「みお」(当時MMO)のシステム総合試験は、2012年秋に相模原キャンパスのクリーンルームにて機体を組み立てるところから始まりました。プラズマ・磁場環境を調べるミッションの特徴として搭載される観測機器数が多く、「みお」も10以上のセンサが搭載されています。半年かけて機器を組付け、2013年5〜6月に探査機全体の初期電気試験を行いました。その後スピン試験、システムEMC試験、2013年11〜12月に「みお」単体の機械環境試験(振動、衝撃)を実施しました。その後、2014年11月に相模原キャンパスの真空チャンバにおいて熱真空試験・熱平衡試験を約1 ヶ月かけて行いました。そして2015年1〜2月の最終電気試験をもって、「みお」(このときまだ愛称はついていませんでしたが)のシステム総合試験は完了しました。約2年半の試験期間は科学衛星としても長いもので、ここまでにシステムレベルの電気試験を、規模の大小はありますが合計16回も行っています。試験を全て終え綺麗に片づいたクリーンルームで、報道公開後の機体を背景に記念撮影したことをよく覚えています。

熱真空試験の準備作業中(ISASにて、2014 年10月)

熱真空試験の準備作業中( ISASにて、2014 年10月)

通常であれば、相模原での試験後に射場へ送り出し、いざフライトオペとなるわけですが、「みお」はESAの探査機MPO・推進モジュールMTMと一緒に打ち上げるため、3モジュール組み合わせた状態での試験が必要です。これらはオランダにあるESTEC(欧州宇宙技術研究センター)で行われました。探査機だけでなく、相模原で使っていた地上試験装置や治工具ほぼ全てを持ち込み、試験センターの一室に展開して試験に臨みました。BepiColomboは3つの探査機/モジュールで構成されるので、試験に必要な機材・人員・作業場所も必然的に約2〜3倍に増えます。ESTECではBepiColombo以外のプロジェクトの試験も当然行われているので、クリーンルーム内のエリア配分、立ち入り規制、搬入搬出の動線にはこまめな調整が欠かせませんでした。ESTEC滞在中はプロジェクトメンバーが必ず一名は常駐する体制をとり、日々の清浄度管理、試験進捗の把握、スケジュール調整、エアバス社に出向いての電気試験、さらには年一回のESTEC一般公開での解説、など様々な業務をこなしました。英語でのコミュニケーションでは思うように伝わらないこともあり、ヨーロッパの人にアドバンテージがあるものだと思っていましたが、「MMOチームはほとんど日本人だから、交渉や技術的な議論を母国語でできるのはうらやましい」と言われた時は目からうろこが落ちる思いでした。確かに会議で彼らは同じ話題を繰り返して述べることがあり無駄を感じていたのですが、これは全員が同じレベルで理解していることを確認しあうための、ヨーロッパならではのノウハウなのでしょう。

先にシステム試験を完了したMPOと「みお」の結合試験を2016年6月に開始しましたが、ここで比較的大きな改修を要する不具合が見つかりました。ESA、JAXA、関連メーカーを交えた連日の白熱した電話会議を経て対応方針が決まったときは安堵したものです。筆者は、この件で欧州メーカー関係者と率直な意見交換ができる関係を築けたことが、大きな自信になりました。この頃から、ESOC(欧州宇宙運用センター)との調整も本格化し、MPOを経由する「みお」テレメトリをESOC管制システムで取り込む等、打上げに向けた準備も始まっていました。

2017年、BepiColomboはようやく打上げコンフィギュレーションである全機結合の状態で試験を開始しました。連結された「みお」とMPOがクレーンに吊られてMTMの結合部におろされていく様子を、筆者はESTECのクリーンルームで注意深く見学していましたが、3時間たってもなかなか連結されず、しびれを切らして帰宅するということがありました。「みお」は3つのモジュールが積み重ねられた状態で一番上部に位置しており、予想どおりアクセスが難しく、側面の保護パネルの取り外しにも非常に気を使いました。設計時にはなかなか想像し辛いところですが、作業者の安全にも関わるので今後の教訓とできればと思います。一連の環境試験終了後に機体のメディア公開イベントが催され、ようやく全貌がお披露目となりました。

全機結合のために クレーンで探査機を吊り上げている様子(ESTECにて、2017年5月)

全機結合のためにクレーンで探査機を吊り上げている様子( ESTECにて、2017年5月)

その後、各モジュールを再び切り離し、健全性確認・輸送の準備などを経て、2018年4月に無事にESTECを離れ、射場のあるフランス領ギアナへと出発しました。長い長い地上試験を乗り越えたBepiColomboには、やはり長い長い射場作業が待ち受けていました。

射場輸送にまつわるエピソードも山のようにあり、ここには到底書ききれません。結局、機材は全部無事ギアナに到着し、探査機以外は最終的に日本に戻ってきましたので、万事OKというところでしょうか。

【 ISASニュース 2020年7月号(No.472) 掲載】