はじめに

宇宙誕生の瞬間とは?宇宙創生を支配する物理学の根本法則とは?これらの問いに答えることは科学のグランドチャレンジ(最も重要かつ壮大な挑戦)です。と同時に、科学を超えたセンス・オブ・ワンダー(感動をともなう不思議な感覚)を喚起する研究テーマです!なんと言っても、私たち人間を含めた「すべての存在の始まり」ですから、凄いと思いませんか?締め切り過ぎたこの原稿(編集の方スミマセン)を書いている夜のしじまに、遥かな始まりの瞬間にじっと思いを馳せていると、私の心はセンス・オブ・ワンダーで満たされていきます。と同時に、「科学者の原動力は、理ではなく情だよなあ」とつぶやいてみたりするのです。

宇宙は熱い火の玉状態からビッグバンと呼ばれる爆発的な膨張で始まったと言われます。ビッグバンを「とにかく宇宙の始まりの瞬間」と定義してしまうと、論理的にその前はないことになってしまいそうです。でも、熱い火の玉宇宙があって、それがビッグバンを起こした、という定義だったら、その前、があっても良い気がしてきませんか?表題の「ビッグバン以前の宇宙」は、この「熱い火の玉状態以前の宇宙」という意味でつけたのです。

実は、観測技術の進歩のおかげで、今や人類は「熱い火の玉状態以前の宇宙」を観測できそうなのです。いくつかのやり方が提案されていますが、最も有望(だから世界的な研究競争状態)な方法が、 宇宙マイクロ波背景放射(Cosmic Microwave Background、以下CMB)の偏光測定です。CMBは全天から降り注ぐ宇宙最古の電磁波で、周波数は、およそ160GHz(波長2mm程度)を中心としています。 LiteBIRDは、CMB偏光を宇宙空間でとことん観測する現在提案中の衛星計画です。

宇宙マイクロ波背景放射(CMB)とビッグバン宇宙論

CMBは、1964年(論文掲載は1965年)にアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンにより発見されました。2人はその業績で1978年ノーベル物理学賞を受賞しています。

宇宙はビッグバンのあと膨張しながら冷えていきました。誕生から約38万年たった頃の宇宙では、電子と陽子がバラバラに存在していた状態から、お互いがくっついて水素原子になるという大きな変化が起きます。それまで電子や陽子としょっちゅう衝突していた電磁波は、以後自由に宇宙空間を伝わることになります。これが「宇宙の晴れ上がり」です。この自由に伝わり宇宙に満ちた電磁波がCMBです。晴れ上がりのCMBの温度は約3000Kでした(以下、温度はすべて絶対温度(K)で表します)。一方、CMBの現在の温度は約2.7Kだとわかっています。低くなったのは宇宙膨張とともにCMBの波長が伸びたからです(電磁波の波長が長くなれば、その温度は低くなります)。このことから、CMBの存在そのものが、ビッグバンの重要な証拠とされています。

1989年には米国のCOBE衛星が地球周回軌道での観測を開始しました。CMB精密観測時代の幕開けです。COBE衛星の功績により、2006年のノーベル物理学賞はジョン・マザーとジョージ・スムートに与えられました。その後、2001年には角度分解能でCOBE衛星をしのぐWMAP衛星が太陽・地球のラグランジュ点の一つ(L2)で観測を開始し、さらに2009年にはヨーロッパが主導して、WMAP衛星の感度と角度分解能を上回るプランク衛星が打ち上げられました。これらの観測によって、宇宙の年齢が約138億年であることや、宇宙はまだ人類が解明できていない謎のエネルギーに満ちていることなど、我々の宇宙の驚くべき姿がわかってきたのです。

