第4章 初期のミューと宇宙科学

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「ひのとり」──X線で見る太陽フレア

1981年2月21日9時30分、M-3Sロケット2号機によって打ち上げられたASTRO-A衛星は、近地点高度576km、遠地点高度644km、軌道傾斜角31.3度、周期96.9分の軌道に投入され、「ひのとり」(火の鳥)と命名された。

「ひのとり」は、わが国初の太陽観測衛星で、重量190kg。硬X線像を中心とした太陽フレアの多角的観測を目的として、1980~81年をピークとする第21太陽活動期を狙って打ち上げられたものである。

搭載した太陽X線二次元像観測装置(SXT)をはじめとする8個の観測機器は、太陽フレアを総合的に観測できるよう、構成に十分配慮されていた。軌道に投入された「ひのとり」の搭載機器はすべて正常で、順調に観測を続け、多くの良好な太陽フレアデータを記録した。

1980年12月には、半年にわたる総合試験が最終段階に入った。内之浦へ運ぶ寸前に行った太陽電池パドル展開試験で、パドルを押さえているワイヤーが切れない不具合が発生した。検討の結果、その原因はワイヤーを切るカッターの不具合によるもので、ヨーヨー・デスピナーにも同じものを使用しており、先に打ち上げた「たんせい4号」でスピンダウンが2段階で下がった不具合もこのカッターによるものと推定された。

緊急に対策会議を開き、ハードなカッターの試験を繰り返した。刃の材質や形状を変えたり、刃を受ける台座の材質を硬いものや軟らかいものにしたり、またワイヤーの材質やテンションを変え、高速度カメラを使って多くのデータを、夜を徹して取得した。この試験で中心的な役割を担ったのは、今は亡き斉藤敏だった。関係者の努力によって出来上がった改良カッターはフライトに間に合い、軌道上ではヨーヨー・デスピナーの作動と太陽電池パドル展開が正常に行われた。現在、軌道上で何の抵抗もなく行っているこれらのオペレーションも、当時苦労して確立したシステムによるものなのである。

打上げ3週間前に内之浦に到着した衛星は、衛星整備センターへ運ばれて、ロケットに結合するまで綿密な最終チェックが行われた。その中に衛星を磁気シールドルームへ運び、衛星がどれだけ帯磁しているかをチェックする作業があった。コンテナに入れた衛星を、実験場の端にあるシールドルームまで、おそるおそるミュー橋を渡り、谷を越え、2kmの道のりを約1時間かけて運んだ。衛星をコンテナから取り出し、衛星との余裕が数cmしかない狭い入り口からシールドルームへ時間をかけて搬入し、磁気試験を行った。

無事終了したとき、衛星主任の田中靖郎は「こんな危険な作業は、ほんとはやりたくない」と本音をもらしていた。──大切に育てた「箱入り娘」に嫁入り前に何かあったら大変......という心境でいたと推察される。

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