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大気とオーロラへの挑戦

日本の科学衛星による電離層観測は、1971年に軌道に運ばれた「しんせい」により開始された。それは衛星観測が産ぶ声をあげた、という方が適切と思われるもので、科学としては太陽電波(三固定周波)、電子電流及び放射線帯粒子の三項というささやかなものであった。しかし、自力で全地球周回観測の足跡を印した意義は大きなものであった。

続いて1972年に打ち上げられた「でんぱ」は、不運にも三日間でその観測を停止したが、1975年2月軌道にのった「たいよう」に至って、積み上げてきた電離層観測の手法は本格的に花ひらいた。特にブラジル領域のプラズマ分布異常の発見は驚くべきものであったし、さらにほとんど世界の情勢に遅れることなく赤道域プラズマ泡( Plasma Bubble )の存在を発見していて、電離層プラズマ研究を活発化させている。プラズマの密度が周辺の0.1%以下にまでも低下してしまう驚くべき現象は、その後のプラズマ不安定現象研究の新しいテーマとなった。

電離層観測時代にすでに登場していた観測項目は、電波観測と磁気姿勢計があったが、ラムダ型ロケット観測時代に至って、放射線帯の観測、さらに新たに登場した低エネルギー粒子観測が加わった。もともと内之浦は、亜熱帯観測域とも言われている。オーロラにかかわるエネルギー範囲の観測はその対象がなく、また磁場現象も大きな変動を示してはいない。結果的に、オーロラ粒子観測も地磁気脈動観測もおくれた観測器であった。しかしいまや衛星時代に入った。太陽地球系物理学の研究の真髄ともいうべきオーロラ現象の研究が、磁気圏の物理とその電離圏との結合としてクローズアップされ、この種の磁気圏観測用装置が急速に開発されるようになった。

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