2015年に発表されたプランク衛星の観測結果を図1に示します。実線が理論予想、点が観測結果(棒は誤差)を示します。CMBの温度を全天にわたり精密に観測し、どれほどのムラ(「ゆらぎ」と表現します)があるかを解析(スペクトル解析と言います)した結果で、横軸がゆらぎのサイズ、縦軸がゆらぎの強度を表します。たとえ図の意味を知らなくとも、理論と観測がとてもよく合っていることがわかりますよね。まさに精密宇宙論と呼ぶにふさわしい結果です。これは驚くべきことだと思います。100億年以上離れた昔のことが正確にわかってしまうのですから。

プランク衛星によるCMBの温度ゆらぎの観測結果のグラフ

図1  プランク衛星によるCMBの温度ゆらぎの観測結果
横軸はゆらぎのサイズ、縦軸はゆらぎの強度を表す。実線は、標準宇宙理論によるフィット結果を示す。図中の下側は観測結果とフィット結果の差を示している。

電磁波には、波長(色)、強度(明るさ)、偏光(振動の方向)の3要素があります。プランク衛星後のCMB研究のフロンティアはまだ精密に観測されていない偏光の観測に移りつつあります。CMB偏光の観測により、熱いビッグバン以前の宇宙を探れるからです。それがどんな宇宙だったか、人類はまだ正解を知りませんが、最も有力な仮説がインフレーション宇宙仮説です。

インフレーション宇宙仮説

インフレーション宇宙仮説は1980年代初頭に提案されました。我が国の佐藤勝彦先生も提案者の一人です。基本的アイディアは実に簡単で、宇宙は、熱い火の玉状態になる前に急激な加速膨張を起こした、というのです。このたった一つの仮定で、素朴なビッグバン宇宙論におけるいくつもの問題を一網打尽に解決してしまうので、現在最有力の仮説なのです。これまでの観測結果も、すべてインフレーション宇宙仮説をサポートしています。

こう書くと、インフレーション宇宙仮説が正解でいいのでは、と思われるかもしれませんが、事はそう単純ではありません。人類が現在手にしている物理学の標準理論(最も基本的な法則を集めたもの)と矛盾するのです。宇宙の森羅万象は、すべて物理法則どおりに動いています。問題は、標準理論では宇宙の加速膨張は起こせない(減速膨張しかしない)ということなのです。

じゃあインフレーション宇宙仮説はダメなの、というと、そうではないのです。ここが面白いところです。 物理学研究は、将棋のルールを知らない人が、対局を横で眺めるだけでルールを突き止めるようなものです(このやり方で完全なルールブックを突き止めるのは、骨が折れることでしょう)。現在の標準理論は、未完成なものなのです。私を含む多くの物理学者は、宇宙のルールブックには未知の物理学根本法則が書いてあり、それはインフレーション宇宙も作れるし、現在の標準理論も導けるはずと思っています。すでに物理学根本法則の提案はいくつかあって、観測によるテストを待っています。代表的な例としては超弦理論があり、世界は4次元を超えた高次元でできているとか、万物の根源は素粒子ではなく、ひも状の何かであるという、大胆な予想をしています。

CMB偏光による原始重力波観測

では、どんな観測をすれば、インフレーション宇宙仮説の決定的な検証ができるでしょうか? 答えは「原始重力波」です。

インフレーション宇宙仮説の最も重要な予言は、原始重力波の生成です。重力波とは、時空のゆがみが波として伝わる現象です。インフレーションの加速膨張は重力波を生みます。天体の運動で生まれる普通の重力波と区別して、これを原始重力波と呼びます。原始重力波の検出なくしてインフレーション仮説を証明することはできないので極めて重要です。

CMB偏光を使った原始重力波の検出方法を説明しましょう。原始重力波はインフレーション宇宙で生まれた後、晴れ上がりの時にも宇宙空間を満たしており、CMB偏光の分布に特殊な渦巻きパターン(「Bモード」という名前がついています)を刻印したと予想されています。これを検出すれば、インフレーションの動かぬ証拠です。人の指紋を検出するのと似たような感じです。

