第4章 初期のミューと宇宙科学

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「じきけん」──プラズマ圏から磁気圏の深部へ

総重量約92kgのこの衛星は1978年(昭和53)9月16日14時00分、M-3Hロケット3号機によって打ち上げられ、近地点高度227km、遠地点高度30,051km、軌道傾斜角31.1度、周期8時間44分の長楕円軌道に投入された。先の「きょっこう」とともに国際磁気圏観測計画に参加し、プラズマ圏より磁気圏深部に至る領域の研究を行うことを目的とした。

観測では多くの成果を挙げたが、地上300kmの電離層上部から6万km以上にわたる広大な地球磁気圏空間での観測運用では、電離層擾乱による通信障害、帯電現象によるLogic回路の反転など、いろいろな出来事に遭遇した。長楕円軌道のため可視時間が長く、観測データはほとんど実時間で送られてくるため、データレコーダは搭載せず、可視領域外でのPCMデータは10Kbitのメモリへ記録し、可視の時に再生するようにした。

「じきけん」には、初めてデータ管制装置(DPU)を搭載した。これによって、衛星の位置、軌道、観測目的等に応じて自動的にデータ伝送のパラメータを最適状態に制御し、観測者が地上からの指令によってDPU内にメモリした任意のプログラムに従って各観測機器のパラメータ設定を逐次制御し、データの集積、蓄積、編集を行った。

このDPUの最大の特徴は、オーガナイズドコマンドと呼ばれる複合コマンドを任意のシーケンスに配列し、このコントロールコマンドをもって衛星の自動管制を行うことで、1周8時間あるいは数日間にわたり衛星にコマンドで指令することなく自動的に衛星管制され、データの取得が行われた。特に遠距離で回線が厳しい所では大変有効であった。

衛星主任の大林辰蔵

「じきけん」衛星主任の大林辰蔵

じきけんチーム

「じきけん」チーム

搭載アンテナの伸展作業は、「じきけん」のオペレーションの中でも最も重要なものだった。片方60mのアンテナ伸展は、わが国では全く未経験の作業で、専門家の協力を得て60mアンテナ伸展チームをつくり、手順を決めて9月23日から作業にかかったが、アンテナ伸展用のモータ駆動により発生した雑音によって、コマンド受信機が干渉を受け、コマンドが効かなくなり、一時コマンド回線が不通になった。このためアンテナ伸展を止められない危険な状態にも遭遇した。

さらに伸展中、伸展駆動機構の負荷が次第に拡大し、制御回路の温度が上昇するという不具合も発生した。そして伸展作業末期には、モータの反動により全頂角15度程度の首振りが誘起された。そこで伸展作業は一時中断し、現地で度重なる検討の結果、大部分の観測はこの状態で支障がないことが分かったため、全伸展をあきらめ、2対のアンテナがそれぞれ等しい長さにそろったところで打ち切った。

これらの不具合の原因は、モータがブラシ付であったことと、伸展機構については真空中における歯車機構の摩擦増加と推定された。これらの経験は今後の衛星設計に生かされた。この伸展作業中、衛星テレメータセンターのボロボロのソファーに座っていた衛星主任の大林辰藏が「井上君、僕は薄氷を踏む思いだよ」と、その時の心境を語っていたことを、井上浩三郎は、鮮やかに思い出している。

「じきけん」は打上げ後、約1ヵ月で全機器が動作状態になってから、本格的な科学観測に入った。そしてオーロラキロメートル電波の機構、プラズマポーズの形成機構に関するデータなど歴史に残る成果を挙げながら、1981年、そのミッションライフを閉じた。

「じきけん」の観測は、先端間60mの長いアンテナが長時間の微動の結果疲労し、欠損した時点が終結点となった。この間、初めて磁気圏まで衛星が飛翔し、直接探査して多くの観測成果を挙げることができた。

「じきけん」の追跡作業は地獄であった。長楕円軌道のため、トラッキングチームは今までにない長時間受信を毎日続ける、かなりきつい運用になった。毎日受信されるペンレコーダー記録とアナログテープ記録によるデータはみるみる増えて、その整理と処理で大変であった。コンピューターで記録し、処理される今では考えられないことである。

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