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初代のミュー──M-4S

整備塔内で組み上げられたM-4S-1号機

打ち上げ

M-4S-1号機打上げ

サブブースター切り離し

M-4S-1号機サブブースター切り離し

ミューの第一世代であるM-4S型は4段式で、軌道投入はL-4S型と同じ重力ターン方式を採用、尾翼とスピンによって姿勢安定を保った。1号機は、ロケット姿勢制御部の電磁弁不具合によって過度にスピン数が増大し、第4段不点火という不慮の事故で軌道に乗せることができなかった。しかし、2号機以降続けて3機が人工衛星を軌道に乗せ、ミューによる衛星打上げ技術は安定した評価を受けるに至った。

M-4S-1、M-4S-2によってロケットの性能を確かめた後、1971年9月、M-4Sの3号機が「しんせい」を軌道に送った。ロケットはスムーズだったが、衛星チームでは、初めての本格的科学衛星なので重量配分や耐震強度などに大変な努力が払われた。

「しんせい」は、理学研究者にとって、どのように観測装置を作り上げればよいか、どのように得られたデータを早く有効に生かすかなど初めての経験であった。しかし「しんせい」は南米大陸付近の異常な電離を見出し、後々の科学衛星に対して研究材料を残し、短波帯の太陽電波の発生メカニズムを明らかにし、さらに宇宙線についても中南米上空での異常カウントを見出している。

1972年8月、M-4Sの4号機は、科学衛星REXSを成功裏に軌道に投入し、衛星は「でんぱ」と命名された。この衛星は、磁気圏内のプラズマ波や高エネルギー電子の観測を行うことになっていた。しかし事件が起きた。

──昼となく夜となく3時間毎にめぐり来る衛星の状態を知ることは、まるで生まれたての赤ん坊の面倒を見るようなもので3日目くらいからこれは大変だと誰しも眠い目をしばたたかせ始めた矢先、ちょうどその日に、電子計測器の高圧電源をオンにしたところ、機上での放電が原因と思われる事故で第26周で使えなくなった。──(平尾邦雄)

打上げ前には当然真空中で高圧を印加するテストはしていたのだが、おそらく高圧電源のポッティングに不完全なところがあって、そこで放電を起こしたものと思われる。以後の衛星とロケットで高圧を使うものに対し、重大な教訓と警告を与えた事件であった。以来衛星グループは、高圧機器の電源投入には、異常なまでに気をつかうようになった。今でも合言葉は「高圧危険」である。おかげで同種の事故は皆無である。

とはいえ故障する前の3日間に蓄積されたインピーダンス・プローブなどの観測データは、観測ロケットに比べて実に膨大なものであった。

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