第4章 初期のミューと宇宙科学

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未知の軌道へ──M-3H

1977年2月、M-3CにつづくM-3Hロケットの1号機が試験衛星「たんせい3」(MS-T3)を傾斜角66度という準極軌道に乗せた。このロケットは、M-3Cの第1段を長くすることによりさらにパワーアップしたもので、打上げ能力が50%伸びた。1976~79年に行われる国際磁気圏観測計画に参加する2機の衛星(EXOS-A、EXOS-B)を打ち上げるための要求を満たすべく開発された。

M-3Hは、基本的にはM-3Cを長くしただけなので、同世代とする。「たんせい3」は、M-3H-2で打ち上げるEXOS-A衛星で使用する沿磁力線制御のテストと真空紫外線撮像装置(紫外線カメラ)の光学系等のテストをした。

──M-3H-1は、森先生からM計画主任を引き継いだ直後の大役でした。本格化した宇宙科学ミッションに対応できる機体の完成に安堵しました。──(秋葉鐐二郎)

そして1978年2月にM-3H-2が「きょっこう」(EXOS-A)を、つづいて9月にM-3H-3が「じきけん」(EXOS-B)を、日本にとって未知の軌道へ運んだ。

──軌道計画として面白かったのは「きょっこう」です。衛星軌道の北半球側を高くするために、パーキング軌道上で地球を半周した後に第4段に点火し、しかもあわよくば地球が扁平であるための摂動効果を使って遠地点の位置を徐々に動かそうというもので、見事な成功を収めました。──(松尾弘毅)

M-3H-2号機

「じきけん」は、キックモータの連続点火で、遠地点3万kmという磁気圏深部に打ち出された。これは大林辰蔵が企画した磁気圏探査衛星で、初めての長楕円投入であった。打上げ後に衛星に取り付けられた60mアンテナ4本を伸展する作業も初体験で、

──伸展で励起された振動がかくも長期にわたり減衰しないものかと感心しました。──(秋葉鐐二郎)

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