第4章 初期のミューと宇宙科学

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輝く日々

──「はくちょう」では、CORSAを失敗した頃に発見された謎のX線天体“X線バースター”に焦点を合わせて大幅に観測計画・設計を変更しました。 ……大変な苦労の結果完成させた96kgの衛星ですが、外国の大型衛星を凌ぐ画期的な成果をあげました。ひとえに衛星主任の小田稔先生の卓見と指導力によるものです。研究者自身の全面的なHands-onによる衛星計画の進め方は、この衛星によって確立し、その後の全てのX線衛星に引き継がれてきました。──(小川原嘉明)

生まれたばかりの「はくちょう」の世話をするのは、生んだ人間も初産だっただけに天手古舞であった。この衛星で獅子奮迅の活躍をした牧島一夫は次のように述懐している。

──衛星追跡をしている鹿児島の内の浦から何か連絡が入る度に一喜一憂する。計算機室では毎日夜遅くまで翌日の運用について喧々諤々の議論。「はくちょう」の姿勢を制御する時は徹夜。X線の新しい星が出現する。データがどんどん内の浦から送られてきて解析が間に合わない。計算機が容量オーバーになりかかる。ソフトウェアを泡を食いながら改良する。まさに新米の母親さながらの毎日でした。

衛星は90分ほどで地球を回って頭の上に約10分だけ戻ってきます。衛星から情報を受信し、また衛星に電波で指令を与えるこの10分間は、灰神楽がたったような騒ぎになり、猫の手も借りたくなるのです。「はくちょう」に乗った小田先生自慢のX線観測機器「すだれコリメータ」は広い天空を見張っていて、どこかに突然X線星が出現すると、すぐその場所を精密にとらえます。これを小田先生は「天空上のもぐらたたき」と名づけました。

「もぐらたたき」は大変な威力を発揮し、X線を出す新しい星がいくつも発見されました。国内外の光学望遠鏡とも多くの同時観測をしました。中性子星の半径がみな10km程度であることをつきとめ、銀河中心までの距離の誤差を指摘し、パルサーの観測から中性子星の自転のふらつきを明らかにしたのも「はくちょう」の功績です。もちろん小田先生の大好きなブラックホール候補星「はくちょう座X-1」についても重要な観測を行いました。──(牧島)

この楽しくも必死の日々に、日本のX線天文学は、世界の最前線に躍り出た。

コリメーターを搭載した「はくちょう」の軟X線検出装置

コリメーターを搭載した「はくちょう」の軟X線検出装置

「はくちょう」のすだれコリメーター

「はくちょう」のすだれコリメーター

「はくちょう」/M-3C-4号機打上げ成功記念寄せ書き(小田・的川)

「はくちょう」/M-3C-4号機打上げ成功記念寄せ書き(小田・的川)

1982年ころになると、強敵だった諸外国のX線天文衛星は、故障やら寿命やらですべて姿を消し、「はくちょう」はまさに世界唯一のX線衛星となった。休日にも観測し続けたので、「はくじょう」と呼ばれるほどよく働いた。

かくて難産だった「はくちょう」は、その重責果たしつつ徐々に高度を下げ、ついに1985年4月15日、太平洋上空で大気圏に突入した。大気との摩擦で熱くなりながら、燃え尽きる瞬間までX線を追いつづけながら、6年2ヵ月の長く輝かしいミッションライフを閉じたのである。

「はくちょう」以後、「ひのとり」(1981年)「てんま」(1983年)「ぎんが」(1987年)「ようこう」(1991年)「あすか」(1993年)「すざく」(2005年)「ひので」(2006年)と続けてX線天文衛星を打ち上げ、宇宙科学研究所は今日まで間断なく観測を行ってきている。地球の空には必ず日本のX線天文衛星が飛んでいるのである。

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