現在、原始重力波の発見を目指したCMB偏光観測の世界的競争が行われていて、群雄割拠の状態です。地上の望遠鏡や気球を使ったプロジェクトが進行中もしくは準備中です。我が国の研究者も高エネルギー加速器研究機構(KEK)のCMBグループを中心にチリ・アタカマ高地でのPOLARBEARプロジェクトなどで活躍しています。これまでの探索結果を図2に示します。図1はCMBの温度のゆらぎをスペクトル解析した結果でしたが、図2はBモードのゆらぎをスペクトル解析した結果です。たくさんデータがあります(丸は中央値、三角は上限値)が、要するに、横軸の値が小さいところで見えるはずの原始重力波の信号はまだ見えていない、ということです。ゆらぎの強度の上限だけが得られています。原始重力波を発見するには、これまでより少なくとも10倍以上の感度で観測を実行しないといけません。

CMB Bモード観測の現状を示したグラフ

図2 CMB Bモード観測の現状
横軸・縦軸は図1に同じ。丸は中央値、三角は上限値を表す。(作図はカリフォルニア大学バークレー校の茅根裕司氏による)

決定的な観測をするには大気の影響を受けず全天をカバーする究極の測定が必要になります。つまり衛星計画です。我が国では2008年ごろにすでにこうした流れを読んで、世界に先駆けて比較的小型の衛星を打ち上げる検討をKEKのCMBグループが中心となって開始しました。これがライトバード(LiteBIRD)衛星計画です。

ライトバード(LiteBIRD)衛星計画

LiteBIRD計画は、2015年2月にJAXA宇宙科学研究所へ正式提案を行い、初期の審査を通過したところです。現在、KEK、東京大学カブリIPMU、JAXA、岡山大学、国立天文台、カリフォルニア大学バークレー校、マックスプランク宇宙物理学研究所などから総勢130名以上の研究者がLiteBIRDワーキンググループに参加し、2020年代半ばの打上げを目指して概念設計に従事しています。CMB観測を手掛けている研究者以外にも、X線天文学や赤外線天文学の研究者などが参加しています。

図3にLiteBIRD衛星の概要を示します。搭載される主な装置は、1)観測の系統誤差を減らすためにCMB偏光を変調する回転半波長板、2)およそ4Kに冷却した直径約80cm程度の主鏡と一枚の副鏡を持つ反射型望遠鏡、3)100mKの熱浴温度で動作する多色超伝導検出器アレイ、4)ジュール・トムソン冷凍機とスターリング冷凍機で構成される予冷系、5)断熱消磁冷凍機およびバスシステムからなります。WMAPやプランク衛星と同様、地球から150万km離れた太陽・地球のラグランジュ点の一つ(L2)で3年間の観測を行うことを検討しています。歳差運動するコマのような運動をすることにより、まんべんなく全天をスキャンする方式を考えています。超伝導検出器アレイによって、およそ40GHzから400GHzまでを15バンドに分けて観測する予定です。標語的には「ナノケルビンのでこぼこを見る究極の観測装置」となります。全般に、地上観測で使い込んでいる技術の延長としての検出器システムに、これまでのJAXAの科学ミッションで実績のある冷凍機や衛星バスのコンポーネントを使って、高い実現性をもたせる計画です。

LiteBIRD衛星の概要図

図3  LiteBIRD衛星の概要

おわりに

CMBの観測はこれまで二度のノーベル物理学賞に輝いていますが、原始重力波の発見は、それを超えた大成果になると言われています(なんと言っても、ビッグバン以前の宇宙からの信号です!)。衛星による精密観測は、発見だけでなく、超弦理論などの物理学根本法則の候補をテストするという役割も担います。決して簡単ではない実験プロジェクトですが、少しでも感度を上げて、ぜひ「全ての始まり」という大いなるセンス・オブ・ワンダーを喚起する問題に迫っていきたいと考えています。ご期待ください!

(はずみ・まさし)

ISASニュース 2016年9月 No.426 掲載