金星大気の謎

金星は地球の双子星と称される。どちらも約46億年前に誕生した、地面と大気をもつ地球型惑星である。金星は太陽系内で大きさと平均密度が最も地球に似ている。しかし、金星は二酸化炭素の厚い大気に覆われ、その運動や気温分布も地球の大気とは大きく異なっている。現在の金星には海はない。けれども、初期の金星には地球と同じように海があった可能性が指摘されている。金星は地球より太陽に近く高温である。このため水が蒸発しやすく、上空では太陽からの紫外線で水素と酸素に分解されてしまう。このため、軽い水素は宇宙空間に逃げ出してしまったのではないだろうか。また、海を失った金星では、地球のように二酸化炭素を海に溶かし、石灰岩として固定することができない。こうして、現在のように大量の二酸化炭素が大気中に残ったと考えられている。

また、金星は自転周期が極めて長く243日もある。赤道上の自転速度は1.8m/sしかなく、これは地球の自転速度460m/sと比べて非常に遅い。にもかかわらず、金星大気の上層には、「スーパーローテーション」と呼ばれる自転を追い越す高速の風(高度 70 kmで約100m/s、自転の約60倍の速度)が、赤道から高緯度まで大気全体で吹いていて、気象学における大きな謎となっている。地球にも自転を追い越す風(偏西風、最大で100m/s程度)の存在が知られている。その成因は、スケート選手が回転時に腕を短くする例で知られる、角運動量の保存則から説明できる。赤道で加熱された大気は上昇し、ハドレー循環(水平対流)となって中緯度に到達する。赤道の地表面で静止していた大気であっても、宇宙から見れば高速に回転している。このため、中緯度に運ばれ自転軸からの距離が短くなると、速度が増して自転を追い越す風となる。しかしながら、地球の偏西風が存在するのは中緯度の限られた緯度帯だけである。また、自転の遅い金星上では、このような簡単なメカニズムでスーパーローテーションの成因を説明できない。

金星は全体が硫酸の厚い雲によって覆われ、大気内部の運動の観測が困難である。このため、地球や火星に比べると金星大気の運動に関する理解は遅れている。金星と地球の違いをもたらした理由についても、確かな情報は多くない。もし、金星の大気の成り立ちが分かれば、地球が金星のようにならずに、適度な気候条件をもつ生命に溢れる星となったヒントが得られるはずである。また、金星大気の流れを説明できれば、地球を含めた普遍的な惑星大気の理解が進むと期待される。広い視野で地球の気象を考えることは、地球の大気がなぜ今のような姿をしているのか、また将来どうなっていくのかということの、より深い理解に結びつく。金星大気の謎の解明、それは我々が住む地球をより深く理解することに他ならない。

AFES-Venusの開発

我々の研究グループでは、このような金星大気の謎に挑むため、金星大気全体の運動をシミュレーションする、金星大気大循環モデル「AFES-Venus」の開発を進めてきた。これは、地球の気象予報や気候予測などの研究に使われる大気大循環モデル(GCM; General Circulation Model)の中でも、特に地球シミュレータに最適化されたAFES(Atmospheric GCM For the Earth Simulator)を金星用に変更したものである。AFES-Venusの大規模計算によって、現実的な東西風分布の再現や、金星大気における傾圧不安定波の存在とその重要性の指摘など、世界初となるさまざまな研究成果が得られている(Sugimoto et al., 2014a, b; Ando et al., 2016; Kashimura et al., in prep.)。

図1 金星大気の極域に存在する周極低温域(cold collar)のAFES-Venusによる再現例

図1 金星大気の極域に存在する周極低温域(cold collar)のAFES-Venusによる再現例。カラーは温度場で、暖色は高温、寒色は低温の領域を表している。極向きの矢印は波によって駆動された北向きの流れ、白の矢印はスーパーローテーションのイメージを示している。

図1は、AFES-Venusによって世界で初めて再現された、極域の上層大気(高度約65 km)に存在する周極低温域(cold collar)である(Ando et al., 2016)。1970年代の金星探査ミッション以降、金星の極域上空では、温かい極域を冷たい領域が取り囲んでいるという不思議な気温分布が明らかになっていた(Taylor et al., 1980)。しかし、どのようにしてこの気温分布が生じ、維持されているのか、そのメカニズムは現在まで未解明であった。

AFES-Venusでは、大気全体を数値計算するため、観測では得られない大気の内部の運動を知ることが可能である。その結果によると、周極低温域の形成には、太陽の動きに合わせた大気の運動 (熱潮汐波) によって極近傍に駆動される下降流が重要であることが分かった。太陽光は金星の雲層を暖め、南北方向の大気の流れを生む。この流れが極域上空で集まって下降流になると、ポンプで空気を圧縮したときと同じように、大気は圧縮され、温度が高くなる。このため、下降流が起こっている低温の極域の極近傍では温度が高くなる。これが極域の一部で温度が継続的に高くなる原因であり、その周辺領域が極に比べて低温になる理由であった。波が駆動する下降流と、それによって生じる昇温現象は、地球大気でも成層圏の突然昇温として知られている。本研究は、地球と類似のメカニズムが金星で働いていることを示唆している。

「あかつき」観測との比較

金星探査機「あかつき」は、2015年12月に金星周回軌道への投入を再び試み、成功した。「あかつき」に搭載された複数のカメラによる観測結果から、金星の水平方向の大気の流れや気温分布を明らかにする試みがなされており、すでに様々な初期成果を挙げている。これらの観測研究の成果が、AFES-Venusの研究で得られた理論モデルの実証につながっていくことを期待している。また、AFES-Venusと相補的に観測結果を解釈することで、金星の大気・気象へのさらなる理解を深めていきたいと考えている。ここでは、初期の観測と比較したAFES-Venusの結果を示したい。

