はじめに

宇宙探査は、惑星保護を抜きに語ることができない。惑星保護とは、探査の対象天体の環境を、地球から運搬される微生物や生命関連物質による汚染から保全すること、また対象天体から探査機が地球圏(月を含む)へ帰還する際に、潜在的な地球外生命と生命関連物質による汚染から地球圏を保護することである。前者は、太陽系天体は人類共通の資産であるという観点から、先行する探査によってもたらされる天体汚染が将来の探査の障害になることがないように、また、対象天体に存在するかもしれない固有の生命圏に致命的な影響を与えることがないように、との倫理的観点から要請されている。後者は、地球生命圏の安全に係る要請である。

このような惑星保護の概念は、宇宙開発の黎明期より既に起案されており、人類初の人工衛星となったスプートニク打上げの翌年である1958年には、国際科学会議(ICSU)が「地球外探査による天体汚染に関する特別委員会」を組織し、同年秋、惑星保護の実施に関する最初の国際的な行動規範が制定された。この行動規範は惑星保護方針(Planetary Protection Policy)と呼ばれ、以来、惑星保護方針は、同年ICSUが新たに設立した「国際宇宙空間研究委員会」(COSPAR)へ引き継がれ、今日に至っている。1966年には、国連において「月その他の天体を含む宇宙空間の探査および利用における国家活動を律する原則に関する条約(宇宙条約)」が採択され(翌1967年に発効)、そのIX条が惑星保護の法的根拠となっている。以来、COSPARは、宇宙開発に携わる国家が宇宙条約を遵守し、惑星保護の2つの要請に答えることができるように、その国際基準のガイドラインとして、惑星保護方針を保持し普及させている。

惑星保護の概要

COSPAR惑星保護方針では、全ての宇宙探査ミッションは、探査の対象天体の重要性と実施する探査の形態によってカテゴリ分けされ、各カテゴリに対して異なるレベルの惑星保護要求が規定されている。特に、過去に(あるいは現在も)生命を育む環境を有していた可能性があり、宇宙機による汚染が将来の調査に悪影響を及ぼす危惧がある太陽系天体(保護される太陽系天体)へ探査を行う場合、惑星保護要求は厳しくなる。表1に、対象天体・探査形態による惑星保護カテゴリの区分と、各カテゴリにおける惑星保護要求の概要を示す。

表1 惑星保護カテゴリと対象天体、探査形態、および惑星保護要求(概要)

表1 惑星保護カテゴリと対象天体、探査形態、および惑星保護要求(概要)

現在、保護される太陽系天体として規定されているのは、火星、木星の衛星エウロパ、土星の衛星エンケラドスであるが、これは現在の科学的知見と探査対象天体として検討された経緯によるものであって、今後もこれらだけが保護される太陽系天体であるという保証はない。今後、科学的知見が拡大し、他の天体が探査対象として検討される際には、COSPAR惑星保護パネルにおいて国際的な検討が行われ、新たな天体が加わることもあり得る。このように、惑星保護方針は科学的知見の拡大と、新たな探査ミッションの要請に応じて逐次変更される可能性があることに注意されたい。

保護される太陽系天体への探査においては、地球から運搬する生命および生命由来物質による対象天体および対象地域の汚染を極小化し、天体の環境を保全することが求められている。これを実現するために、惑星保護方針では、例えば

  1. 対象天体へ到達する軌道エネルギを有する全ての飛翔物体
    (ロケット上段、デブリ、およびフライバイあるいは周回する宇宙機など)の対象天体への衝突確率や、対象地域への汚染確率を規定値以下とすること。
  2. 対象天体へ影響を与える(環境への曝露、接触、着陸など)飛翔物体については滅菌処理を行い、打上げ時点でその汚染度を規定値以下とすること。
  3. 飛翔物体の汚染度を判定するために、所定の方法によって検査を行うこと。
  4. 対象天体へ輸送される有機物(規定されるもの)を、管理下で50年間保管すること。

などの設計標準が定義されている。詳細は「惑星等保護プログラム標準」(JMR-014)を参照されたい。

一方、地球圏へ帰還、あるいはサンプルを回収する場合においては、保護される太陽系天体以外の天体からであれば、原則、無条件で帰還できる(制約のない地球帰還)。「はやぶさ」、「はやぶさ2」、また検討中の火星衛星探査計画(MMX)も、このカテゴリである。これに対して、保護される太陽系天体から影響を受けて(環境への曝露、接触、サンプル採取など)帰還する場合には、帰還前の全宇宙機システムの滅菌と検査を行うか、滅菌の検証ができない場合には完全な封じ込め(接触の連鎖の断ち切り)を行うことが要求される(制約付き地球帰還)。この場合、地球圏へ増殖可能な地球外生命体が持ち込まれる確率を10-6以下とする必要がある。「制約付き地球帰還」を実現するためには極めて難易度の高い技術が要求され、NASAを含め過去の宇宙探査でこの基準が適用された例はない。2020年代後半に計画されている火星サンプルリターンミッションは、この基準を適用する最初のミッションとなるであろう。

