第4章 初期のミューと宇宙科学

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「しんせい」──日本初の科学衛星

第1号科学衛星の第2のフライトモデルとして設計製作されたMS-F2は、1971年9月28日M-4Sロケット3号機によって打ち上げられ、軌道に乗って「しんせい」(新星)と名づけられた。研究者が待ちに待った科学衛星の誕生である。

1964年12月のシンポジウムで、第1号科学衛星の観測項目の提案と糸川によるM-4Sロケットを用いた衛星飛翔計画の提案がなされたが、途中M-4S-1の不具合や漁業問題のためロケット打上げ実験が約1年半中断するなどで遅れ、提案から実に6年9ヵ月の歳月を経て誕生したものである。

この第1号科学衛星の観測項目をまとめていた平尾邦雄によれば、選定にはかなりの議論があったそうである。選ばれたのは、ロケット観測に十分習熟している理研グループの宇宙線、天文台グループの太陽電波、電波研グループの電離層であった。

観測ロケットと異なり、衛星は極度に制限された重量と容積の中で設計しなければならず、軌道上では長期にわたる観測に耐える必要がある。そこで衛星を設計するための各種の技術研究を行うSA研究委員会が発足した。発端は、1964年8月の観測衛星懇談会で、エレクトロニクス関係の研究者と理学研究者の十数名が衛星の概案を検討した会議であった。翌年1月から研究委員会は11の小研究班に分かれ、宇宙研、生研の他、全国の大学や研究機関、それに製造会社の技術者達が自発的に参加して活発な研究活動を展開した。この時の勉強の成果が、その後の科学衛星の技術の基礎を永く培ったことは言うまでもない。

「しんせい」は直径75cmの球に内接する26面体で、重量は66kg。構体はマグネシウム合金、外板は厚さ8cmのアルミニウム・ハネカム板。24面のハネカム板には、太陽電池が装備されている。

軌道上では、上記の科学観測を行い、さらに地磁気姿勢系、衛星環境計測器によって衛星の姿勢や内部の電圧、電流、温度などを測定した。電源として衛星の表面に貼り付けられた太陽電池によって二次電池を充電し、消費電力15Wを賄った。

観測データにはPCM-DPSK-AM方式を採用、周波数136MHzと400MHzのテレメータ電波で地上に送信した。衛星には磁気テープ記録方式のデータレコーダを搭載して1周分のデータを記録し、衛星が内之浦の見通し範囲にはいったところで、地上からのコマンドにより、データレコーダの再生信号を送信した。信号の再生は記録速度の19倍の速度で行われ、ほぼ1周分蓄積されたデータを約5分で送信するようになっている。テレメータデータの速度はリアルタイムで64ビット/秒、再生は1,216ビット/秒である。コマンドは周波数148MHzで、テープレコーダの制御のほかに観測器の校正、電源のオン/オフなどを行った。

初の科学衛星「しんせい」

初の科学衛星「しんせい/MS-F2」

テレメーターセンタと18mアンテナ

テレメーターセンタと18mアンテナ

内之浦町民からの激励を受ける平尾邦雄(左)と森大吉郎

内之浦町民からの激励を受ける平尾邦雄(左)と森大吉郎

軌道に乗った「しんせい」は、内之浦での受信で電離層プラズマ・プローブの展開、太陽電波アンテナの伸展およびニューテーション・ダンパの作動を確認後、運用に入った。電子温度プローブが開頭直後に損傷したこと、第40周頃からCRのガイガーカウンターの一つが不調になったことを除き、搭載した機器および太陽電池の作動は、全て正常であった。その後6ヵ月を過ぎても衛星の環境は極めて安定に保たれ、科学観測についても有意義な観測結果が得られ、また軌道上における衛星の環境、機能についても多くの工学データを得ることができ、十分に所期の目的を果たした。大量のデータは宇宙研へ送られ電子計算機で処理され各観測担当者へ渡された。

