遠心力でソーラーセイルを展開する方式に注目し、スケールモデルを使って展開実験を始めたのは2002年のことであった。コンパクトに畳んだセイルを遠心力だけでいかに高い再現性で展開できるかが、課題の中心であった。軌道工学部門助手として宇宙研に着任した私の最初にやる仕事が折り紙とは思いもよらなかったが、新たな折り方を考案しては、真空チャンバやスピンテーブル、さらには大気球を使っての展開実験を幾度となく行った。2004年に実施したS-310観測ロケットを使った10m級セイルの展開試験の成功は、私たち自身がこの独自のセイル展開技術に自信を持つ転機となった。

それでもまだ、私たちが目指している最終ゴール、20m級セイルには届いていなかった。摩擦の小さい巨大な平面を求めて、深夜のスケートリンクで20m級セイルの展開実験をした。夜な夜なスケートリンクに現れる、大風呂敷と巨大な回転装置を持ったスケート靴を履かない集団は、さぞや怪しい存在だっただろう。

これだけ実験を重ねても、IKAROSのセイル様式を一つに絞る会議は紛糾した。何しろ宇宙研内外のワーキンググループメンバーがそれぞれ、さまざまな様式のセイルのアイデアを温めていたのだ。選定の会議は明け方まで続き、数百の評価項目にわたって議論をしたのだから、(精神的)若さのなせる業だ。ただし、この会議には構造を専門とする小野田淳次郎 前宇宙研所長や名取通弘 宇宙研名誉教授も参加されていたから、精神的な若さと肉体的な若さは無関係。このような真剣な熱意のエネルギーから、S-310観測ロケット実験で成功した方式をベースに、メンバーみんなの創意に富んだ改良が盛り込まれた、IKAROSのセイルの基本構想がまとまったのであった。

(つだ・ゆういち)