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宇宙科学の最前線

宇宙インフレータブル構造物

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 膨張過程は,ガスなどの膨張用流体が流れることによって形状が変化する流路をさらに流体が流れるという,複雑なダイナミクスを含みます。仮に,ダイナミクスが無視できて準静的に膨張したとしても,実際には流路の折り畳み箇所で折れ曲がったままになっていたりねじれたりして流路が開かず,それ以上膨張過程を継続できなくなる可能性もあります。また,構造物全体に一様に圧力を上げることができなかったり,折れ曲がっていたところで急に流路が開いたりした場合には,構造物全体が予測不可能な暴れ方をすることにもなります。もし,膨張・展開試験のたびに現象が異なってしまったら,本番の挙動を予想できません。この問題は折り畳み方にも依存しますが,膨張過程を設計通りにいかせるには工夫が必要とされています。

 宇宙インフレータブル構造物は,デブリやマイクロメテオロイドが衝突して不意に穴が開くと内圧ガスが抜けて形状を維持できなくなるので,建造初期に膜を硬化させることになります。ヒータで加熱硬化させる方法や,宇宙空間に自然に満ちている太陽光や紫外線をうまく利用して化学的に硬化させる方法がまず考えられました。地上では,樹脂系複合材の硬化(キュア)は,材料を所望の形状に保持した状態で温度や圧力を制御しながら行っています。しかし,温度や圧力の条件を必ずしも制御しきれない宇宙空間においては,ある時間にわたって所望の形状を保持しながら化学反応を用いて一様な材料特性が得られるように硬化反応を進めることは容易ではなく,地上製造方法の延長線上にあるような宇宙硬化方法はいまだ実用化されていません。宇宙空間において,どのような材料を用いてどのような工程で硬化させるかという技術開発とアイデアが,宇宙インフレータブル構造物を本格的に多用するための突破口になるでしょう。

 空気膜をガスの圧力で膨らませてから樹脂を化学的に硬化させるというこれまでのアイデアだけでなく,硬化にはいろいろな派生形態が考えられます。すなわち,膨張過程に金属フィルムの塑性変形を利用する硬化方法,発泡剤によって膨張と硬化を一緒に行う方法(図2a)などにより,デブリやマイクロメテオロイドの衝突に対処する考え方もあり得ます。形状記憶合金や形状記憶樹脂を併用することにより,宇宙で形状回復させ,安定に形状維持する考え方もあります。また,穴が開いてつぶれても構わない程度に多数の空気膜セルで大型構造物を構成することにより,硬化させないという考え方もあり,これは撤収や交換修理がしやすいという特徴があります。



宇宙インフレータブル構造物の今後の発展

 インフレータブル構造物は,高い構造精度が得られないという印象を持たれています。しかし,すでにインフレータブル方式による太陽電池面やレーダー面が提案され,地上では試作もされています。また,硬化過程は含まれませんでしたが,軌道上におけるアンテナ膨張展開試験は10年も前に実施されました(図2b)。宇宙インフレータブル方式により,まずは高い構造精度が要求されない構造物を宇宙空間で簡易に構成することは,実用化できる段階に来ていると思います。軌道上望遠鏡の日よけや月面テントに適用することで経験を積み,太陽電池アレイ面構成など中程度の構造精度のもので実績を積んでから,アンテナ鏡面や集光反射鏡面など構造精度が要求される用途に移行する方針がよいと考えています。構造精度の保証のためには,単にガス内圧に頼るのみではなく,ケーブルネットワークと膜面を併用したり(図2c),形状記憶合金や形状記憶樹脂で形状再現性を補完したり,能動的に制御するなどの方法が検討されています。

 地上での空気膜構造物はスタジアムやパビリオンのような大型建造物の例が多いので,宇宙インフレータブル構造も大型宇宙構造物建造のための技術であると考えられがちです。確かに大型宇宙構造物に適していますが,そればかりではなく,高収納率・機構部品の少なさという特徴を活かせば,小型衛星に中型衛星並みの性能を与える手段としても利用できます。インフレータブル太陽電池パネル,インフレータブル伸展アンテナ,インフレータブルラジエータ,インフレータブルドラッグシュートなどを搭載することにより,重く複雑で不具合要因にもなりがちな機構部品にあまり依存することなく,簡易に小型衛星の性能向上を図ることができる技術であると考えています。


図2  インフレータブル構造物構成の例
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