従来の深宇宙探査機の軌道計測手法(ドップラー・レンジ計測)は、視線(奥行き)方向の探査機位置は高い精度で計測できるものの、視線方向と垂直な天球面上の位置については精度が著しく劣るという欠点がありました。この欠点を補うために、大陸間で遠く離れた2台の地上アンテナで同時に探査機からの電波を受信し、信号の受信時刻差を計測することにより天球面上の探査機位置を高い精度で直接計測する手法が、Delta-DOR(Delta Differential One-way Ranging)計測です。この手法は、NASAでは古くは惑星探査機ボイジャーの時代から用いられていましたが、2000年代に入り地上デジタル受信技術が発展し、GPS観測網が整備され地球対流圏や電離層による大気遅延モデルの精度が向上したことなどに伴い、この10年で急速に精度が向上しました。最近では数ナノラジアン(約1000万分の1度)の角度精度が得られるようになっており、東京スカイツリーから富士山頂にいるミジンコ(0.3mm) をのぞき込む分解能に相当します。1AU(地球と太陽の平均距離で約1.5億km)先の探査機であれば、数百mの精度で位置を計測することができます。

JAXAはDelta-DOR用地上デジタル受信装置に関しては、NASAと同等以上の性能のものを早くから開発することができていました。しかし、従来のJAXAの探査機にはDelta-DOR計測用信号の送信機能が備わっていなかったため、地上からトーン信号を送信して機上で折り返したり(「はやぶさ」の例)、テレメトリの副搬送波を利用したり(「あかつき」の例)して、疑似的なDelta-DOR計測を行っていました。いずれの場合もトーン間の帯域幅が狭いため、従来の軌道決定精度(1マイクロラジアン程度)に比べて大幅な精度向上は望めない状況でした。そこでIKAROSの飛行機会を利用して、JAXAの深宇宙探査機では初となるDelta-DOR計測専用トーン送信機を開発・搭載し、「はやぶさ2」などの将来ミッションに向けたフロントローディングとしてDelta-DORによる軌道決定技術の獲得を目指すことになりました。Delta-DOR計測用信号送信機能は、本来はバス系のトランスポンダの機能の一部として提供され、テレメトリ・コマンド運用と排他的に利用されるべきものです。しかし、IKAROSでは新規開発リスクを避けるため、送信アンテナやアンプまで含めて完全に独立な専用系として開発を行いました。

Delta-DORでは遠く離れた複数の地上アンテナを同時に使用する必要があるため、海外機関との連携が必須になります。我々が開発した地上受信信号処理システムは、受信信号をPCベースのソフトウエアで処理する方式を採用しているため、対外機関ごとに柔軟にフォーマット変換を行うことができるという強みがあります。ソフトウエアを整備することにより、2010年7月1日から8月22日の期間に、図1に示した計8機関の15アンテナとの間で、合計24回のIKAROSのDelta-DOR実証実験を実施しました。現時点で世界で運用中のほぼすべての深宇宙局・VLBI観測局のシステムと互換性を持つようソフトウエアを整備したため、海外に深宇宙局を持たないJAXAにとっては運用の自律性確保という観点において大きなメリットになります。JAXA臼田局─NASAキャンベラ局間で取得したIKAROSのDelta-DORデータは、JAXAとNASAのおのおののシステムで独立にデータ処理を行い、得られた計測量の値や品質など詳細な比較を行いました。その結果、「あかつき」の20倍の精度に相当する 50ピコ秒という高い精度(低い熱雑音)で計測ができており、NASA─JAXA間のデータの処理も30ピコ秒という高い一致度が得られていることが確認できました(図2)。

図1 IKAROSのDelta-DOR実証実験参加局

図1 IKAROSのDelta-DOR実証実験参加局

図2 JAXA臼田局─NASAキャンベラ局間のDelta-DOR計測結果

図2 JAXA臼田局─NASAキャンベラ局間のDelta-DOR計測結果

JAXA/NASA/ESAは共同で、国際機関であるCCSDS(宇宙データシステム諮問委員会)においてDelta-DORデータの国際標準フォーマット(Delta-DOR raw data exchange format)を提案していました。規格が正式に発効するためには、規格に準拠したDelta-DORデータの処理を異なる複数の機関で独立に行い、精度評価を含めた結果を比較の上、レポートにまとめることが必要条件でした。JAXAとNASAが行ったIKAROSデータの処理結果は詳細レポートにまとめ、CCSDSに報告されました。その結果、2013年にDelta-DORデータの国際標準規格がCCSDSにて正式に発効することになりました。IKAROSの実験結果は、JAXA単独の技術実証にとどまらず、世界中の宇宙機関がDelta-DOR計測を共同で実施できるようにする礎をつくるという点で、世界の宇宙コミュニティ全体に対して貢献することができたのです(現在ではインド、ロシア、中国などもCCSDS規格に準拠したシステムを保有するに至っています)。

IKAROSでの技術実証が成功したことにより、「はやぶさ2」では日本で初めて、バス系トランスポンダの正式機能としてDelta-DOR用トーン生成機能が搭載されました。また、地上の軌道決定ソフトウエアの高精度化や定常運用に向けたデータ処理の自動化なども進められ、「はやぶさ2」の実運用においてDelta-DORが多大な貢献をするに至っています。これらの成果は、また別の機会にご報告することにします。

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(たけうち・ひろし)