「しんせい」は、ほぼ90分の周期で回って来て観測データを送り続けた。当時のテレメータ受信は内之浦一局だけで行い、受信回数は毎日5回か6回。現在のように手軽に計算機が導入できる時代ではなく、伝送装置もなく、すべての運用管制の作業は人間の手で処理された。衛星から送られてくるテレメータデータは、ペンレコーダー、アナログデータレコーダー、デジタルプリンター等に記録された。衛星の状態を見るためのクイックルック(QL)は、デジタルプリンタに印字される2進10進変換された値を換算表によって物理量に変換し、衛星の機器のオン・オフ等の状態把握は復調器に表示される2進のランプ表示モニタで行われるという状況であった。

また衛星へのコマンド送信は、衛星テレメータセンタに設置された指令コード発生装置のパネル面上にあるサムホイールスイッチによってコマンド番号を設定した後、実行ボタンを押すことにより行われた。これらの作業をまとめるのが運用管制の指揮者の作業だった。受信が終了すると、取得したデータの整理、アナログテープの郵送等休む暇がなく、90分で1周してくる次の受信の準備に入らなくてはならないという具合であった。

井上浩三郎の思い出。

──この運用指揮者を何回か経験しましたが、これを1週間も続けるとくたくたになったことが思い出されます。貴重な経験でしたが衛星運用がいかに忍耐強さを必要とするかを実感しました。その頃寝食をともにし、運用終了後酒を飲み交わした人たちとの友情は今では経験できない楽しい思い出になりました。──(井上)

衛星から送られてくるテレメータデータはビットレート64bps(1秒間に64ビット)という、今では大変遅い速度で地上へ伝送され、地上の受信機や復調装置を経てアナログデータレコーダの磁気テープに記録された。記録されたテープは、航空便または郵送で駒場の研究所へ送られ、そこで再生された。再生して得られたテレメータ信号は、PCM復調装置でデジタル信号にし、大型計算機(HITAC-5020F)へ伝送された。大型計算機はその信号をフォートラン(コンパイラー)のソフトで読める信号に変換してデジタルテープに記録した。その後この処理は、当時のミニコンピュータ(M-4)を使用して、ビットレートの4倍の速さで一次処理され効率化が計られた。内之浦局でデータを受信して、研究者の手に渡るのに1週間くらいかかった。専用の高速ディジタル回線を使用しリアルタイムでデータを処理・モニターできる今とは隔世の感である。

「しんせい」はスピンで姿勢を安定に保持していたため、姿勢を正確に決めることは、重要な要素であった。当時は専用の伝送回線が無かったため、姿勢データ(地磁気センサーと太陽センサー)は、テレメータデータの中から姿勢データだけを紙テープに抽出し、当時50ボー(後に200ボー)の電話回線で時間をかけて駒場へ伝送し大型計算機で姿勢計算を行うという方法をとっていた。回線を使った初めてのデータ伝送だったが、姿勢を決めるにも、大変な苦労があった。

「しんせい」に搭載された3つの観測器からはそれぞれ興味ある観測結果が得られた。まず、南米大陸付近の異常な電離を見出し、太陽電波観測では短波帯の太陽電波の発生機構を明らかにし、宇宙観測装置も中南米地帯での異常カウントを見出した。特に南米上空の異常現象については、その後打ち上げられた「たいよう」衛星で詳細に観測された。当時、科学の伊藤富造は語っている。

──我が国の電離層直接観測についてのハイライトは初の科学衛星「しんせい」による電子密度の観測であろう。これまでロケットだけに頼っていたために時間的および空間的に限られた範囲しか得られなかった直接観測データがworld wideに、しかも昼夜にわたって得られるようになったのは大きな前進である。──(伊藤)

「しんせい」は、はじめての衛星観測の経験だったが、新しい事実が多く見出され、その価値の大きさを見事に証明した衛星であった。

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