?

主に二つあると考えています。一つ目は、日本の宇宙科学が目指す方向を示していくことです。もちろん、新しい良いアイデアは逐次反映していく必要はありますが、宇宙科学分野で目指すべき方向性の認識を共有することで、一人ひとりの取り組みが繋がっていけば、宇宙科学の未踏の領域を切り拓いていく大きな動きになっていくのではないでしょうか。

二つ目は?

宇宙研の活動を積極的に外へ伝えていくことです。

内部の人にとっては、「外へ発信するほどの取り組みや成果ではない」と思うかもしれません。しかし、外から見ると「これはすごい」と思えることが、数多くあります。今は小さな取り組みであっても、それが将来のミッションを実現するための重要な一歩であることも多いはずです。

ありがたいことに、宇宙研の活動を応援してくださる人がたくさんいらっしゃいます。これまでも情報発信には取り組んできましたが、さらに発信を強化し、取り組みの意義や、その先にある可能性をわかりやすく丁寧に伝えることで、宇宙研を応援してくれる人がさらに増えると考えています。

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科学技術によって社会を良くできる

大学卒業後、科学技術庁(現 文部科学省)に入庁されました。科技庁を志望した動機を教えてください。

横須賀出身で船が身近でしたし、ものつくりへの憧れがありました。

子どものころから物事を探求したり想像したりすることも好きで、周りを見て「こうしたらもっと良くなるのではないか」といつも考えていました。

さらに、科学技術そのものだけでなく、科学技術をどのように使って社会に役立てるかにも関心がありました。科学技術によって人々の生活や社会をより良くできるはずだ、そういう使い方をするべきだ、という思いがあったのです。そうしたことから、科学技術政策に関わりたいと思うようになっていきました。

福島原子力発電所事故の賠償、福島の復興にも携わる

科技庁に入庁して、どのような仕事をされてきたのですか?

最初の配属は、原子力安全局原子力安全調査室でした。その後、科学技術政策局で科学技術政策に取り組み、科学技術振興調整費や安全・安心科学技術などの公募型研究制度の企画立案・運営も担当しました。

通商産業省、文化庁、茨城県、内閣官房、経済産業省、原子力規制委員会、防災科学技術研究所、理化学研究所など、さまざまな省庁や研究機関にも出向し、仕事をしてきました。かなり以前に、「宇宙に関わる仕事がしたい」と希望を出したことがあります。省庁の人事は希望が通らないことが多く、宇宙には縁がないのかと思っていたところ、今回、JAXAに来ることになりました。

これまでの仕事で、特に印象に残っていることを教えてください。

東京電力福島第一原子力発電所事故の損害賠償調整です。事故発生当時、私は文科省研究開発局にいて、高速増殖炉「もんじゅ」がある福井県の敦賀原子力事務所長をしていました。原子力の研究開発に長く携わってきたので、自分も事故対応に関わらなければいけないと思っていましたが、すぐには異動がかないませんでした。その後、出向先の経産省資源エネルギー庁で福島原子力発電所事故に関わる国の指針に基づく損害賠償を担当することになり、地元被災者への説明、東電との調整を行いました。

損害賠償の調整を進める中で、福島を復興し、住民の生活を元に戻すことが欠かせないと強く感じていました。ただし、避難地域は社会インフラが失われています。避難解除になっても社会インフラがないと人は戻れず、人がいないと社会インフラをつくれません。そのジレンマの中で、復興は思うように進みませんでした。

文科省に戻って研究開発局原子力課放射性廃棄物企画室に着任した私は、福島に廃炉のための研究機関を設立することを主張しました。廃炉の研究の推進とともに、福島復興の核となる施設が必要ということでしたが、当時、研究は良いが、箱物の建設には否定的な意見が強い状況でした。しかし、箱物である研究所をつくって研究者が集まることで、社会インフラがつくられ、そうすれば住民も戻ることができます。関係各所と粘り強い交渉を重ね、最終的に避難地域が解除された福島県富岡町に「廃炉環境国際共同研究センター」(CLADS)の設立を実現できました。意図を理解し実現に向け共に進めていただいた、文科省の関係者、日本原子力研究開発機構(JAEA)の関係者には、感謝しかありません。

交渉が行き詰まったとき、どのように動くのですか?

理詰めだけではなかなかうまくいきません。上司にダメ出しされることもあります。交渉に行き詰まったときは、何がダメだったのか、別の突破口がないか、そのルートがダメでも、別のルートであれば可能性があるかもしれません。内容自体の精査、やり方、進め方、あらゆる可能性を自分で探し回ります。強い思いを持ち続けていると、不思議と応援してくれる人が現れ、力を貸してくれたりすることがあります。その時は失敗しても、意義が変わらなければ、その後の人が引き継いでくれることもあります。

ばらばらに見える仕事もつながっている

経歴を拝見すると、これまでの仕事は多岐にわたっています。

所属先の名前だけを見ると、ばらばらに思えるかもしれませんが、実はつながっているのです。

例えば、防災科学技術研究所での災害対応は、原子力の安全規制や原子力発電所事故対応と重なる部分が多く、これまでの経験が役立ちました。理研革新知能統合研究センターでAIの学習に関する権利問題について検討した際には、文化庁での著作権業務が活きました。宇宙研でもAI活用の議論が始まっており、そこでも力になれると考えています。また、宇宙開発ではさまざまなトラブルが起こるため、その際には原子力対応などの経験も役立てていきたいと思っています。

仕事をするうえで心掛けていることはありますか?

「一隅を照らす」という言葉が好きです。自分の持ち場でやるべきことをしっかり果たす。その集合によって、全体がうまく動いていくのが理想ですが、全体で上手くいかない部分があれば、自分の持ち場から踏み出していく積極性も大事にしたいです。

科学技術の理念が問われている

今後、どのようなことに取り組みたいとお考えですか?

科学技術行政に30年以上携わってきました。最初は、進歩を積み重ねれば、日本は必ず良くなると信じていました。しかし今、科学技術の足元が崩れ始めていると感じています。

最近の科学技術政策では、基礎的、基盤的研究予算を抑制し、時世の重点的テーマを重視することを続けてきましたが、その結果、研究開発費や研究者数、論文数、特許件数など、さまざまな科学技術の指標が悪化してきています。現状を分析し、研究費の配分、研究者の待遇の考え方など、まず、これまでの科学技術政策の理念について、正しかったのか、あらためて検討する必要があると考えています。

自転車で600kmを走破

趣味は?

ロードバイクです。福井にいたとき、車移動ばかりで歩く機会が減って体重が増えたため、健康維持のために自転車通勤にしたのが始まりです。効果は十分にあり、レースにも出るようになりました。

最近は、レースからは離れ、ブルベというイベントに参加しています。ブルベは主催者が決めたコースを自転車で走り、制限時間内に完走することを目指すもので、レシートや写真などの通過証明を提出して認定を受けます。私は最長600kmを走りました。東京から新潟の直江津まで往復するコースで、制限時間は40時間。途中2〜3時間の仮眠を取りながら、ひたすらペダルをこぎ続けます。

走っている時は辛くて、自分でも「意味が分からない。」と思いますが、終わると不思議な達成感があります。苦しい時は、「終わらないブルベは無い。」と思いながら、今できるペダルを回すことに集中します。仕事も同じかもしれません。(笑)

【 ISASニュース 2026年5月号(No.542) 掲載 】(一部加筆)