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宇宙科学の最前線

びっくりするコンピュータ 宇宙機応用工学研究系 助教 小林 大輔

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 我々にはとうていできそうにない計算を、ひょいとやってのけるコンピュータ。それを頭脳に持つロボットが映画に出てくると、冷徹で無慈悲なやつとして描かれることが多い。1か0かに切り分けるデジタル処理の様子が、そんなイメージを想起させるのだろうか。そんなクールなコンピュータがびっくりする、と知ったら、あなたはびっくりするだろうか。

コンピュータチップ

 コンピュータのメイン部品は、メモリやプロセッサといったコンピュータチップと呼ばれるものだ。実体は、縦横1cm程度のピカピカした薄い金属板である――正確には金属ではないのだが見た目の連想はそれで構わない。とてもきれいなものだ。だからといって、パソコンのふたを開けて見てやろうと思わない方がいい。封印されていて見えないから。そこで今回は、封印されていないピカピカのコンピュータチップの写真を用意した。(タイトル画像参照)これを見る機会はそうそうない。

 コンピュータチップは、別名「大規模集積回路」という。そう、驚くほど大量の何かが集積化されている――多い場合で1億個を超える「トランジスタ」というスイッチが敷き詰められている。スイッチにはオンとオフの2つの状態がある。デジタルと相性が良いゆえんである。綿密にしたためられた設計図に従ってオン・オフを高速に切り替えて情報を処理する。

 宇宙機にもコンピュータチップがたくさん載っていて、センサからの情報や地上からの命令を処理している。設計図通りの動作をしていると期待するだろうが、期待は往々にして裏切られるもので、設計図から外れることがある。最初のそれは1975年に、とある人工衛星で起きた。記憶データが設計図の値から変わっていた。いったい何がコンピュータチップに起きたのだろう。

宇宙線

 無重力、真空、人がいない(かもしれない)――宇宙という言葉は「ない」ものづくしの世界を思い起こさせる。実際にはそれなりに何かがあって、その中でも「宇宙線」の存在感はひときわだ。

 宇宙線の実体は高エネルギーの粒子が飛んでいるのであって、そのきらめく軌跡、つまり線を思い浮かべるとよいかもしれない。「思い浮かべるとよい」とは我ながらよく言ったもので、それを見ることができるのはあなたの心の中だけだ。それらはあまりにも小さ過ぎる。物質を構成する最も小さい部類の塊、原子核だから。天体活動という一大イベントで生じる巨大エネルギーによって加速された原子核、それが宇宙線である。

 紙を1枚用意して1辺1cmの四角を書いてほしい――それであなたの心を読んだりしないから臆することなく。それを持って宇宙に行くと、10万個の宇宙線が四角の中を突き抜ける。どのくらいの時間で? わずか1秒で。コンピュータチップはそんな宇宙線のシャワーを浴びる。

コンピュータチップがびっくりする

 宇宙線が当たるとどうなるか。その様子を図1に、お見せしよう。コンピュータチップからの電気信号を心電図のように記録したものである。宇宙線が当たった瞬間に、ビクッと大きな信号が出ているのが分かるだろう。まさにチップがびっくりした瞬間だ。

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図1 トランジスタスイッチがびっくりする様子
322MeVに加速したクリプトンイオンをFD-SOI技術で作製したトランジスタスイッチに当てた。(提供:日本原子力研究開発機構 牧野高紘博士)


 どうやって記録したかというと、まず、チップに並ぶトランジスタスイッチを1個だけ取り出し、スイッチがオンすると電流が流れる仕掛けをつくる。そして、スイッチをオフにしておくと電流は流れないはずで、モニタが指し示す値も宇宙線を当てる前はゼロだ。それに宇宙線を当てた――私は宇宙に行ったことも行ける予定もないので、日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所という宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所より少しだけ長い名前のところで人工的に宇宙線をつくって当てた。このデータは、実験をしたその研究所の方に提供してもらった。

 横軸に注目してみよう。スイッチに電流が流れる時間、つまりびっくりしている時間はわずか1ナノ秒。10億分の1秒という短さだ。あまりに短いので、この瞬間を記録するには手元のストップウォッチでは遅過ぎて、超高速デジタル・オシロスコープを使わないといけなかった。もっとも、あまりに短いと思うのは人間の尺度を基準にしたからで、高速に動作するチップにとってはそうでもない。そして、人間と同じように、びっくりしたコンピュータチップは動けなくなることがある。驚きのあまり記憶をなくすことも。そう、1975年に人工衛星のチップが記憶喪失になったのも、これが原因だった。

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