システム談義
垣見恒男
昭和何年頃だったか定かではないが,西千葉に生研があった時代である。今でこそ日本語化した外来語を日常茶飯事の如く使っているが,当時の我々にとっては,全く耳新しい言葉がアメリカから入ってきた。システムという言葉である。
当時,糸川先生と二人で行動することが多かった私に,「システムとは何のことか君は判るか」という質問が先生から出された。英語に弱い私は辞書をめくってみたが,どの訳もピッタリの表現ではなく,先生のお気に召さなかった。しかし,さすがの先生も一言で表現するのは難しかったらしく,当時テレビで人気番組だった「スパイ大作戦」のようなものだというのが先生の解釈であった。構成する各個人の行動だけを見ていると,バラバラの勝手な行動で,何故こんなことをしているのか理解できないが,最後の結末からフィードバックすると,すべての個人の行動が連結していて同一目標に向かっていることが判る。だからこの番組は面白いのだ,というのである。成る程と思った。
生研ではよくロケットの設計会議が開催された。飛翔体,構造,計測,測量,支援などの各担当の先生方やメーカーが参加して問題点と課題を討議した。当時はまだまだ物資が潤沢ではなく,紙は貴重であった。貧乏会社で,仕事をすればするほど赤字が増えると経理部門から文句を言われていた私は,できるだけ細かい文字で1枚の報告用紙に多くの記録を記入する癖がついていた。席が隣の糸川先生は,大きな文字で1枚の用紙に1〜2行書くだけで,次から次ぎへと用紙を使い,一回の会議で一冊の用紙を使い切る勢いである。ビックリした。ロケット開発のリーダーである先生は非常に多忙で,我々のように会議の後で記録を整理し直す時間がない。会議の後でメモのように書いた用紙を分類し,例えば飛翔体とか構造とか計測など,別々のファイルに綴じておけば,それぞれの分野における討議や決定事項がたちどころに理解できるとのこと。成る程と思ったが万事に節約を強制されている私には真似をすることができなかった。
後年,組織工学研究所を設立された時も,関係先毎に高価な鞄を揃え,関係書類をその鞄の中に整理しておけば,突然の用件発生でも海外の関係先に出張できるというやり方をされていたが,今で言うOJTで先生に「システム」を教えられた思いである。
サラリーマンを卒業した後でも適当に仕事があり,やりたかった事やマイペースの生活が楽しめるのも,先生に教わったシステム的行動が役立っているからと感謝している。
先生のご冥福を心より祈る次第である。
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