想い出
若いころから親しんだチェロやヴァイオリンへの傾倒,あろうことか60歳を過ぎてからのクラシック・バレエ入門など,多彩な話題をまいた。晩年は,J・ラヴロックから法華経まで幅広い題材を借りながら世界と地球について,自身の思想を精力的に紹介しつづけ,世界中を歩き回る多忙な「思想家」としての毎日であった。
若いころは決して過去を振り返らない人だった。還暦の祝いを計画した弟子どもが,本人が出席しないという前日の電話に大慌てしたエピソードは,そのことを象徴する。しかしごく最近誕生を祝った日には,糸川が涙を見せた。人間糸川の一面である。
40年前に国際地球観測年への参加をトリガーにして急速な展開を見せた日本の宇宙科学は,今や世界を舞台にして堅実なバレエを演じつつある。宇宙の謎につぎつぎと探査のメスを入れる科学衛星の活躍は,赤外線天文学やより意欲的な惑星探査をも隊列に加えて来る21世紀,ますます盛んになるだろう。
一方当初糸川が構想したロケット飛行機への夢は,半世紀を経てやっと緒につく勢いである。万人を宇宙へ運ぶ輸送機へ-------自身が提起し21世紀の日本が直面することになった大きな課題の実現を目にすることなく,糸川は帰らぬ人となった。
「日本の宇宙開発の父」糸川英夫の遺志を胸に,私たちのなすべき仕事は大きく重い。
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