第4章 初期のミューと宇宙科学

カテゴリーメニュー

4段式から3段式へ──M-3C

4段式の長期計画を作って出発したM計画だったが、推力方向制御(TVC)技術の研究開発はすでに1966年から着手しており、システムの簡素化とTVC適用の容易化を進めた結果、最終的に《3段で衛星打上げができないか》と切り出したのは玉木章夫であった。

非常に真面目で、自分にも他人にも厳しい貫禄のある人であった。青山墓地で盛大に行われた葬儀の時に、多くの人の脳裏にずっと浮かんでいたのは、「おおすみ」成功の記者会見で花束を貰い満面に笑みを湛えている玉木の姿だった。かくして3段式M-3Cが誕生したが、玉木は1号機の飛翔を待たずにその半年前に亡くなった。

M-4Sから完全に変容したM-3C型は2段目にTVC装置を搭載して軌道投入精度を高め、3段目には大型の球形ロケットを装備し、3段式でM-4Sを上回る能力を持った。M-3C-1が試験衛星「たんせい2」をほぼ予定通りの軌道に送ったのは、1974年2月だった。

M-3C-1でテストされた電波誘導システムは、2号機の打上げで見事に働いた。このシステムは、精測レーダの追跡データを基に地上計算機上の電波誘導プログラムを走らせ、その結果を用い地上からのコマンドによって、第2段姿勢制御プログラムの修正、第3段打出し方向修正および最終段点火時刻の修正を行うものである。衛星の軌道投入を格段に向上させる見通しのできたことは何より嬉しいことであった。

「たんせい2」の成功によって、その後の科学衛星計画ではその軌道計画をかなり自由に策定できるようになった。特にX線天文衛星では、放射線を避けて高度数百kmの略円軌道に打ち上げることが望ましいのだが、それが無理なく達成できることを意味している。またこの衛星は、この後の科学衛星の姿勢を制御するための地磁気を利用した制御法をテストし、その可能性が確かめられた。

M-3Cの2号機は、1975年2月、太陽放射と地球大気の相互作用を研究するSRATS衛星を打ち上げ、軌道に乗った衛星は、衛星主任の平尾邦雄の要望が強く「たいよう」と命名された。この衛星は大雪とともに記憶される。

──当時軌道上に在ったドイツのAEROS-B衛星と共同観測を行い低緯度の電離層電子密度分布に新しいデータを得る事が出来た。──(平尾邦雄)

これは日本にとって、科学衛星を用いた初の国際共同研究となった。

──ヨー・デスピナーやニューテーション・ダンパーなどを怖々使った思い出もありますが、くだけた話題を紹介しましょう。コマンド電波の周波数を450MHzにしたんですが、内之浦のタクシー無線が似通った周波数を使っていることが判明し、運転手さんみんなに集まってもらって干渉テストなどしたもんです。──(林友直)

こうしてM-3Cは、軌道投入の精度を格段に向上させ、「たんせい2」「たいよう」「はくちょう」を宇宙へ送り出した。

TVC装置の試験

M-3C-1号機TVC装置の試験

玉木章夫(左)と森大吉郎

M-3C-1

M-3C-1号機

M-3C-1の打ち上げ

M-3C-1号機の打上げ

読みかけのページとして記録する

「読みかけのページとして記録する」について