道川
その後,ロケット発射の舞台は秋田県の道川海岸に移る。道川は1955年8月から1962年に至るまで,日本のロケット技術の温床でありつづけた。
道川での歴史的な第1回実験はペンシル300の斜め発射であった。8月6日,糸川の秒読みにより,ペンシルは,美しく細い四塩化チタンの白煙を残して夏の暑い空へ飛び立った。到達高度600m,水平距離700m,飛翔時間は16.8秒であった。
ペンシルにつづくダブルベース推薬の二番手であるベビー・ロケットは,外径8cm,全長120cm,重さ約10kgのベビー・ロケットだった。ベビーは2段式で,S型・T型・R型の三つのタイプがあり,1955年8月から12月にかけて打ち上げられ,いずれも高度6kmくらいに達した。S型では,発煙剤をつめ,その噴出煙の光学追跡によって飛翔性能を確かめた。T型はわが国初のテレメータを搭載したロケットであり,R型は搭載機器の回収に成功した。
道川の実験場のテント内には,小さな黒板がかかっていて,毎日その日の実験日程や連絡事項が,こまごまと書かれていた。ある日,この黒板に俳句が書かれていて人目を惹いた。
空高く 想ひはるけし 秋の海
作者は糸川で,彼はこの句に天地人の三才を詠んだ。この三位一体の協力がなければ,観測ロケットの成功は達成できない,という願望をこの句に寄せたものであった。
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