図2「あかつき」IR2カメラにより撮影された金星夜面合成疑似カラー画像(左©ISAS/JAXA)とAFES-Venusの高解像度計算で得られた鉛直流速分布の結果(右)

図2 「あかつき」IR2カメラにより撮影された金星夜面合成疑似カラー画像(左©ISAS/JAXA)とAFES-Venusの高解像度計算で得られた鉛直流速分布の結果(右)。右図において、白は下降流、黒は上昇流の領域を表している。また、金星AFESは自転の向きが金星と逆のため、図を回転させて表示している。

図2(左)は「あかつき」のIR2カメラにより撮影された金星夜面合成疑似カラー画像である。IR2カメラの1.735 µm画像と2.26 µm画像から、1.735 µmを赤、2.26 µmを青、両者の平均を緑として、着色し合成したものである。IR2カメラの夜面画像が捉えるのは地表付近の高温の大気から放射される赤外線である。赤外線は雲によって遮られるため、画像の明るい領域は雲の薄い領域を表すことになる。また、微妙な色調の差は、雲粒子の大きさの違いなどを表すと考えられる。昼夜境界付近がオレンジ色になっているのは、昼側から夜側に回り込んだ1.735 µm光のためである。南北両半球の中高緯度にある惑星規模の巨大な筋状構造と低緯度の乱流的構造は、これまでにない「あかつき」の高解像度観測によって初めて得られた描像である。

AFES-Venusでは、地球シミュレータを最大限に用いることで、金星大気研究では例のない高解像度の計算が可能である。図2(右)は、AFES-Venus で計算された高度60km(低安定度層の上空)での鉛直流速分布の結果である。南北方向の位置は若干異なるものの、IR2 カメラの夜面観測で示された惑星規模の筋状構造と類似した構造が現れている。強い下降流が巨大な筋状に分布しており、これは観測と整合的である。なぜなら、下降流によって雲量が減少し、観測された雲の薄い領域を生み出しうるからである。現在、AFES-Venusで再現された巨大な筋状構造の成因の解明に向けて、3次元構造の解析や太陽加熱や大気安定度の設定を変化させた感度実験に着手しているところである(Kashimura et al., in prep.)。

金星初のデータ同化に向けて

こうしたAFES-Venusによる諸成果は、我々の金星大気大循環モデルが現実の金星大気の運動をよく表現しており、これまでモデルの整備不足によって不可能であった、観測データの同化に耐えうる段階にあることを示している。データ同化とは、数値シミュレーションモデルに観測データを融合させることで、時空間的に偏りのない、より現実的なデータ(再解析プロダクト)を生み出す手法のことである。金星探査機「あかつき」の貴重な観測データを同化することができれば、観測を反映した大気内部の運動に関する情報が得られ、金星の謎の解明が革新的に進むと期待される。そこで我々の研究グループでは現在、地球や火星の大気で用いられている観測データをモデルに反映させる手法としてアンサンブルデータ同化を金星大気大循環モデルに世界で初めて導入し、その有効性を検証している(Sugimoto et al., 2017)。

データ同化システムの検証には、数値シミュレーションで得られた疑似観測データと過去の金星探査機「Venus Express」の観測データ(Kouyama et al., 2013, 2015)を用いた。その結果、時空間的に限られた観測データを同化したにもかかわらず、観測データに含まれる惑星規模の大気波動(熱潮汐波)が金星大気大循環モデルの中で正しく再現されることが示された。このことは、開発したデータ同化システムが期待通りに動作していることだけでなく、金星探査機の観測データを利用したデータ同化が金星大気の流れを調べるのに有用であることを示している。

観測は時空間的に限られ、数値シミュレーションモデルは不完全である。このため、どちらか一方だけを利用して金星大気の運動を完全に解明することは困難である。今回の研究成果によって、観測データとシミュレーションモデルの両方を最大限に活用するデータ同化の手法は、金星大気の運動を解明する新たな糸口となることが実証された。今後、金星探査機「あかつき」によって得られた、高解像度かつ高頻度の観測データを本システムで同化することにより、金星大気の最大の謎であるスーパーローテーションの成因の解明など、金星大気の内部の運動の理解が革新的に進むことが期待される。

図3 「あかつき」の観測データとAFES-Venusの数値シミュレーションの予報データを同化することにより、金星大気のより「確からしい」状態を時空間的に再現したデータ(再解析プロダクト)が世界で初めて得られることになる。

図3 「あかつき」の観測データとAFES-Venusの数値シミュレーションの予報データを同化することにより、金星大気のより「確からしい」状態を時空間的に再現したデータ(再解析プロダクト)が世界で初めて得られることになる。

謝辞

金星探査機「あかつき」及びAFES-Venusに関わる全ての方に感謝申し上げる。本研究は、地球シミュレータ利用課題「AFESを用いた地球型惑星の大気大循環シミュレーション」及び「AFES を用いた火星・金星大気の高解像度大循環シミュレーション」のもとで実施した。また、JSPS科研費15K17767、16H02225、16H02231の助成をうけて実施された。図1は安藤 紘基博士(京都産業大学)、図2(左)は佐藤 毅彦教授(ISAS/JAXA)、(右)は樫村 博基博士(神戸大学)の作成である。図3の「あかつき」のCGはISAS/JAXAのものを使用した。AFES-Venusは上記の地球シミュレータ利用課題(代表、林 祥介教授(神戸大学)のもと、高木 征弘准教授(京都産業大学)と共に開発している。データ同化に関して、山崎 哲博士(JAMSTEC)と榎本 剛准教授(京都大学)の協力、「Venus Express」の観測データに関して、神山 徹博士(AIST)の協力を得た。

【 ISASニュース 2017年9月号(No.438) 掲載】