我が国の惑星保護の現状

これまで我が国では、個々の宇宙探査プロジェクトにおいてCOSPAR惑星保護方針に準拠した設計・運用基準を採用し、COSPAR惑星保護パネルにおいて国際的な合意を形成することによって、プロジェクトを実施してきた。しかし、今後我が国が月への複数の探査、MMX、さらには火星探査など、高レベルのカテゴリを含む惑星保護方針の対象となる複数のプロジェクトを実施する可能性があることや、2017年より施行された「人工衛星等の打上げおよび人工衛星の管理に関する法律(宇宙活動法)」においても惑星保護への対応が求められることから、JAXAが組織的に惑星保護へ取り組むべきと考えられた。この状況を受けて、2018年12月よりJAXA安全・信頼性推進部を本拠とする惑星等保護体制が発足し、また国内の大学および研究機関から参加する専門委員と連携して関連する文書(惑星等保護規定、惑星等保護プログラム標準、および関連ハンドブック等)が制定された。現在JAXAでは、図1に示す惑星保護体制によって、COSPAR惑星保護方針の着実な遵守に組織的に取り組んでいる。

図1 JAXAにおける惑星保護体制の概要(惑星等保護技術研究グループについては、現在設置を検討中)

図1 JAXAにおける惑星保護体制の概要(惑星等保護技術研究グループについては、現在設置を検討中)

ただし、現在制定されている惑星等保護プログラム標準は、直近のカテゴリI ~ IIIのプロジェクトへの対応を優先して制定を急いだため、火星の表面探査(カテゴリIV)や火星からのサンプルリターン(カテゴリVの「制約付き地球帰還」)に対応できない(表1の網掛け部分は未対応)。一方で、本年度改訂される予定の「日本の宇宙探査全体シナリオ」(JAXA国際宇宙探査推進チーム作成)においては、国際火星有人探査へ参加することを最終ゴールとして、2020年代後半に火星探査実証ミッションが、また2030年代前半に火星総合探査ミッションが掲げられており、カテゴリIVの惑星保護技術を獲得することが急務となっている。これに応えるために、現在、惑星保護の中長期計画を策定し、惑星等保護プログラム標準の拡張とハンドブックの整備、カテゴリIV技術(滅菌、バイオバーデン試験*)の獲得、および設備計画の策定を、関係部署と協議しながら推進しているところである。
* 残存する増殖可能な微生物の数を定量化する試験のこと。

最近の大きな成果

MMXは、火星の衛星(フォボス、ディモス)を探査し、そこからサンプルを採取して地球へ帰還するミッションであり、「はやぶさ2」に続くサンプルリターンミッションとして、検討が進められている。「はやぶさ2」の目標である小惑星には、生命は存在しないと考えられるため、復路においてはカテゴリVの「制約のない地球帰還」が適用された。しかし、火星には固有の生命(微生物)が現存する可能性が否定できず、火星表面での巨大隕石衝突によって生じる放出物質が火星衛星へ輸送されることから、MMXが火星衛星上で採取するサンプルが火星固有の微生物によって汚染されているという可能性が否定できない。2017年当時、既に火星衛星サンプルリターンを検討していたESAでは、サンプルの微生物汚染確率に大きな幅があり、これが国際標準許容値(10-6 )以下であると判断できなかったことから、火星衛星サンプルリターンを「制約付き地球帰還」として識別し、これが COSPARにおける国際標準となりつつあった。この状況では、MMXにおいても「制約付き地球帰還」が適用され、極めて難易度の高い技術が必要となることが予想され、MMXの前に立ちはだかる大きな懸念材料となっていた。

JAXAの惑星保護体制発足の目的の一つは、プロジェクトを支援し、COSPAR惑星保護パネルにおいて惑星保護方針が改訂される際に、将来のJAXAの探査ミッションに不利となる勧告がなされないよう働きかけることである。この目標をMMXにおいて果たすため、千葉工大、東工大、東大等と連携した検討チームを編成し、過去の火星表層史における巨大隕石衝突、火星放出物の生成、火星衛星への物質輸送、火星放出物の火星衛星への衝突や放射線による滅菌過程などの詳細なプロセスを考慮し(図2)、確率的・統計的な分析を行うことによって、火星衛星の微生物汚染分布確率を世界で初めて定量化し、MMXがそこで採取するサンプルの微生物汚染確率が10-6よりも十分に小さいことを証明した。この結果は COSPARで審議され、最終的にMMXは「制約のない地球帰還」であるという勧告を得ることに成功した。すなわち、MMXは「 はやぶさ2」の技術の延長として実施することが可能となり、MMXの技術・コスト・スケジュールに係るリスクを大幅に低減することができた。

図2 火星から火星衛星への物質輸送(Fujita, K. et al., 2019; Kurosawa, K. et al., 2019)

図2 火星から火星衛星への物質輸送(Fujita, K. et al., 2019; Kurosawa, K. et al., 2019)

おわりに

惑星保護は国際社会において持続的な探査を実施するためには必要不可欠であり、探査ミッションに一定の制約を与えるが、発想を変えれば、その技術の向上によって、MMXのケースのように、他国に先んじたミッションの創生を可能とする。近年、民間企業の探査への参入や、火星サンプルリターン、有人火星ミッション等の検討が活発化し、惑星保護の枠組みや必要とされる技術領域が大きく変動しつつある中で、新しい技術領域へ新規参入し、これをリードする好機であると言えよう。より多くの方に興味を持っていただき、惑星保護の中長期計画で想定する多様な研究開発へ、より多くの方にご参加いただき、我が国が将来にわたって探査先進国であり続けるための土台を支えることができるよう、ご協力をお願いしたい。

参考文献

Fujita, K. et al., LSSR, https://doi.org/10.1016/j.lssr.2019.07.009
Kurosawa, K. et al., LSSR, https://doi.org/10.1016/j.lssr.2019.07.006

【 ISASニュース 2019年10月号(No.463) 掲載】