GEOTAIL計画の前身であるOPEN-J計画のワーキンググループが発足したのは、今から45年も前の1979年でした。それはL- 4 S-5による日本初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ(1970)から10年も経っていない頃で、ハレー彗星探査に必須のM-3SII型ロケットの開発が公式には未だ認められていない時期でした(直径1.4mまでという軛を一部外したM-3SII開発が宇宙開発委員会に認められたのは1981年3月)。

そんな中、地球磁気圏尾部(遠地点20Re、約13万km)の探査をする衛星OPEN-JをM-3SII第4段にハレー探査用に開発中のキックモーターKM-Pを用いることで打ち上げられないか、という検討をしたのですが、その後NASAの予算上の都合もあり、OPEN計画衛星群のひとつ米国NASAの衛星TAILとOPEN-Jを統合して、最初の2年間は遠地点を約220Re(140万km)の地球夜側に常に持ってきて磁気圏遠尾部を観測、その後遠地点を20 ~ 30Reに下げて、従来のOPEN-Jが観測予定だった近尾部を1年半にわたりカバーするという提案がNASAから出されました。こんな実現不可能ともいえる軌道計画を立てたのは、当時NASAゴダード宇宙飛行センター(GSFC)で「軌道の魔術師」とあだ名されていたロバート・ファーカーでした。地球半径。)

しかし遠地点を220Reの夜側に常に置くのに衛星搭載の推進系を使っていたのでは、いくら燃料があっても足りず、二重月スウィングバイと呼ばれる技術が必要です。ファーカーの描いた軌道図では加速月スウィングバイで遠地点高度を上げ、帰ってきた衛星を減速月スウィングバイによって周期調整、再度加速月スウィングバイで夜側の磁気圏遠尾部に持っていくというオペレーションを二年間にわたり繰り返す様子が見事に示されていました。ただこれはあくまで机上でのこと。それまで世界中で実際にこんな軌道運用をした例が無い中、我々がいきなりこの技術を実現する自信を持てるはずもありません。

従来宇宙研ではMロケット新型初号機には、いきなり正規理学ミッションを載せるのは問題、ということもあり、MS-T(MuSatellite-Test)という試験衛星を搭載するのが常で、M-3SII-1号機では「さきがけ」が五番目の試験衛星(MS-T 5)として、文字通りハレー探査の先駆けを務めました。従ってそのままではM-3SII型では試験衛星を上げるチャンスがありません。そこで、新たに工学技術をマスターするための衛星が考えられることになりました。こうして誕生したのが工学実験衛星MUSES(MuSpace Engineering Satellite)シリーズで、GEOTAILに先立ち二重月スウィングバイ技術の修得を主目的にしたMUSES-A(後の「ひてん」)がその初号機となりました。

MUSES-A計画開始は、「さきがけ」「すいせい」を打ち上げた1985年で、衛星ハードウェアの開発はもとより、何と言っても苦労したのは軌道計画の基となる軌道決定精度の向上と月スウィングバイを可能にする軌道制御ソフトウェアの開発でした。前者に関してはNASA/JPLで長年軌道決定に携わられ、帰国後富士通に籍を置いておられた西村敏充先生を三顧の礼をもって宇宙研にお迎えして一安心。後者は川口淳一郎先生という「日本の軌道の魔術師」の指導の下、MOONS(Muses OrbitOperation & Navigation System)と称する運用ソフトが完成しました。1990年1月24日に打ち上げられたMUSES-Aは「ひてん」と命名され、同年3月19日の最初の月スウィングバイを始め、最初の1年間に予定通り8回のスウィングバイを成功させて、GEOTAILへの道を開くことが出来ました。

「ひてん」と並行して進められたGEOTAIL計画では、打ち上げロケットが当初のスペースシャトルからチャレンジャ事故の影響で、一時は「シャトルでもデルタでも上げられるような設計に」という要求になり、それは加速度のかかる方向が90°変わるので無理ということになり、結局デルタに落ち着くまでのすったもんだや、NASA式文書管理の煩雑さに音を上げながらも、こと軌道計画についてはMOONSをGEOTAIL向けに改良したGOONS(GEOTAIL Orbit Operation & Navigation System)があったために殆ど苦労らしい苦労をせずに打ち上げ後も淡々と運用できたように記憶します。プラズマ粒子観測装置(LEP)ラッチアップ対策として月の陰に衛星を入れて電源オフにするという離れ業を行えたのも、軌道運用に余裕があったればこそだったと言えるでしょう。

「ひてん」は、新たに困難な工学技術を必要とする理学衛星・探査機に先立ってそれを修得する工学実験衛星MUSESとしての真価を発揮した、と言ってよいでしょう。この手法は、小惑星からサンプルを持ち帰るという無謀とすら言われたミッションに必要な多くの世界初の技術を確立するためにも必要とされ、工学実験探査機MUSES-C(「はやぶさ」)が生まれました。苦難の末「はやぶさ」がミッションをやり遂げたことが、理学ミッション「はやぶさ2」の成功に繋がったことは言うまでもありません。

その時思い出すのは工学実験衛星2号機MUSES-Bとその後のミッションのことです。MUSES-B「はるか」は直径8mの大型アンテナを地球上の電波天文アンテナとリンクさせて宇宙VLBI技術を修得するもので、このミッションはほぼ成功したものの、次の本格的VLBI理学ミッションであるASTRO-Gでは全く違う大型アンテナ方式を採用したことも要因となり、計画中止・打ち上げ断念に追い込まれました。

MUSESシリーズを最初から見守って来た者として、困難な技術に挑戦することが常に必要とされる科学衛星計画を進める後輩たちにこういったことを忘れないでほしいと思っています。

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「ひてん」の軌道(打ち上げから1年後まで) 太陽―地球を結ぶ線を固定した回転座標系

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GEOTAILの軌道(磁気圏遠尾部探査) 太陽―地球を結ぶ線を固定した回転座標系

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打ち上げ2日前(1992年7月22日)、ロケット上のGEOTAIL衛星の見納め(最終点検)をしている筆者