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宇宙科学の最前線

より高い空への挑戦 学際科学研究系 准教授 斎藤芳隆

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 ようやく宇宙研の出番です。1990年代に入って,宇宙研は薄い皮膜を用いて高い高度に到達する気球,薄膜高高度気球の開発に着手しました。一般に科学実験用の大気球の皮膜には20μm厚のフィルムが使われています。それを当時入手できた最も薄いフィルムであった6μm厚のフィルムでつくり始めたのです。ちなみに,レジ袋の厚みが10〜20μm程度,ラップフィルムの厚みが10μm程度です。アメリカなどでは,重い観測装置を大きな気球で飛翔させる前に,6μm厚のフィルムでつくった小さな気球を飛ばして上空の風の様子を探っていました。自重が軽いので小さな気球でも同じ高度まで到達できます。その気球を大型化することで,とにかく高い高度に到達する気球を目指したのです。観測装置の中にはオゾン観測器のように1kg程度の軽いものもあります。一方で20μm厚のフィルムは,1m2当たり20g程度の重さがあり,体積10万m3の気球ともなると300kgもの自重となります。軽い観測装置を飛翔させる場合,到達高度を決めているのは気球の重量なのです。

 より高い高度を飛翔するものには人工衛星があります。しかし,気球が到達できる高度と人工衛星の飛翔する高度との間に滞在できる飛翔体は存在しません。人工衛星の高度を下げることは,空気抵抗が増すことを意味し,極めて困難です。気球の到達高度を向上させることで,高度50km以上の中間圏に滞在することが初めて可能になります。

 高高度でのオゾン観測を念頭に置いて,何もかもが軽い気球の開発が始まりました。薄いフィルムを連続的に溶着できる装置の開発,表面実装部品を用いた搭載機器の軽量化,薄膜の大型気球を傷付けることなく放球する方法の開発などが並行して進められました。1997年には体積12万m3の気球で高度50.2kmに到達するに至ります。

 最後に残った本丸が,気球フィルムの薄膜化でした。樹脂メーカーの協力により薄膜化にはメタロセン触媒を用いたポリエチレンが適していることが見いだされ,成膜メーカーの努力によって3.4μm厚のポリエチレンフィルムが誕生しました。気球メーカーは,それを貼り合わせて大気球とする技を磨きました。2002年には体積6万m3の気球が高度53.0kmに到達し,30年ぶりに気球到達最高高度記録を塗り替えることに成功しました。1972年の気球と比較すると,体積は1/25にすぎず,フィルムの薄膜化が極めて有効であったことが分かります。薄膜化にはメタロセン系ポリエチレンが不可欠だったのですが,それ自体は1970年代に開発されており,本来,素材の軽量化と気球の大型化が並行して進むべきところが,大型化の方が極端に先行して進んでいた状況にあったのでした。

 以後,宇宙研は自らの記録を自ら更新する道を歩み始めます。最初に取り掛かったのが,フィルムのさらなる薄膜化でした。そのためには,成膜装置自体の開発が必要であり,成膜メーカーの協力のもと,当初は既存の装置の改良から始め,結局最後には薄膜フィルムに特化した成膜装置を構築することとなりました。2003年には,早くも2.8μm厚のポリエチレンフィルムの成膜に成功し,翌年には体積5000m3の気球の飛翔に成功します。しかし,それからが苦難の道でした。上昇中の気球に穴が開いてしまうのです。この場合,素材自体が想定よりも弱い可能性と,皮膜にかかる力が想定よりも大きい可能性とが考えられます。ごくまれにフィルムに弱い部分がある可能性や,弱い力が長い間かかることで破壊してしまう可能性など,さまざまな角度から素材の問題を調査しましたが,問題は見つかりませんでした。一方,皮膜にかかり得る力を推定することは,極めて困難です。気球が膨らみ切る前には,風に吹かれてしなやかに変形したり,フィルムに入っているしわが移動したりと,なかなか計算で推定することができません。そのため,うまく飛翔した気球と飛翔しなかった気球を比較した経験則により要求強度を推定し,保護テープの補強を行いました。

 補強の一環として,気球頭部のフィルムを二重化する改良も行いました。これは直接的には,打上げ時にスプーラーなどが触れる部分を強化することが目的であり,もう一つには気球が膨張する前の低高度において頭部を保護することが目的でした。地上でガスが詰められた際に膨らんでいるのは,気球頭部のほんの一部でしかありません。膨らんだ部分だけで全体を持ち上げているため,大きな力がかかります。その部分のフィルムを二重にして強化したのです。通常の気球においては,気球の自重や搭載重量が大きい場合に使われてきた技術ですが,薄膜気球では初めての試みとなりました。

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