第4章 初期のミューと宇宙科学

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コルサの思い出

1976年2月4日、ミューの歴史上忘れられない事件が起きた。

この日午後3時、内之浦の発射場からM-3C型ロケットの3号機が飛び立った。円錐に近い頭部カバーの中には、日本のX線天文学グループが宇宙のマウンドに送り出す「コルサ(CORSA)」衛星が鎮座している。的川泰宣は、軌道監視グループの一人として、発射直後から追尾レーダーがコンピューターを通して送ってくれるロケットの飛翔径路図をにらんでいた。第1段はずっと正常だった。発射後70秒、第1段燃焼終了。84秒、第1段切り離し。86秒、第2段燃焼開始。息づまるような緊張がつづく。

直後、的川は自分の目を疑った。ロケットの飛翔径路があらかじめ描いてある標準径路からどんどん離れていくのである。ロケットは異常に頭を下げ、第2段の燃焼中にすでに水平になろうという勢いにある。

そのとき的川の胸に、「この2段目は何だか3段目みたいに低い角度で飛んでるな」という思いがチラッとかすめたのを憶えている。

──こりゃあいかん! いったい何が起きたんだ!

隣りのプロッターを見た。別のレーダーのデータが描きつつあるそのプロッターも、そのまた隣りのプロッターも、まぎれもない異常飛翔の軌道を浮かび上がらせている。

──的川君! 衛星にはなるね!

軌道グループのチーフ、松尾弘毅の声が飛んで来た。ディスプレイからは、このまま飛んだ時、第2段軌道の頂点でロケットの速度がどれだけになるかを示す数字が読み取れる。それに第3段が生み出すはずの速度追加を加えれば、最終速度が算出されるのである。

──大丈夫です! ともかく衛星速度はクリアしてます! でも低いですね!

このまま行くと頂点高度は80km程度であることも、目の前のディスプレイが示している。この程度の高度では、衛星は数時間ももたないで大気中で消滅してしまう。いま必要とされているのは、第3段に点火するかどうかの判断であるが、これでは点火して衛星軌道に乗せても、意味がない。

的川の脳裏に、X線天文学者たちの必死の形相が威嚇するように並んだ。いずれもここ数年間、寝食を忘れてこの風前の灯の衛星をいつくしみ育んできた人たちである。

松尾と的川は、飛翔安全チーフの雛田元紀と顔を見合わせた。入念に打ち合せを行い、練習問題を使って保安監視の猛練習を行ってきた間柄である。多くの言葉は要らない。

──異常飛翔に間違いない。しかも原因不明だ。

松尾が大きな声で確認するように叫んだ。かくて発射後232秒、雛田の指令で以後のシーケンスを支配するタイマーを停止する保安コマンドが送信された。かくてM-3Cロケット3号機の2段目・3段目・コルサ衛星は、一体のまま、太平洋の藻屑と消えた。

流産に終わったこのロケットの第2段の異常は、後に原因が完璧に解明された。発射前のコネクター離脱の際の雑音によって、ロケットのコンピュータに憶えさせておいた第2段の姿勢基準と第3段の姿勢基準が入れ替わってしまっていたのだった。

X線天文学のグループは大変なショックを受けた。とりわけそのリーダーである小田稔の落ち込みようは大変なものであった。当時内之浦に「ロケット」というバーがあり、その隣の旅館「福之家」が小田の定宿である。的川の定宿でもある。その夜、バー「ロケット」で小田の斜め前でグラスを傾けていた的川は、いつもほがらかで明るい小田が、「これで日本のX線天文学はアメリカに10年遅れをとってしまった ……」とつぶやくのを、つらい気持ちで聞いた。

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