「きぼう」搭載の多目的実験ラックを開発

小林さんは20 年以上在籍された筑波から、2014 年4月に相模原に異動になりました。

NASDAでは、最初の2年間は地球観測衛星の追跡管制を、その後有人本部に異動して「国際宇宙ステーション(ISS)日本実験棟」と「こうのとり(HTV)」の有人宇宙安全業務などを担当しました。この10 年余りはISSで使用する実験装置・実験ラックの開発、機構全体のシステム安全・信頼性管理などを手がけてきました。これまで筑波宇宙センターを一歩も出たことがなかったので、相模原に来た当初はすべてが新鮮で刺激的でした。いちばん驚いたのは、メーカーと宇宙研の先生方が混然一体となって仕事をしていることですね。それと、旧NASDAに比べ圧倒的に文書類が存在しないこと。これでどうして開発できるんだろうと不思議に思い、きっと何か目に見えない太い幹のようなものがあるのではと、好奇心と同時にワクワク感を抱いたことを思い出します。

現在はどんなミッションを担当されていますか。

S&MA(Safety & Mission Assurance)、すなわち宇宙科学プロジェクトの安全や信頼性、品質管理のとりまとめ業務を担当しています。たとえば、科学衛星やロケット開発のプロジェクトの安全性・信頼性を検証したり、品質管理ががきちんと行われているかどうかを評価する。また、それらに関して宇宙研に適応した実施要領を作成し、設計基準類の利用を促進するといった仕事です。

「きぼう」日本実験棟の船内実験室に設置された「多目的実験ラック」の開発を手がけられました。

多目的実験ラックは、ユーザー(実験提案者)が持ち込む実験装置を組み込んで、簡単に宇宙実験をできるようにするための実験環境を提供するラックです。多目的実験ラックはスペース(空間)、電源(28VDC等)、通信(USB、イーサーネット等)を提供します。私は多目的実験ラックに限らず、JAXAが開発した実験ラックのすべてに関わってきました。宇宙ステーションでは、無重力という条件下での魚類の生態の観察、タンパク質の生成や創薬の基礎実験などが行われています。宇宙に定常的に人が滞在することが、人類にとって大きな意味をもつと考えており、非常にやりがいがありました。

6等星まで見える山里に生まれて

宇宙に関心をもったのはいつですか。

私は滋賀県の鈴鹿山脈のふもとで生まれ育ちました。夜になると肉眼で6等星ぐらいまで見えるほど、星空がきれいなところです。小学校2・3年のときに天体望遠鏡を買ってもらい、毎晩のように星空をのぞいていた。それが一番のきっかけでしょうね。子どものころは天文学者への憧れがありましたが、いつしか変わり、大学では電気工学を学びました。でも就職する段になって、「一生続けられる仕事」がしたいと思いNASDA を選びました。宇宙関連の仕事なら生涯続けられる自信があったし、中でも宇宙ステーション開発がやりたかったので。

休日はどのように過ごしていますか。

土・日には茨城の家に帰ります。基本は、芝生を刈ったり花を植えたりの庭いじりですね。これといった趣味はありませんが、映画は好きで、宇宙ものやアクションものなどをよく観ます。最近では『オデッセイ』が面白かった。宇宙飛行士が火星に取り残されてしまう話ですが、実写とCGの区別がつかないほど迫力がありました。もちろん専門家としては言いたいことがいくつもありますが、とてもよくできた映画だと思います。

最後に、宇宙研の魅力 について一言。

年を経るごとに、宇宙研は「人」でもっている組織だという思いを強くしています。特に宇宙開発への意欲・情熱にかけては、JAXA の中でもピカイチだと思います。ここではみなさん個室にいるので、なんだかプロジェクトの体をなしていないように感じますが、実際はネットワークと情熱で緊密につながっている。文書類が極端に少ない秘密もここにあるのだと思います。

【 ISASニュース 2016年7月号(No.424) 掲載】